2011年10月31日

屋久島町長選を顧みて

このブログはもう閉じたのだが、ずっと言及してきた町長選の結果が出たので、最後にそれを締めくくっておきたい。

当3,326 荒木 耕治 61才
 2,959 小脇 清治 68才
 2,101 日高十七郎 71才
 1,166 荒木 博武 55才

まず日高十七郎前町長の惨敗が目を引く。今の選挙制度では現職が圧倒的に有利ということを考えると、これは惨憺たるものだ。アラブ諸国など世界に吹き荒れる旧体制打倒の嵐がやっと屋久島にも届いたということか。ともかくよくもこれで立候補したものだと思う。もし彼がおとなしく引退していたら大目に見ただろうが、こうなったら過去の悪行も暴かれなければならない。もし私がまだ屋久島にいたら、またいろいろ百条委員会設置など陳情書を出すことなっただろう。

改革を訴えた荒木耕治、小脇清治両氏が順調に票を伸ばしている。このままでは駄目だという意識は、やっと住民の間に広がったようだ。荒木耕治氏の当選というのは地域性を考えると極めて順当な結果だと思う。もし最下位の荒木博武氏がもう少し頑張っていたら小脇清治氏の方が当選していたかもしれないが、博武氏の人気のなさやその主張のデタラメさから見れば、とても北部の票を二分するなど考えられない。

小脇清治氏は逡巡していて立候補宣言するのが遅すぎた。人気でなく実力と政策が持ち味だから、それを古い体質の住民の間に浸透させるなど容易なことではない。それでもこの数字は、本人及び支援の人たちがよく頑張ったということだろう。

それより荒木耕治氏は改革を訴えてはいるが、具体的どうするのか何も無い。それどころか集落自治の強化など全く後ろ向きの発想だ。何もできず、最大産業の観光も低迷し、屋久島の財政はますます悪化の一途をたどる可能性がある。4年後、全く成果を出せず、その無能さで住民から見放されるのではないだろうか。その時、実行力のある小脇清治氏が改めて見直されるはずだ。

しかしその時、彼は70歳を超えている。いつまでも自分が自分がと言うべきではない。それより後進の育成に力を注ぐべきだ。真のリーダーの第一の条件は後継者を育てることなのだから。4年後、若く優秀な新町長が選ばれ、やっと屋久島の本当の改革が始まることを期待したい。
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2011年09月26日

不愉快な事件

ここに屋久島から出て行くを書いてまもなく、たまたま出会った集落の老人に声をかけられた。「出て行くんだって」。私「ご存知でしたか」。「噂になっているぞ」「いろいろお騒がせしました」「集落の中でものを言える人がいなくなると、皆、残念がってる」「せいせいしたと言っていませんか」「それは2、3人だな」。

これには驚いたし、お世辞半分としてもうれしかった。集会などで私が発言してもみんなしんとしているだけなのだから。ずいぶん重大なことを暴いたつもりなのに、それに続く発言もヤジ一つも出てこない。そんなことはどうでもいい、早く終わりにしてくれ、というのが大勢のようだと思っていた。しかし彼らの本音は、狭い集落の中で目立つわけにはいかない、しかし多大な関心は持っている、ということだったようだ。それならもっと追求してもよかったのかな、とすら思った。

あれから出会った人誰もが温かい言葉をかけてくれた。そんな中で一度だけ不愉快な思いをした。集落直営の土産物販売所へ、商品を引き継いでもらう人と一緒に行った時だ。HMとNNの、そこの主のような販売員がいた。私はずいぶん長い間、みやげ物を出品してきているが、売り上げはともかく個性的な品揃えで売り場の活気付けには一役かってきたと思っている。だがこの二人はいつ納品に行っても、何しに来たといった感じでにこりともしない。私は今日が最後、商品はこの人に引き継ぎます、と挨拶して引継ぎ業務を始めた。在庫品を一度引き取って値札にある出品者番号を書き換える、しかし陳列してある商品はそのままにしておいた。帰ろうとすると、販売員が、それらはどうするのだと突然口を利いた。このままにしておく、自然に新しい番号のものと入れ替わるだろう、と私は答えた。すると、区民でなくなった人の商品は置いておけないなどと口々にわめきたてた。私はこの二人の横っ面を思いっきり張り倒してやりたくなった。

他の売店では最後の挨拶に行くと、残念です、何とか続けてくださいなど店員さんたちの温かい言葉がうれしかった。そもそも小売において、売り上げを伸ばしたい、そのために品揃えを豊富にする、お客様だけでなく納品者も大事にする、というのは基本中の基本だ。なのにこの、さっさと出て行けといった敵意に満ちた態度はいったい何だ。

私が陳列品をそのままにしておいたのは、棚が一時空になるのを避けたかったからだ。販売機会を逸するのは誰にとっても損なことだ。それに出品者は年初に年会費を払っている。それは返却しないと決められている。ということは出品者資格は一年有効と見なすのが常識だろう。そもそもお互いできるだけ気持ちよくなるようにしようとするのが普通の人の感覚だ。何か規則があっても、何とか曲げてでもお互いが一番満足できるよう工夫する。まして決まっていないことなど、最大限の融通を利かせて当然だ。しかしここの販売員たちは、規則にないことまで最大限に悪い方に解釈してイヤガラセしようとする。

私が喧嘩して商品を引き上げて、それで販売所の売り上げが落ちても、この二人には何の影響も無い。いや同じ固定給で、しかも仕事が楽になってかえってよくなるのだ。私は過去に何度もこの販売員の問題を取り上げた。しかし改善されることはなかった。それは当然で、このうちの一人は組合長の奥さんだからだ。そして組合長自身も自分の商品だけ売れればいいだけなのだ。この人も固定給で、しかも経営責任を問われることは無い。たとえ赤字になっても、それは集落の人たちみんなが負担することになっている。また本来は監視および意思決定機関として組合の理事会というのがある。しかしメンバーは当初からほとんど変っていない。結局この組合長一派に牛耳られているからすべて彼らの思いのままだ。今年の総会で、私が追求して300万円ほどの隠し金のあることを白状させた。なぜそれが決算書に載っていないのかとの追求に、組合長はむにゃむにゃ口を濁すだけだった。もしその金を彼らが私的に流用しても誰にも判らないのだ。

当然集落の中では「あの奴らは!」といった陰口がささやかれている。しかし表立って言う人はいない。みんな自分が理事になったり組合長になったりしたくないのだ。そんな面倒なことを背負い込むほど、もう集落に愛着など無い。そうして自分が逃げたいから何も言わず、投票では前と同じ人の名前を書く。いやその前に、そもそも多くの人がもう集会なぞに出て来ないのだ。こうして民主主義の原理など全く働かず、すべて一部の欲深い連中の思いのままになってしまっている。こんな形骸化した集落自治を、ここの人たちはいったいいつになったら見直すのだろうか。
posted by 夜泣石 at 11:13| Comment(0) | 屋久島町の動き | 更新情報をチェックする

2011年09月25日

日高十七郎候補のビラ

日高十七郎候補のビラが手に入った。奥さんがこれを配って歩いているそうだ。私は今まで屋久島の政治がどんなものか、その程度の低さ、滑稽さを何度も書いてきたが、まず全国の人たちには理解されなかっただろうと思う。なにしろ普通の人の想像を絶しているのだから。ちょうどこれはそれを判りやすく示しているので、今の日本にこんな地域もあるということを皆さんに紹介したい。留意していただきたいのは、これは泡沫候補などでなく、現職町長のものであるということだ。

ビラ1s.jpg

まず町長の条件は「善良な人」だけだと主張している。つまり能力も施策も一切関係ないというのだ。実際、この人はもう20年以上も町長をやってきたが、何一つめぼしい実績はなく、ただ再建団体一歩手前にまで町の借金を積み上げてきただけだ。それでもなお、善良だから良いのだと開き直っている。

またこの内容には矛盾がある。この文面では善良なのは自分だけ、他の候補は善良ではないと主張している。しかし他人のことを悪し様に言う人が善良であるはずがない。実際この人が他人の悪口を平気で言いふらしているのを多くの人が聞いている。それでも自分は善良だと売り込むとはよほどの卑劣漢ということだ。

ビラ2s.jpg

一緒に配っているこちらのビラはもっと滑稽だ。「他の人を批判したり非難したりせず」とあるが誰のことかと言いたくなる。先日の議会で、町長提出の「徳田虎雄先生の名誉町民推戴」の議案が、今の時期かえって徳田先生に迷惑をかけると審議拒否された。ここの議会にしてはめずらしいほどの良識を示したわけだが、それに対してこの町長は、自分の提案権が侵害されたと全議員の前でカンカンに怒ったそうだ。つまり「互いに認め合い、理解しあう」ということとは全く無縁の人なのだ。

「人間の真の価値」とある。それと町長の価値とはどんな関係があるのか。町長は仕事をしてこそ、そして住民のためになってこそ価値があるのだ。これは宗教の勧誘だろうか、それともお見合いか結婚式の挨拶か。あるいはこの人は町長は象徴であればよいと考えているのか。しかし天皇と首相とは違う。この人は屋久島の天皇であるつもりか。だから一生その地位にいなければならないと思っているのか。

この人には地位と財産がある。また人を欺むいたり利用するという点では抜きん出た才能がある。表面的には優しく思いやりがありそうだが、近くにいた人で、酷い奴だと罵って離れていった例も多い。町に大損害を与えた崖地購入問題で裁判になった時、公費で弁護士に高額を支払い、また役場職員に嘘を書かせたりして必死になって自分の身を守った。それを議会で追及されると、自分のために血税を使って申し訳ないと釈明した。そこまで理解していながら結局なにも変らず血税を使い続けた。それでいて誠実だと自称するのだから、もう骨の髄までペテン師と言うしかない。

ともかく選挙とはまず公約で争うものだろう。自分はこんな町にしたい、そのためにはこういうことをすると公約して立候補するものだ。しかしこの人からそうした具体的な話は一切無い。もちろん言えるはずがない。何か言ったら、それではなぜそれを今までやらなかったのか、と言い返されるだけなのだから。こうして、猫っ被りした人柄だけで、この人は7選に臨もうとする。それを許す住民、こんなものが大手を振るってまかり通る屋久島の政治というものが私には耐え難い。屋久島には表の世界遺産の陰に、民主主義の戯画とも言える日本の田舎政治の裏遺産があるのだった。
posted by 夜泣石 at 14:32| Comment(3) | 屋久島町の動き | 更新情報をチェックする

2011年09月22日

日高十七郎候補の名刺

日高十七郎候補のビラはまだないようだが、まずは選挙用の名刺が手に入った。あれっと思ったのは赤字で「ひたすら一生懸命」とあったことだ。ここには長い間「まじめにまっすぐ」と書かれてあった。さて何が変わったのか。何で変える必要があったのか。言葉としては前の方が良かったかと思うが、その内容の空疎さがさんざん叩かれていたから変えざるを得なかったのだろう。それとも今まではまじめだったけど一生懸命ではなかったと反省をしたのか。何しろ「今までは(やるべきことから)逃げていた」と自ら公言しているくらいだから。

ともかくここは他の候補者との違いを一言で表すところだ。他の候補は、かつての自分と同様、一生懸命ではないと言いたいのだろうか。しかし一生懸命とは自己評価かつ自己満足でしかなく、業績とは関係ない。住民からすれば一生懸命かどうかでなく、ただ成果を出して欲しいだけだ。そもそもこれでは、この人はどんな町にしたいのか、住民のため町のため何をするつもりなのかさっぱり判らない。なおついでに言えば一生懸命の言葉は一所懸命の誤用あるいは転用で、教養ある人は使わない。

裏面には青字で大き目に「やりたいこととできることは別。その見極めが大切」とある。つまりこの人はできることしかやりませんと言っているのだ。そんな姿勢は個人生活でも社会においても全く間違っている。世の中、まずやりたいこと、やらなければならないことが先にあるのだ。それを何とか実現するよう全力を尽くす。もちろんさまざまな障害や時の運で結果的にできないこともある。しかし最初からできるのが確実な安易なことしかやらないのでは全く進歩も改革もありはしない。

この人は続けて「やるべきことをきちんと!」と書いている。しかしこの人の20年以上の実績において、やるべきことが全くできていなかったのは周知の事実だ。ということは「やるべきこと」だったけど「できること」ではなかったと言いたいのだろうか。それなのに当選を続けてこられたのは、人柄が良いという評価と、奥さんによる徹底した拝み倒しとゲンナマ戦術だった。支持者ですらこういうことを笑って認めるほどなのだから、この言葉はもう悪い冗談ぐらいにしか聞こえない。

ともかくこれらの言葉は大の大人が、しかも町長選で使うようなものだろうか。戦前ならともかく、今の時代、小学生でも恥ずかしくて言えないレベルだ。いったいこの人は長年町長をやってきて、周りにまともなスタッフとかブレーンとかは一人もいないのだろうか。

ところで議会の一般質問で、この人の出馬表明を引き出した満園明議員は「自分は出ないから次は出てくれとある議員を口説いておいて今さら何だ!」とまで詰め寄ったそうだ。これは荒木博武候補のことで、結局前回の柴鉄生候補と同様、北部票の分断に利用されてしまったわけだ。まったく猿回しの猿同然だと、この二人は気付いていないのだろうか。ともかくかつての親衛隊長にこんなに汚い奴だと暴かれて、それでもなお良い人だとの評価はこの島では変わらないのだろうか。

出馬の第一理由に挙げたのは馬毛島問題だそうだ。しかしこの問題を他の3人の候補は一言も触れていない。それが住民の関心事ではなく、また屋久島の将来に関係するものでないことを知っているからだ。この人も現町長として、屋久島にはほとんど影響はないと認め、ただ風評被害による観光客の減少だけを反対理由にしている。その一方、自然保護を名目に登山客数を制限しようと躍起になっている。減るのは困ると言いながら自らは減らそうとする、観光政策として全く支離滅裂なのだ。結局この人はそんなことはどうでもよく、ただ共産党系の移住者の票を欲しいだけなのだろう。ところで共産党系の連中は、崖地購入問題などの追及でこの候補がいかに悪いことをしてきたか判っているはずなのになぜグルになるのか。彼らもまた、島のこと住民のことなどどうでもよく、ただ彼らの信じる反米闘争のために利用しようというつもりなのか。

さてこの人の票獲得作戦は、ついに徳州会の徳田虎雄先生の利用を企むところまで来てしまった。日高十七郎の名で名誉町民に推戴することにより、恩を売って徳州会票を得ようと細工をしている。徳田先生の名誉町民に反対する住民はまず一人もいないだろう。いやなぜもっと早くしなかったのかと思う人ばかりだろう。それをよりにもよって出馬表明した議会で決めようとする、しかも追加議案で出すという慌しさだ。追加議案とは災害など緊急時のものだろう。もし徳田先生が危篤で、何とか間に合わせたいというなら判る。そうでなければ慌てて出すような議案ではない。それどころか追加で出すこと自体が失礼だ。しかもなぜ今なのかという質問には、特に理由はなくただ遅れただけとしか答えていない。これでは下心があると自ら白状しているようなものだ。おかしいと思わない方がおかしい。当然、議会でもそうした質問や懸念が出されている。それに対して下野議員が、全会一致になるよう各議員を必死に口説いているそうだ。しかしそもそも口説かなければならないこと自体がおかしい。全議員が、また全住民が心より名誉町民になってくださいとお願いしてこそ名誉なのだ。工作して無理やり決めたものなど、名誉どころか不名誉極まりない。徳州会は、たとえ議案が可決されたとしても、こんな名誉町民推戴など辞退しなければならない。徳田先生が選挙に利用されたという噂など、これほど名誉を傷つけるものはないのだから。また屋久島の全住民は、日高十七郎候補は良い人どころか、自分のためには島の大恩人の顔に平気で泥を塗ろうとする「人で無し」だと早く気付くべきだろう。
posted by 夜泣石 at 09:09| Comment(2) | 屋久島町の動き | 更新情報をチェックする

2011年09月16日

小脇清治候補のビラを読む

小脇清治候補のビラを手に取った住民は、誰もがびっくりしたのではないか。今までの屋久島では見たことも無いような内容だからだ。しかしこれこそ全国に通用する本来の選挙公約のあり方なのだ。

まず標語として「危機からの脱却、新生屋久島を創る」とある。「決断・謙虚」とか「まじめにまっすぐ」などとはえらい違いだ。住民のために何をするか、何のために立候補するのか、力強く宣言している。他の候補は、何もしないけど人柄は良いから町長にしてくれと懇願しているだけだ。

前書きでは現在の屋久島の閉塞的状況を厳しく指摘している。そしてそれに対処するには「優れた経営感覚と積極果敢なプロジェクトの計画実行が必須」と訴えている。さらにそれができるのは「長年の役場体験と事業経営の経験」を持つ自分だと宣言している。全くその通りと言うしかない。そもそも行政というのは町の経営であるのだ。しかし他の候補者にはそのような意識はなく、またしかるべき規模の経営経験も組織の運営経験もない。

裏面に並ぶ施策も極めて具体的である。第一次産業振興では、産業振興公社とか鯛之川発電所とか、他の候補者では思いも浮かばないようなものが並んでいる。また「観光産業とのタイアップ、地場産品によるおもてなしの徹底」は、地元で試食会が常時開かれるようなもので販路拡大に極めて効率的だ。またその観光振興では「冬でも雨の日でも老若男女誰でも楽しめる観光地を創出する」とある。観光地としての屋久島の課題は、冬は閑古鳥が鳴きまた雨の日は多くの人がどこにも行けないことだ。常時あらゆるお客様を迎え入れられるようになれば、屋久島の観光収入は何倍にもなるだろう。

「屋久島パスポート創設」は、島内各所でばらばらに徴収されている各種協力金などをまとめて徴収することにより、まず観光客の便宜を図り、またそれを総合的・全島的見地で有効に投資しようということだ。以前から議論のある入島税が観光客から金をふんだくることばかりを狙っていると反発が多かったが、これならかなり受け入れられるのではないか。

「政治および行財政改革」では、まず「補助金頼みでなく、自力での収入増」をうたっている。これも旧来の物乞い政治との決別宣言である。さらに「行政の透明化」として、「町の決定事項は結果だけでなく、その判断理由まで公開」また「行政における問題点、課題、失態すべて包み隠さず公開」としている。役場も万能ではないから間違うこともある。その時はすぐに町民に謝ればよいのに、それを隠そうとするから人々が疑心暗鬼になり、また不正がはびこることになるのだ。これらが実現したら屋久島町は行政の透明化において日本のトップにもなることだろう。それは世界自然遺産に並ぶ勲章とも言える。

そして「多選排除」。これだけでもこの候補に投票する意味があるくらいだ。何しろこの島では多選の弊害をいやというほど味わっている。選挙で選ばれたのだから何回でもいいだろうと言う人がいるが、それは間違いだ。今の選挙制度では現職側が圧倒的に有利だから公正な選挙戦にならないのだ。そもそも本当に町長の職務に心血を注いだら、8年どころか4年でもすっかり燃え尽きてしまうはずなのだ。

さらに「停電のない町づくり」。住民は頻発する停電で直接被害をこうむり、また不安に脅かされている。この問題に取り組まないのなら、それだけで町長失格と言える。世界中、電気のあり方は今後10年、20年のうちに大きく変っていく。スマートグリッド(次世代送配電網)化が進むのだ。今のうちから体制作りをしていかないと屋久島は世の中の動きから全く取り残され、それこそ文明の化石になってしまう。こういうことが他の候補者には何も判っていないようだ。

最後に「グランドデザインの策定」。現町長のもとで基本計画とやらが策定されていたが、これを計画だと言ったら世間に恥をさらすようなものだ。何しろ掛け声や訓示のようなものばかりで、どういう島になるのか全体像が全く見えず、また計画には不可欠な期間や予算などの数値が入っていない。これでは具体的にどうすればよいか判らず、行政は右往左往するばかりで金をドブに捨て続けるしかない。屋久島の未来を切り開くのに一番必要なのはグランドデザインの策定なのだ。

以上、小脇清治候補には明白かつ革新的なビジョンがある。他の候補者は基本的に現状維持でしかなく、それでは町は今後もこのままずっと迷走を続けるしかない。もちろんここに並べられた施策のうちどこまでが任期中に実現できるか、それはやってみなければ判らない。しかし屋久島の明日を開くにはこの方向に進むしかないことだけは明白だ。まずはこの人に町を託して、将来への道を切り開いてもらい、その後その先を若い人たちが突き進んでいくようになることを願うばかりだ。

ところで私のブログを読んでいる人は、主張にかなり近いものがあると思われたことだろう。我々はめったに話すこともないが、この人は私のブログの読者で良き理解者である。今回は頼まれてわずかな時間ではあったが協力した。それを「お前は利用されている」と言う人がいる。しかし利用するというのも実力のうちだろう。これは使えそうだと見抜き使いこなす。それもまたリーダーには欠かせない能力の一つだ。私は誰とも徒党など組んでいないしこの島で何の利害関係もない。そして考えたことは誰でも読めるように公表している。だから参考にしたり利用・活用など誰でも自由にできる。それなのに全くそうしなかった他の候補者たちは、内容が理解できないか、あるいは利用するだけの能力がなかったということだろう。
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2011年09月13日

荒木耕治候補のビラを読む

荒木耕治候補のビラは、後援会報第5号というものだけが我が家に入っていた。以前の号がどんなものか知らないが、たぶんここにすべてが集約されているのだろう。後援会報だからということか、後援会長の挨拶が先にある。「将来への夢や希望を語れるような状況ではありません」など、屋久島町の惨状を正確に捉えている。そして「期待を託すことのできる信頼と実行力のあるリーダー」として荒木耕治を支援するとしている。それを受けて荒木耕治候補も「島民の期待は失われ、先行きの見えない政治」が行われていると断言している。そして「人心の一新はもとより、新たな視点・発想で飛躍することが重要」と、立候補の決意を表明している。ここまでは多くの住民が同感するだろうし、なかなかいいなと思う内容だろう。

ビラの裏を見ると、まず「決断・謙虚」と大きく書かれてある。しかしこれは矛盾している。世の中、決断力のある人はあまり謙虚ではないし、謙虚な人はたいてい決断力は無いからだ。まあ反省の意を込めて書いたのかもしれないが、基本的にはどちらだと言いたくなる。それよりこうした標語は行政とも住民とも無関係で、まるで小学校の学級委員か何かの選挙のようだ。住民が何より知りたいのは、その候補は町のため住民のため何をしてくれるかだ。何もたいしたことはできないから、現職と同様、人柄だけをまず押し出すしかないのだと勘ぐりたくなる。

それを裏付けるかのように、肝心の施策は酷い。7項目が箇条書きにされているが「行財政改革を推進します」「各種産業の振興に努めます」といった言葉が並んでいるだけだ。具体的にどうするのか、どのようにしてそれらが可能になるのかなど一切触れられていない。内容は月並み総花的で、これでは何も言ったことにならない。このレベルならどんな泡沫候補でも同じことを書くだろう。

特に驚くのは「島の伝統・文化を大切にし、集落自治の発展に努めます」が施策の第一であることだ。これが島民の最も期待することであり、これによって政治の先行きが見えるというのだろうか。そもそもこれからの時代に、集落自治の発展などありえるだろうか。

私は島を出て行くに当って、自作のみやげ物である「願い石 叶い石」を子ども会に譲渡したいと申し入れた。子供たちが石を拾ってきてみやげ物にして売る、それは子ども会の収入としても、子供たちの創造性を養う上でもまた社会勉強としてもなかなかよいことだと思ったからだ。しかし断られてしまった。理由は「今、会長のなり手がいなくて困っている、そんな仕事が増えたらますます誰も引き受けてくれなくなる」というものだった。子供の育成は集落自治の中でも最重要課題の一つだろう。またここの集落は子供の数は少なくないし、区費が一番高く集落自治が最も盛んと言われているほどだ。そこですらもう人々の心は離れてしまっているのだ。そもそも全国を見渡せば、今のような集落自治をもてはやすのは懐古趣味くらいの類だと判りそうなものだ。

こうした施策の羅列の後に太字で「上記の施策を力強く推進するには、島民の融和と協力が重要です」と書かれてある。とんでもない、事を為すのに最も重要なのは首長のリーダーシップであり、革新的かつ大事業であればあるほど、時には強引さも必要になるのだ。この候補は、自らリーダーシップはありませんと言っているに等しい。

表紙で後援会長は「財政再建、少子高齢化、福祉対策など山積する諸問題について早急な対応が求められる」と書いている。ところがこの候補のこんな能天気な施策の羅列は後援会長の問題意識とはかけ離れている。また「信頼と実行力のあるリーダーが必要」と書いているが、このビラからは実行力など微塵も感じられない。後援会長は、本心からこのように考えているのなら、速やかにこの候補を見限るべきだろう。
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2011年09月11日

荒木博武候補のビラを読む

10月の屋久島町長選に向けて各立候補予定者のビラが配られている。しかしじっくり読む人もあまりいないようで噂にもなっていない。本来はこれらを比較検討した上で誰に投票するか決めなければならないはずなのだが。そこで少しでも話題になるようそれぞれの内容を講評してみたい。まず荒木博武候補。

こういうビラは本来、まずどんな町にしたいか、だから何をするか、あるいは町は今どんな問題を抱えているか、したがって何をしなければならないか、といったことから説き起こすのが筋であろう。そしてそれを実行するのに自分が一番ふさわしいのだと訴えなければならない。ところがこの人のビラにはそういうストーリーが一切ない。これではいったいどうして立候補したいのか全く判らない。

ビラの表紙にはその半分を占めて大きな似顔絵があるが、いかにも田舎のおじいさん風でリーダーらしさは全く感じられない。候補者の中では一番若いのだから、なぜその若さを強調しないのか不思議だ。そしてその下に「屋久島・口永良部の高速ブロードバンド化」とだけ書いてある。ということはそれが第一の公約なのだろう。しかし高速ブロードバンドというのはハードの問題であり、大事なのはそれで何をするかだ。行政や教育、医療などに活用すると住民の生活はこんなに良くなると訴えなければならない。つまりそうしたシステム導入が主題であり、それはハードの整備などより、はるかに大変かつお金もかかるものだ。しかしそうしたことには全く触れていない。そもそもこの人自身、自分の意見をネットで公開したりもせず、議長だった時に議会の情報公開など全く進展させていない。これでは高速ブロードバンド化も、いつものハコモノ行政だと言うしかない。

ビラの裏には12項目に渡って施策が書き連ねてある。それらは最後を除いて極めて具体的ではあるが、それぞれの必要性も効果のほども優先順位も不明である。それより互いの関連が見えずばらばらで、これではたとえすべてが実現できたとしても、その時この町がどうなっているのか、その将来像が全く思い描けない。また最後の項目だけ抽象的に「行財政改革に取り組む」と書かれてあるが、どのように取り組むつもりか具体策が全く無い。これではできるかどうか評価しようも無い。「堅実・着実な行政運営」と続けてあるが、もともとこの町は大赤字を抱えているのだから、これでは新規事業など何もしませんと言っているに等しい。

さて施策項目の最初の方に戻ると、まず「在宅・通所・入所への支援強化」、「教諭指導員・複式学級指導員の採用」と並んでいる。耳ざわりは良いが、ではそのお金はどこから出てくるのか。またこれらが町政の根幹で、それによって町の将来が開けるとでもいうのか。そもそも最大課題にするべきは、こうしたことが可能になるよう、いかに町の収入を増やすかではないか。

次に「ぽんかん・たんかん・春ジャガ等の安定価格での販売体制を確立」とある。しかしすでに屋久島のぽんかん・たんかんは落ち目であり、その販売体制の確立は容易ではない。いったいどんな秘策があると言うのか。また安定価格など市場経済ではあるはずもなく、これは補助金を出すと言いたいのだろうか。「屋久トロ」についても加工流通体制確立を約束しているが、これはそもそもそんなにたくさん売れるものだろうか。まずは市場開拓の秘策を提示するべきだろう。

観光施策もいくつか上げられているが、すべてばらばらで総合的なビジョンが全くない。行き当たりばったりの投資は、結局金をドブに捨てることになるのだが。西部林道を自然道にするという施策は賛成だが、これはそれと同時に入り口付近にビジターセンターなど設けて、観光客を呼び込み観光収入を上げることと同期しなければ意味がない。

訳の判らないのは「花いっぱい運動」だ。どういう効果があるのか、ここに並べなければならないほど重要なことなのか。またどんな花を考えているのか。もし素人受けするコスモスとかヒマワリとかだったら、そんな外来園芸種は全く不自然であり、それは世界自然遺産を踏みにじることになるのだが。

また「照葉樹林帯を復活する」とある。それでサル、シカの被害を食い止めると書いてある。しかしサル、シカは良い環境があれば増えるのだ。増えたら里にあふれてきてしまうのは当り前だろう。続けて「紅葉の森を観光資源化する」とある。紅葉は落葉広葉樹だ。照葉樹林帯の復活とは相容れない。屋久島にもヤクシマオナガカエデなどきれいな紅葉はあるが、それらはパイオニア植物で自然破壊のあったところに生えている。そしていずれは常緑の照葉樹に取って代わられる。もし紅葉の名所にしたければ常に照葉樹を伐採し続けなければならない。そこは冬は灰色の枯れ木の山だ。年中一面の緑の島で、灰色のパッチは醜いと思わないのか。

どうもこの人は自然に関する知識が欠けるようだ。もちろん人は万能ではないから、苦手の分野があっても仕方がない。ただ自分はその分野は苦手だと自覚し、得意とする人に教えを請えばよいのだ。しかしこの人は、こんな大事な町長選の公約作りにおいてそれをしていない。たぶん自分の弱点への認識などなく、独りよがりで突っ走ってしまうのだろう。こうした人間性がこの候補の最大の問題だと思う。そういう人に住民の命や町の運命を任せることはできない。
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2011年08月28日

屋久島町長の品性

屋久島町の現町長が、何とも面白く、いかにもこの人らしいことを言っているとの噂を聞いた。現町長は旧屋久町長を5期、そして続けて町村合併後の初代屋久島町長に当選して既に4年が過ぎようとしている。7期目を目指して出馬が取りざたされているが、町長選はもう2ヶ月に迫っているというのにこの期に及んで明言していない。どうも本人は迷っているとのことで、その理由として以下のような説明をしたとのことだ。

まず出馬したい理由。「この4年間を振り返って、自分は楽な方に逃げていた、という反省がある。前回の選挙の時、これが最後、合併の総仕上げをしたいと宣言したのだが、それができていないので、やり残したことをやるためにもう一度出たい」ということなのだそうだ。

この町長に何の実績も無いこと、選挙の時の公約など全く果たされず、町はばらばらのままで合併の効果はほとんど上がっていないということは全住民の一致した見解だ。なにしろ少し前の議会で、町長派の議員ですら一般質問で言及していたくらいだ。

それを町長自身も自覚しているというのだ。そしてそれを自ら明言するとは、なかなか立派な態度だと思う。しかし、だからもう一度やりたいというのはまともではない。できなくて申し訳なかった、これで引き下がりますというのが普通の人の感覚だろう。

今までできなかったことが、なぜ次にはできるようになるのか。この町長は「今までは逃げていた、今度は逃げません」と言いたいようだ。高校野球ではあるまいし、そんな精神論が通用すると思っているのだろうか。今までできなかったら次もできない、というのが世間の常識だろう。実際、この人は20年以上も首長の座にあって、めぼしい業績など一切なく借金だけを積み上げてきている。20年以上も逃げ回っていて、どうして急にできるようになるというのか。

さて次に出馬をためらう理由。「自分の選挙は、ご存知のようにいつも家内が前面に出て戦ってきた。それが今、親の介護で忙しくなって選挙に十分な時間を割くことができない」。したがって選挙戦が厳しいということだそうだ。

これも住民みんなが同じ認識をしている。そして奥さんの選挙戦術も皆が知っている。徹底的な戸別訪問なのだ。老夫婦の家など一軒一軒訪ね、勝手口から入り込んだりして、何かで膨らんだ手で握手して回る。もちろんその膨らみは有権者の方に移る。

つまりこの町長は、自身の思想やビジョン、また具体的な政策などで選挙に勝ってきたのではないと自覚しているのだ。そんなものは屋久島の選挙では役に立たない。だから表向き、もっともらしい出まかせを言っておけば良い。選挙は裏で奥さんが決めてくれる。なるほどこれでは公約など果たされるわけがない。

本来、政治家には信念がなければならない。それを実現したいから選挙に出る。常日頃、自らの主張を述べ、選挙には早くから立候補を宣言しなければおかしい。そんな常識はこの島では全く通用しない。しかもまた、こんな田舎政治の実態をここまであっけらかんと話してしまう町長にはびっくりする。それどころか、そういう人だからこの町長が好きだという住民が多いと聞いてあきれてしまう。特に年寄りの間で人気があるのだそうだ。世間の普通の感覚では、思わず吹き出してしまう冗談のような話だと、いつかここの人たちが気付く日は来るのだろうか。
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2011年08月05日

屋久島町のやらせ署名

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荒海の彼方に霞む種子島

昨今、電力会社のやらせメールが問題になっていたが、私はそんなに騒ぐほどのことかなと思う。いろいろな組織や団体が動員をかけて、自分たちの利益になるよう会議やアンケートなど捻じ曲げるのは、今の世の中、普通のことだ。今度のことも電力会社やその関連会社の社員にとっては自分の職を守る行為と言えなくもない。やり方が汚い、といった批判なら同感だが、現在の歪んだ民主主義の世の中では許されないことではない。

許されないことと言ったら、民間ではなく、政府や自治体などが世論を捻じ曲げることだろう。そして驚くことに今、屋久島町ではそれが公然と行われている。役場と議会が共同して、住民に署名を強要している。そしてマスコミもグルになっているのか批判記事など一切出て来ない。

「馬毛島への米軍訓練基地等の移転に反対する署名」というのがそれだ。種子島と屋久島の全首長と全議会議長名で出されている。それが各種公報などと一緒に公費でもって全家庭に配られている。そして防災無線を通じて署名するよう何度も呼びかけられた。各集落の区長を通じて、またいろいろな公共の集会などで、署名するよう要請・強要が繰り返されていたそうだ。

本来、署名というものは住民が自主的にしなければ意味がない。為政者は住民の声を謙虚に聞かなければならない。行政が音頭を取った署名活動など、アラブ諸国などでよくある民主主義を装った独裁政治と同じだ。反対意見を抹殺し、住民をむりやり一つの方向に動員をかけているだけだ。こんな形で集められた署名など全く意味がない。私は日本国中に向けて、また政府防衛省に対して、屋久島では民主主義は執り行われていないこと、集められた署名は作為的なもので民意を反映していない、つまり全く無意味であり無視してよいことを伝えたい。

さらにこの反対運動がいかに根拠薄弱であるかも言及しておこう。署名用紙の表書きには「基地経済に依存するのでなく農業漁業観光業の町作り」をするのだとうたっている。しかしそれなら、もし本当に基地経済に依存したくないのなら、見返りとしての交付金など貰わなければよいだけの話だ。問題は「農業漁業観光業の町作り」に支障をきたすかどうかだけだ。実はこれがほとんど考えられないのだ。馬毛島はその自然の大部分がすでに破壊し尽くされた無人島で、そこに何を作ろうが被害など出ようがない。問題が起こるとしたら、対岸の種子島の一部地域における騒音被害くらいだが、計算上では新幹線の車内程度だそうだ。これはすぐにでも実験してみるべきだが、それはともかく、実際の戦闘機の訓練飛行は年間数十日くらいだそうで、また最近接地といえども10km以上も離れているし、生活困難になったり町作りに支障をきたすことなどまず考えられない。

まして屋久島には全く関係ない。馬毛島など海の向こうに遠く霞んで見えるだけなのだ。屋久島町議会は、各産業や住民生活に多大の被害が出るとして反対声明を可決したが、さすがに恥かしくなったのか今はあまり聞こえてこない。町長も騒音被害などほとんどないと認め、今は世界遺産の名に傷が付くとして、観光業における風評被害だけを訴えているそうだ。しかしそれは防衛省から一笑されてしまった。馬毛島は屋久島から40km以上も離れている。ハワイでは10kmのところに基地があるが大観光地になっている。そう言われて屋久島側は「それはあまりにアメリカ的発想。この島の自然を軽視するな」と負け惜しみを言ったそうだ。しかしそもそも馬毛島に何かができたところで、日本国民の何人がそれと屋久島と結び付けられるだろうか。

配布された資料の中には「種子島、屋久島には戦闘機の爆音は似つかわしくない」という言葉がある。これが「日本には似つかわしくない、国内から基地をなくせ」と言うのなら一つの考えとしてあり得るだろう。しかしこの島の為政者たちは革新系どころか保守反動といえるほどだから、そんな考えを持っているわけがない。ということは、自分たちの島には駄目だが、似つかわしいところは他にあるということのようだ。沖縄だったら爆音は似つかわしいと言いたいのだろうか。世界遺産の島だとちやほやされて、それほどここの人たちは思い上がっているようだ。実際には地元住民はたいてい無関心(だから求められると付き合いで署名する)、騒いでいるのは利に聡い政治家や有力者、そして反米闘争にまい進する共産党系ぐらいのようだが。
posted by 夜泣石 at 10:06| Comment(1) | 屋久島町の動き | 更新情報をチェックする

2009年12月18日

屋久島のポンカンは不味い

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今、ポンカンの収穫がピークを迎えている。あちこちの畑に人影が増えて、ポンカンを満載したトラックが道路を行き来している。その収穫した実を見てびっくりすることがある。まだずいぶん青いのだ。黄色の部分はせいぜい半分くらいだろうか。

ポンカンは屋久島の特産品の一つなので、島に来て期待して食べたのだが、そのおいしくないのに驚いたことがある。もちろんすべてが不味いというわけではないのだが、出荷用の見た目のきれいな大玉のものが特にいけない。全体がとてもきれいな黄色に色付いているから、余計に裏切られた感じがする。

そのうちこれはガス処理されたものであることを知った。まだ青いうちに採ってエチレンガスにさらす。そうして人工的に熟させるのだ。そうすると表面はきれいな黄色になる。また果肉の酸味は抜ける。しかし甘みはそれほど増えないようで、結局甘くも酸っぱくもなく風味のない馬鹿みたいな味になるのだ。ある農家の人の話では、家族の誰もこんなものを食べたりしないのだそうだ。

なぜそんなことをするのか。ただ儲けるためだった。暮れ正月に贈答用で相場が跳ね上がる。それに間に合うよう、まだ青いのにすべて採ってガスでむりやり熟させて出荷してしまおうというわけだ。贈答用だから見た目が第一なのだ。それに自分で買って食べるのではないから、おいしくなくても苦情はあまり出なかったのだろう。農協の指導で島中ずっとこんな事が行われてきたのだった。

しかしさすがに最近、屋久島のポンカンは不味いという評判が広がってきたという。それにガス処理されたものは痛みやすい。箱を開けると真っ白にかびていたといった苦情も時々寄せられているという。自然遺産の島のブランドがあるから、そのギャップに人々の失望は余計に大きいようだ。そういう経験をした人はもう屋久島ブランドには手を出さなくなるだろう。目先の利益を追求した結果、長い目で見ればブランドそのものを台無しにしてきてしまったのだ。屋久島にはタンカンなどおいしいものが他にあるが、それらも敬遠されることになる。最近は相場も下がって、ミカン農家はほとんど儲からないのだそうだ。

この島の農業の抱える問題はそれだけではない。我が家の周りのミカン畑はどこもかなりの年の老農夫ばかりだ。彼らはあと5年も続きそうにない。そして後継ぎもいない。このあたりは一面雑木林に戻るだろう。そして同じことがこの島中に広がりつつあるのだ。

農協に言われるままに肥料を買い農薬をまいて、ガス処理してまた農協に納める。おいしいものも不味いものも一緒くたで品質に責任はない。これでは努力して良いものを作る意欲など湧くはずがない。働く喜びもなく、じり貧になるのは当然だ。そしてこんな農業の後継ぎをしたいなどと若者が思うわけがない。親たちもほとんど子供を本土に出したままで呼び戻す気などないようだ。

ところで屋久島のポンカンはもともと不味いのだろうか。中には個人で努力し、おいしいものを作って農協を通さず出荷している人もいるようだ。またごく少数だが、無農薬で一つ一つ袋がけして作っている人がいる。それはとてもおいしく見た目もきれいだ。ただ手間がかかり、また樹上完熟させるので暮れ正月に間に合わない。しかし確実にファンを掴んでいるようだ。それとは別につい最近、意外なポンカンをもらった。なんでも切り倒すつもりの木を暇がなく放って置いたのだが、それがたくさんの実を付けたのだという。何も手をかけず肥料も与えなかったそうで、見た目はそれほどでもないが、これがびっくりするくらいにおいしいのだ。甘みも酸味も強めで何より風味がある。皮をむいた瞬間、立ち昇るような香りがあるので、我が家ではそれで毎日ミカン風呂を楽しんでいる。

これと比べると肥料漬けの木は成人病にかかったようなものだと思う。野生を取り戻し、自分の力で生きてこそおいしい果実も実るのだ。そしてこんな野性的な味わいこそ、最近の果物に最も欠けているものだろう。このあたりに今後のミカン作りのヒントがあるのではないだろうか。木が最も健康になるよう自らの目でしっかり見て最適な手入れをする。必要なのは見て回る時間と木の状態を見抜く能力で、肥料や薬などはぐっと減らすことができそうだ。そしてそんな自然遺産の島にふさわしい付加価値の高い果物ができれば、相応な価格で売ることができるはずだ。

幸いなことにここには観光客が年間何十万人も来てくれる。観光業と手を組んで、手塩にかけて育てたおいしいものを食べて貰う。そして通信販売のパンフレットを渡す。感激するくらいおいしいものならばかなりの人が注文してくれるはずだ。また最近はミカンだけでもさまざまな品種がある。ミカン以外も入れれば、この島の気候ならほぼ一年中果物の収穫はできるだろう。そうして年間を通じてさまざまな果物を提供できれば、狭い島の農業くらい十分支えられるほどの注文が来るものと期待できる。

離島なのだから本土と同じことをしていては立ち行かない。しかしこの島には観光とか気候とか、他地域では望めない利点があるのだ。もし全国に試食会を開いて回ったら、いったいどのくらいの宣伝費がかかるだろうか。それがお金をかけずに居ながらにしてできるのだ。そうした強みを生かす道を考えればよいのだ。多品種、高品質、直接販売といったアイディアはすぐ出てくると思う。

そしてこういう取り組みは行政主導で島を挙げてやらなければならない。しかし今は何ら手は打たれていない。町長は議会で農業振興について質問され、協議会を作ったとか、営農支援の担当者を増やすよう県に要請したとか答えていた。そんな小手先のことでこんな状況を打開できるわけがない。何が重要かと言えばビジョン作りだ。産業はすべてどこにどのように売るかという話があって、何をどう作ればよいかが決まるのだ。農業だけ考えて、作りさえすれば良いというのではないのだ。観光や流通など他の産業と一体とならなければ振興などできるわけがない。そうしてやりがいがあって儲かる農業になれば、働く人は自然に集まってくる。老齢化や過疎問題なども解決する。この島で今一番必要なのは、ビジネス感覚にあふれ、指導力ある首長を早急に登場させることだろう。
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