2011年07月19日

軍事クーデターを待望する

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ツルラン(本文とは関係ありません)

「この未曾有の天災時に、首相がこの人であったことが日本の不運であり転落の始まりであったと、後の歴史に書かれるような気がする」。 これは東日本大震災の5日後、3月16日に私がここで書いたものだ。不幸なことに的中してしまったようだ。私に先を見る目があったということか。いやそうではなく、これは日本人の多くが程度の差はあれ感じていたことだったと思う。そして今、私は軍事クーデターを待望する気になっている。これもまた多くの日本人が漠然とではあっても感じていることだと思う。今、軍部が立ち上がって首相を捕まえて牢屋にぶち込んだら、ほとんどの国民は拍手喝采するだろうから。

この大災害は第二の敗戦などといわれている。しかし第一の時には米軍という強権があった。弊害ももちろんあったが、総じて戦後の復興、わけてもその速さと革新性などは彼らのおかげであったといえる。今、反米主義者が後生大事に奉っている日本国憲法、特にその九条も米軍が与えてくれたものだ。それに比べて現在、その強権がなく、すべてがばらばらでいつまでも右往左往するばかりだ。リーダーに最もふさわしくない人が首相であり続けて日本を混乱に陥らせている。その周りの人たちも個々の思惑ばかりで勝手なことを言っているだけだ。国のためにこの首相と刺し違えようと立ち上がる人などどこにもいない。

そもそも世の中のことには絶対はない。どんなことにも欠点はあり反対者はいる。しかし何かしなければ先へは進めない。特に非常時にはしゃにむに行動しなければならないから、一つの明確な目標を掲げて障害を蹴散らかしていくために、一時的に民主主義を制限することがあっても仕方ない。いや元々この国の民主主義は形骸化してしまっているからどうということもない。ましてその精神からして民主主義からかけ離れている首相を排除するのに、超法規的手法が取られるのもやむを得ないだろう。

強権を持って国を治めるのは今の政治家たちにはできない。それは統制の取れた暴力装置である軍部の役目だ。そもそも今の日本のような政治状況になったら、まともな軍隊のいる各国ならどこでも軍事クーデターが起きているはずだと思う。あるいはこういう時のために天皇がいるのかもしれない。形の上だけでも天皇親政にしてしまったら、日本では収まりがよさそうだ。明治維新はそうやって成功したのではなかったか。

さて軍事政権にはまず、被災地の復興と原発事故対策にまい進してもらう。政治家や御用学者などにつべこべ言わせないで、さっさと大計画を立てる。日本には優秀な官僚が幾人もいるのだから、そこから抜擢した部隊を作れば現実的常識的な大計画などすぐできるだろう。もちろん官僚には革新性などは望めそうにないが、似非知識人などに振り回されるよりずっとましだ。そして大計画の下、強権を持って速やかに実行する。

原発については、安全性が高いと見込まれるものはすぐ再稼動させる。今の日本に必要なのはまず経済の復興だ。そのためには十分な電力供給は必須なはずだ。危険のあるのは承知の上だが、それは可能性の問題、確率的問題であって議論で答えの出るものではない。いずれはすべての原発を廃止するべきだと私も考えるが、性急にやって日本経済が沈没し、人々が貧困に苦しむ羽目になったら元も子もない。脱原発は段階を追って数十年ほどもかけてやっていくしかないだろう。

米軍基地の問題も強権を持って決めてしまうしかない。この問題は民主的にやっていたら絶対に解決できない。話し合いなどしても、絶対反対で聞く耳を持たないか、あるいは見返りの金の相談でしかない。国民の側が民主主義の基本をわきまえず、ただそれぞれのエゴを振り回すだけなのだから。

そして最終的に取り組んでもらいたいことは政治制度の改革だ。こんなどうしようもない政府になってしまったのは制度が悪かったからだ。そして不適切な制度で選ばれた人たちに、その制度の改革などできるわけがない。敗戦時と同様、根本的改革には強権を持ってするしかない。

まず強力なリーダーを出現させるために、大統領制かそれに近いものにするべきだろう。国民が直接選び、そしてかなりの権限を与える。また議会が立法府というのは幻想であり、立法に必要な能力経験など備えた議員などほとんどいない。大統領の下に束ねられた専門家集団が、行政に必要な立法をしていくしかない。議会は大所高所から、また逆に国民の目線からそれを監視し必要な承認を与えるだけだ。そうなると政党などは不要で個人主体であればよい。もともとこれだけ多様化している時代に政党などで括ること自体に無理があるのだ。またネットの普及で、国民誰もが議員や政府と直接的に会話することのできる時代だ。議員は全員、行動予定と実績を公開し、またすべての議案や問題に対して個人の見解を表明するのを義務とする。そうすれば地盤や看板でなく見識によって選ばれるようになっていくだろう。

こうしたことを盛り込んだ新憲法を作って国民投票でもって制定する。それに続く大統領選には軍人たちは出馬しない。潔く総退陣すれば、それまでの強権や圧制にもかかわらず、日本国民は彼らを救国の恩人として褒めたたえ感謝することだろう。しかし、ああ、致命的なのは、今の日本には真に国を憂うる将軍や大将などどこにも見当たらないことだ。
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2011年04月13日

原発反対へ宗旨変え

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福島原発事故は予断を許さないどころか、ますます深刻度を増してきている。これは多くの日本人にとって思いもかけなかったことだろう。我々はこの国の政治家や官僚たちを全くと言ってよいほど信用していないが、科学者・技術者たちには全幅とも言えるほどの信頼を置いている。その日本の技術力をもってすれば早晩解決されるだろうと誰もが思っていたはずだ。そんな期待を裏切って事態は行き過ぎてしまっている。

責任者たちは口を揃えて今度の災害は想定外だったと言う。しかし今、何と全ては想定されていたことが明らかになりつつある。津波の直後に、炉心溶融の危険性は現場の技術者たちに認識されていたそうだし、もう数十年も前から停電でも働く無電源の冷却装置の必要性は判っていて、最近の原子炉では設置されていた。何よりこの津波は地震学者たちの調査で、このくらいの規模が起こる可能性があるとすでに警告されていたのだった。

原子力安全・保安院は最近の記者会見で、警告された規模の津波にどう対処するかこれから検討するところだったが、その前に来てしまったと平然と釈明していた。よくもまあそんなことをしゃあしゃあと言えるものだとあきれてしまう。危険があると判ったら、対策が取られるまで即座に稼動を停止し危険物を退避させるというのが、国民の安全に責任を持つものの任務であろう。

日本の国家プロジェクトには、たいてい寄生虫のような連中がうようよいるものだが、原子力周りがこんなにひどいとは知らなかった。今回表に出てきた原子力安全・保安院だけでなく原子力安全委員会、原子力安全基盤機構、日本原子力文化振興財団、原子力環境整備促進・資金管理センターなどなど、いったい何をしていてなぜ必要なのかさっぱりわからない。全てを合わせると数千人の職員がいて驚くほどの高給を取っているのだそうだ。上の方はたいてい経産省などからの天下りで原子力の素人、たいして仕事もなく勤務時間などわずかなものだそうだ。普通の良識さえあれば、何もしないで高給をもらうなど申し訳ない、人間として潔くないと思うはずだ。そんな感覚すらなくした人たちに国民の生命や安全が委ねられていたのだ。

私はずっと、今度の事故にもかかわらず原子力発電は推進されるべきものと考えていた。今後どの産業も、また我々の生活もますます電気を食うようになるだろうし、それに応じるにはコスト的に、また環境汚染対策上にも原発に替わり得るものがないのだからと。しかも今回の事故は回避できたものであり、対策さえ取られれば安全な原子炉を作れることが逆に実証されたくらいなのだから。

しかし今や、その考えはまずコストの面で間違っていたことがわかった。こんなろくでもない連中を養っていることを始め、裏にいろいろと、とんでもないコストが隠されていたのだ。本来はそうしたコストはすべて電気料金に反映されなければならないはずだ。しかし国家予算の中に隠れて、実際には税金として全国民が電気料金とは別に支払っていたのだった。もしすべてのコストが明白になっていたら、そもそも原子力発電など最初からなかったかも知れない。

福島原発の後始末にかかる費用は、被災者への補償も含めて今後莫大なものになる。それをどのくらい国が肩代わりするか議論になっている。しかしそれはおかしい。この費用もまた原子力発電のコストのはずだ。それを電気を使う使わないに関わらず、全国民にあまねく負担させるというのは理に反する。すべて東電が負担するべきであり、そして受益者負担ということで電気料金に被せるべきなのだ。

こうしたすべてのコストを上積みすると、電気料金はきっと2倍にもなるだろう。それはとんでもないと思われるかもしれないが、実際には今と変らない。なぜなら我々は隠されたコストを税金として、知らないうちに無理やり払わされているのだから。それならすべて電気料金として明確に表に出した方がよい。いやそうするべきなのだ。闇があるから甘い汁を吸う連中が跋扈するのだし、秘密があれば正しい対策を立てることなどできるわけがない。

実際問題として東電だけ2倍にするわけにはいかないから日本全国で2倍にする。東電以外の電力会社は莫大な利益が出るが、それを東電の支援に充てる。また一部を、各社の原発の安全対策に充てる。どうせこれらの費用は否応なくこれから日本として必要なものなのだ。それを税金で賄って判りにくくするのでなく、電気にかかる費用として区分を明確にするだけだ。

電気料金が2倍になったら、国民は言われなくても節電に走るだろう。さまざまな節電技術も急速に進歩するだろう。いやそもそも最初からそれをするべきだったのが、税金の中に隠れていたので必要性が判らなかっただけなのだ。2倍になった当初は社会や経済は混乱するだろうが、やがて落ち着くべきところに落ち着くはずだ。そして電気に対する正しい対策が立てられるようになる。どうせ火力発電も、今のところは安価といえども、いずれ資源の枯渇やCO2問題で、どんどんコストが上がっていくだろう。前もって対策を取るべきなのだ。

原発や火力に代わるべき自然エネルギーの利用は、いつもそのコストが問題になっていた。しかし2倍の価格になれば実用化できる技術はたくさんある。太陽光だけでなく太陽熱、風力、波力、地熱などなど。これらは一つに絞らないで、技術競争のため、また場所の特性に合わせるためできるだけ多様化した方がよい。

ところで原子力も、現在のウラン炉よりはるかに安心安全なトリウム炉というのがあるそうだ。世界がそれを採用しなかったのは、核兵器の原料となるプルトニウムが生産できないからだったそうだ。つまり原子力の平和利用といいながら、実際は核兵器の原料を作ってきたのだ。そしていったんそういう体制ができると、トリウム炉に変換するのはコスト的に合わなくなってそのまま来てしまったのだそうだ。2倍の価格になれば可能性が出てくる。すでに作ってしまった原発をすべて廃棄するのは国家的にたいへんな損失だから、可能なものはトリウム炉に変換していくことも検討するべきだろう。

しかし何より推進したいのは各消費者による自家発電だ。当然のことながらソーラーパネルが本命で、電気料金が高騰すれば一挙に普及するだろう。ただそれに限るのでなく、さまざまな技術も取り入れるべきだ。たとえば我が家の庭の端には渓流があるので、小さな水力発電機を置けば数軒分くらいの電気は作れそうだ。昔、小川に水車が回っていたのと同じことだ。風の強いところでは風力発電が可能だろう。そうした各家庭で設置できる小さな発電キットも、電気料金が高騰すればコスト的に見合うようになり普及するだろう。それらは悪天候に弱い太陽光発電を補うことができる。こうしたマイクロ発電による無数の細かな電気を集めれば、国の総電気量のかなりの割合をカバーできるのではないか。

そして当然、こうした極めて雑多で不安定な電気の供給と変動する需要を制御するためにスマートグリッド(次世代電力網)化が不可欠になる。安定化のためには高度な蓄電も必要だろう。蓄電では日本は充電池で最先端を行っているが、スマートグリッドにおいては遅れを取っている。この機会に、電力会社は一つにまとめて日本全国のスマートグリッド化に邁進するべきだ。また東西のヘルツの統一も、莫大な投資が必要といえども断行するべきだろう。これらは国家プロジェクトといえるもので、電気料金値上げだけでは済まされず国家予算を組む必要がある。そしてそれに今までの原子力関連の予算はすべて振り向けるとしても、それだけでは足りず何かを削らなければならない。たとえば宇宙開発予算など、国民のためにはどちらを優先するべきか明白ではないか。この大震災を好機に国内のエネルギー体制を一新する。そうすれば5年とか10年後、日本は目覚しく復興できるだろう。宇宙に夢を追うなど、それからでもよいではないか。こうしたことだけでなく日本の国家予算は世界2位の経済大国だった名残でぶくぶくに膨らんでいる。この大震災はそうしたものを整理し、身の程をわきまえたものにする絶好の機会なのだ。
posted by 夜泣石 at 11:32| 世の中のこと | 更新情報をチェックする

2011年03月24日

ガイガー・カウンターを全家庭に配るべき

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ホウレンソウなどから放射能が検出されたことで、福島、茨城、群馬、栃木の各県産の農産物の多くが出荷停止になってしまった。原発からの放射性物質漏出はしばらく続く見込みだから、停止期間は長引きそうだ。それにどんどん拡散するはずだから、汚染はこれらの県にとどまるはずはない。いずれ千葉や埼玉、東京、それに北の各県も汚染地域の仲間入りするだろう。こんなことでは日本から食べ物がなくなってしまいそうだ。

しかし考えてみるとどうも過剰反応の気がする。放射性物質は風に流されて広がり、また気流や雨によって地上に降ってくるものだ。だから風向きによって、また気象条件によって届いたり届かなかったりするはずだ。日によって違うし、また同じ県でも地域によって全く違う。汚染の度合いも露地栽培とハウス栽培で大きく違う。それを県単位で一律に規制するのは全く愚かなことだ。そもそも食べ物を捨ててよいほど、今我々は恵まれていないのだ。

放射能汚染というのは、毒物とか細菌汚染と違って外から簡単に調べられる。だからこそ汚染地域で働いた人にガイガー管を向けているわけだ。それで服に放射性物質が付いていないかどうかすぐ判る。同じことは野菜にも言える。つまり収穫時に、あるいは出荷前に毎回ガイガー管を向けてみればよいのだ。大きな線量のものだけ捨てればよい。きっと今廃棄している野菜の9割以上は救えるのではないか。

心配なら野菜市場でも調べる。箱の外から当てるだけなのだからあっという間だ。さらに小売の段階で、各店で商品を並べるときに調べればよい。あるいは店先にガイガー管を置いて、客が自分で調べられるようにしておいたらどうだろう。福島産の野菜をたとえば九州産と比べて、あまり違いがなかったら汚染されていないということだ。

今、東京では水道水が汚染されたと騒いでいる。きっとこれも一過性だと思う。水はいつも流れていくものだ。各家庭で飲む前に調べることができれば、ほとんどの場合安全と判るだろう。つまり各家庭にガイガー管を置けばよいのだ。そしてそれはこれから必須になるかもしれない。そのうち東京にもかなりの放射性物質が降り注ぐこともありえるから、帰宅時とか洗濯物を取り込む時とか、服に付着していないか自分で調べた方がよい。また家庭菜園などしている人にとっても必需品だろう。

ガイガー・カウンターは数万円で買える。しかし上記のような目的にはそれほどの精度はいらない。もともと放射性物質にもいろいろ種類があり、そのどれなのか調べなければ危険度など正確には判らない。一般国民はそこまでできないしやる必要もない。ただ大丈夫かどうか見当が付けられればよい。そして疑わしければ捨てる。それだけのことでも、今捨てているもののほとんどは救えるはずだ。そしてこの目的のために、早急に安価で簡易な放射線量計測器を開発するべきだ。日本の技術からすれば、小さな箱で数千円程度のものなどすぐできるだろう。

政府や御用学者たちは線量が少ないから大丈夫だとしか言わない。こんな話を疑心暗鬼で聞いていれば不信は深まる一方だ。そんなことで不安に襲われていないで、目の前のものを自分で調べればよいのだ。そうすると国民の間に、自分の身は自分で守るという習慣も広がるだろう。さらに放射能に対する行き過ぎた過敏さも直っていくのではないか。化学的な毒と違って、放射能は時間と共にどんどん弱まっていく。また今のところ表面に付着しているだけだから洗えばほとんど落ちる。汚染された牛乳といえども、チーズとか加工品にして一年後かに食べるのなら問題ないだろう。ただこの場合は濃縮されるので、半減期の長い物質がどのくらい含まれているかなどちゃんと調べる必要があるが。

計測器を身の回りに向ければ、我々は常に自然の放射能を浴び続けていることに誰もが気付く。それでもたいていの人は健康に生きている。そもそも毒というものはどこにでもある。我々の身の回りも体の中もばい菌だらけだ。また全ての植物が、動物に食べられないよう毒をもっているそうだ。野菜は品種改良でそれを弱めただけだ。植物の作り出す毒に対し動物の方も解毒能力を発達させてきた。放射能も同様で、この毒は恐ろしいことに細胞の中のDNAを破壊する。しかし我々の体はそれを修復する能力を備えている。問題は破壊と修復と、どちらが優勢かということだけだ。危険はいつも程度問題であり、絶対的に安全ということはありえない。我々の寿命も程度問題であり、誰もがいつか必ず死ぬ。無用に恐れても騒いでも仕方ないだろう。
posted by 夜泣石 at 15:38| 世の中のこと | 更新情報をチェックする

2011年03月19日

原子炉事故は不可避だったのか

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福島原発事故で原子炉への信頼性は地に落ちてしまった。未だ予断を許さない状況では、今はそれを論評する時期ではないかも知れない。しかし現実に対処するだけでなく、これからどうするか考え早急に決めていかなければならないので、あえて触れる。私は関係者でも専門家でも全くないから、かえって客観的な判断ができると思っている。

まず今回故障したのは何だったのか。原子炉本体はあの大地震、大津波にも損傷はなかった。核分裂の連鎖反応も設計通り止められた。ただ地震による停電で冷却装置が止まってしまった。当然停電対策として非常用電源装置が用意してありそれが作動した。そこに津波が来て非常用電源装置が破壊されてしまった。つまり壊れたのは原子炉というハイテク部分でなく、非常用電源装置、つまりディーゼル発電機やバッテリーといったありふれたローテク部分だったのだ。

もし非常用電源装置が原子炉並みに頑強に作られていたら、あるいは少し離れた高台にでも設置してあったなら全く事故にはならなかった。つまりこれはシステム設計上のミスで、主要でないところに隠れていた弱点を見落としただけであり、十分に対処可能なものなのだ。さらに安全を期すために追加の装置として電気を使わないスプリンクラーのようなものを設置しておけばよかった。断水に備えて高いところに大きなプールを備え、非常時にはポンプ車で水を注入できるようにしておけば万全だろう。

また使用済み核燃料の過熱については全くの人災で、そうなることに気が付かなかったというだけだ。放射能が漏れる前に気付いていたら、そばまで近付いて処置することができたはずだ。つまりこれは危機管理マニュアルに明記しておくだけで防げたのだ。それでも心配なら、貯蔵施設を海中に作ればどうだろうか。いざという時は窓を開けて海水を入れさえすればよい。海水中なら過熱にはならず、放射性物質が漏れる心配はない。いやもっと進めて原子炉全体を海中に作ったらどうなのだろう。

改めて考えてみればこの事故で、こうした常識的な対応を取りさえすれば、原子炉はこの千年に一度の天変地異にも耐えられることが実証されたと言うこともできる。

振り返ってみれば、日本は長い間不況や低成長に悩まされてきた。お金はあっても、将来への不安や使い道のなさで退蔵されるばかりだった。それが今、いやおうなく表に出てくる。復興のために世の中に金が回るのだ。また国の予算も、政治家や役人の思惑、国中に蔓延した利権などに食いつぶされてきた。しかしもう無駄使いをしている余裕はない。可能な限り復興に注ぎ込まなければ国がつぶれてしまう。過去を断ち切って、未来を見据えた大計画の下に的確な投資がなされれば、この大惨事は日本復活の絶好の機会にすることができるのだ。

そうして日本が立ち直ろうとする時、生活に経済に今以上の電力が不可欠になる。もし原子力発電を嫌悪し拒否したら、代わりにほとんど石油に依存しなければならなくなる。それは価格、資源量、環境負荷などさまざまな大問題を抱えている。それでは日本復活はとてもままならない。我々は感情的反発に流されず、原子力に対し冷静かつ論理的に対応しなければならないのだ。
posted by 夜泣石 at 15:28| 世の中のこと | 更新情報をチェックする

2011年03月16日

大震災で強まる政権不信

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大震災で日本の半分以上が大騒ぎだが、南の島は全く静かだ。選挙の街宣車が能天気のことを言って走り回っていたり、パチンコ店の駐車場が一杯になってもいた。まあここからではほとんど何もできないから日常生活を続けて悪いことはない。そしてこうして遠くから眺めていると、何かとんでもなくおかしいのではないかと気づくことがいろいろある。

最初におやっと思ったのは、地震翌日、菅直人首相がヘリで被災地を視察したことだ。災害対策の専門家ではないのだから、見たところでいったい何が判るというのだ。惨状を確認するというならテレビだけで十分だ。大事なヘリをこんなことに使わず救助に向かわせれば、その間に10人かそこらの命が救えたはずだ。この人は自身の物見遊山で10人の国民を見殺しにしたことになる。

計画停電というのにも驚いた。停電というのは人々の生活や社会、経済を非常に混乱させる。被災地への救援のためにも、周りの地域はできるだけ早く平常化しなければならないのに逆のことをしている。電気が足りないというが、5地域に分けるということは2割ほど足りないというだけのことだ。都会では日ごろ贅沢に電気を使っているから、このくらいの節電などすぐできるはずだ。各家庭で徹底的に協力してもらう、商店などは替り番こに半分が休む(都会の商店は過剰競争だから半分閉まっても市民生活には何ら問題はない)、企業は半ドンにして午前組と午後組に分ける、あるいは休みにして来るゴールデンウィークの先取りとする。日本は民意が高いから、こういうことを政府が呼びかけたらほとんどの国民が自主的に実行するだろう。強制的に停電する、それを首相がテレビ発表するというのは、一所懸命やっているとアピールするためだけのようにしか見えない。あるいは権力を振るうことを楽しんでいるのか、それとも政権批判から目を逸らさせるために、多くの国民を自分のことで精一杯にさせようとしているのか。

電気といえば原子炉事故の対応も理解に苦しむ。原子炉というからどんなハイテク事故かと思うと、実は水がなくなったというローテク中のローテクの話だ。どこにでもあるポンプとホースで事足りたはずだ。そうした対応を最初にやらなかったから、そのうち高温になって水素が発生し、また炉心溶融が起こって放射性物質が漏れて来て、どうしようもなくなってしまったわけだ。しかもそうなる前に時間的余裕も十分にあった。おそらく現場の技術者には判ったいたのではないか。それをさせなかったのは、軽微な損害で済ませたかった経営者か。そして政府も、知ってか知らずかグルになってしまったわけだ。最初の頃、枝野官房長官が延々と記者会見で、放射能漏れはないとばかり繰り返していた。「そんなことはどうでもいい、どうやって冷やせるかだ!」と私はテレビに向かって思わず怒鳴ってしまった。私程度の知識でも判ることなのだ。この政権は無知無能なのか、それとも大事なことを隠しているのか、どちらにしても信用できないと確信させられた。

救援には、人を差し向けるにも物を届けるにも、また避難させるにも計画が必要だ。この大惨事には国家的計画と強力なリーダーシップが要求される。統制の取れた軍隊に全てを一任してもよいくらいだ。しかしそうしたものがどこにも見当たらず、ただばらばらにそれぞれの現場が必死に頑張っているだけのように見える。この未曾有の天災時に、首相がこの人であったことが日本の不運であり転落の始まりであったと、後の歴史に書かれるような気がする。
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2011年03月12日

東日本大震災雑感

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大地震の惨状に、ふだんはテレビなどちょっと覗くくらいなのだが、何時間も見入ってしまった。丸ごと壊滅している町がいくつもある。あの下にどのくらいの人が埋もれているだろうか。運よく助かった人でもこれからどうなるのだろうか。救助する側もどこから手をつけていいか判らないまま時間だけが過ぎていってしまいそうだ。

ここ屋久島は静かな限りだ。津波警報と船の欠航が放送されているが、入り江が少なくほとんどの人が高台に住んでいるこの島ではまず被害は出ないだろう。それにしてもあれほど地震予知に金をかけてきているのに、なぜ誰も差し迫っていると予想もできなかったのだろうか。地震予知など予算分捕りの方便だ、実際にはできるわけがない、と言い切っていた学者がいた。しかし本当のことを言う人は冷遇され世間から相手にされないというのもこの世の習いなのだろう。今度はいつ東京で起きるか判らない。その時の大惨事も、口に出せないだけで想像は付いている。日本の人口減少が一気に加速することだろう。

私は東京で長く暮らしていたが、こうした災害をいつも恐れていた。できるだけ早く東京から脱出するしかないと思っていた。そうして屋久島に移住した。「お前は自分だけ助かればよいのか」と非難する人がいた。しかしそれは違うと思う。それぞれの人が自分の助かる道を探せば全体の被害が減る。被害者が少なければ救助もしやすい。各自が自力で助かれば、それが社会を助けることになるのだ。自分のことすら考えず、皆が集まるから、便利だから楽しいからと密集するから大惨事になるのだ。

どんな災害対策も過剰な人口には対応できない。東京には東京にいなくてもよい人、そこで暮らす必要のない人も多いはずだ。もしかしたら都民の半分以上かもしれない。それを分散することしか人々の命は救えないはずだ。日本の首相も都知事も、そうした根本から日本を再設計しなければならないと思うのだが。
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2010年11月22日

大連立を待望する

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最近ニュースを見るとうんざりする。日本の社会や人々の暮らしは暗い話ばかりだ。経済がおかしくなったのはもう20年も前だと思うが一向に良くならない。国の借金はもうどうしようもないほど膨れ上がってしまったし、周辺の国々はいろいろ挑発までしてくるようになった。課題は山積しているのに有効な手立ては全く講じられていないし、方向すら見出せていない。政権交代は全く期待はずれに終わって政治の混迷は深まるばかりだ。

国会は下らないことで空転ばかりしている。法務大臣が馬鹿なことを言った。人はもともと愚かだからいちいち揚げ足取りなどしても仕方ないだろう。ただこの場合は、単なる失言でなく本当にそう考え実行してきたのだから、大臣として不適格なのは火を見るよりも明らかだ。即座に首を切るべきだったのだ。一方、官房長官が暴力装置と言ったとか騒いでいるが、これは決して間違いではない。権力を握る者や武器を持つ者は、自戒として常に胸に置いておかなければならない言葉だ。せいぜい国会の場では表現が不穏当だったと注意するくらいだろう。またビデオ流出の責任で国土交通大臣の辞任を求める連中もいるが、就任2ヶ月でそこまで部下を律することなどできるわけがない。組織としての責任はあるから注意処分くらいで、さっさと終わりにするべきなのだ。こんなことで時間をつぶしていてよいほど、日本はおめでたい状況にはない。

国会を維持するためにとんでもない費用がかかっている。国民はこんな下らない堂々巡りのために高い金を払っているのではない。議員たちにその自覚はあるのだろうか。それに見合った仕事をしているのか自問自答してもらいたい。

今の民主党政権はすっかり行き詰っているが、それを批判する権利はそもそも自民党にない。諸々の問題は自民党の長期政権の間に形作られたものだ。そしてその末期に、彼らもどうしようもなくなって毎年首相を交代させている。今も強力なリーダーがいるわけでなく、たとえ政権を取り戻したところで結局一年前に戻るだけだろう。

こんな議会政治を続けていて、よその国だったら軍事クーデターが起きてもおかしくない。そのくらいの強力な指導体制ができなければ、この悲惨な状況から抜け出せそうにない。ではそれを民主的に実現するにはどうしたらよいか。それは与野党の大連立しかないのではないか。

皆が与党なら今のように党利党略が最優先になることはないだろう。各党を見渡してもリーダーの人材に欠けるのが問題だが、それでも各議員は今よりずっと一致して国難に当るだろう。どれもどうしようもないほどの問題ばかりで抜本的な解決策などどうせ望み薄だ。それよりも少しは協力し合うことで議員や国民の間に信頼感が養われていくことが、この国にとって長い目で見たら重要だろう。

一つだけ、根本解決を図らなければならないことがある。こんな政治になってしまったのは、そもそも政治制度がおかしいのだ。どのような体制にするべきか根本から見直す。国のあり方を設計し直して憲法を作り直す。大連立政権はそれをするための準備政権と位置付けたい。今の政権はもうそれほど持たないかもしれない。しかし次の総選挙ではどこも絶対多数は取れないのではないか。それならば最初から大連立するかしないかで国民の信を問うて欲しい。
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2010年11月06日

尖閣ビデオ流出の雑感

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尖閣ビデオを見て、その明らかな犯罪ぶりに恐れ入った。これを中国の要人たちは見ているのだろうか。もしあの海域を彼らの言うように中国領だと仮定したとして、それであの犯罪は許されるのだろうか。北京市内で故意に車をぶつけたと同じことだ。中国が自国の領土だと主張するなら、法に基づいて船長を厳重に処罰しなければならない。それをしないのなら、つまり国内法を適用しないということは、あそこは自国内ではないと認めたことになるはずだが。

ともかく真実を国民や世界中の人たちが知ることができて、ネット社会とは本当に良いものだと思う。またこれをNHKなどが繰り返し放映したのも良かった。ネットだけではどうしても見る人が限られる。これで今まであまり関心のなかった人でも嫌でも判らされたはずだ。皆が関心を持たなければ国は良くならない。

これを流出させた犯人探しはして欲しくない。もし見つかったら、その人はヒーローに祭り上げられるだろう。するとヒーロー気取りで何でもかんでも流出させたがる連中が続出する恐れがある。こういうことは真の憂国の士が、義憤にかられ自らの価値判断に基づいて人知れず行動するものであって欲しい。

ところでこれをなぜ政府は公表してこなかったのだろう。もし中国に対し、そちらの犯罪事実の確かな証拠を持っている、言うことを聞かなければ公表すると、交渉を有利にする材料に使っていたなら隠すのも当然だ。しかし中国の高飛車な態度からすると、せっかくの持ち札を無駄にしていたとしか思えない。うまく使いこなせないなら、さっさと公表して世界中の人に判ってもらった方が良かったのだ。

巷では民主党政権のふがいなさを嘆く声が多い。野党など絶好の攻撃材料ができたと喜んでいるようだ。しかしでは、自民党だったら何をしただろう。今の日本の状況では、誰であっても何もできそうにない。そもそもふがいなくない対応とは何だろう。武器を持って戦うことではないだろうか。尖閣で中国と、北方4島でロシアと、竹島で韓国と戦争する。これは侵略ではなく防衛であるとの大義はある。しかしそれらの島々と日本の若者の命とどちらが重いかと問われたら、今の日本人の大半は命の方を選ぶだろう。だらしないとかふがいないとか言われようとも、そうした国になって良かったと私は思う。

情報が隠されていて、扇動や誘導があったらそうは行かない。米国や英国など民主主義の国といえども、強いリーダーがいればイラクなどで自国の若者や他国の人々を大勢殺している。中国のような独裁国は、産業の発展や外交などには極めて有利だろう。日本をはじめ周辺各国は今後も大変な迷惑をこうむることだろう。しかし最も苦しむのは中国国民のはずだ。それが永久に続くとは思えない。これほど情報の行き渡る時代、あと50年もすればあの国も今の日本のような水準に達するものと期待したい。
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2010年10月30日

検察事件報道の危うさ

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そろそろ下火になってはきたが、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件が長くマスコミを賑わせている。そうして多くの国民の検察への不信や特捜部の面々への怒りを煽ってきた。しかし世の中とは本来、極めて多面的重層的なものであるはずだ。こんな一方的集中的報道は果たして真実を伝えているのだろうか。

まず検察不信に対して、その功績の面もあることを見てみたい。そもそもこの捜査は、郵便割引制度の不正適用を暴いたものだ。それは実は以前から広く行われていて関係者の間では周知の事実だったという。しかし法律が甘く、また郵便局側にもそれを受け入れたい事情もあったとのことで、誰も摘発できないできてしまったのだそうだ。それに大阪地検特捜部が果敢に挑んだわけだ。そしてこれが見せしめとなって、それ以降全国的に割引適用がガタ減りしたとのことだ。これだけの社会悪を暴いた彼らの功績は間違いなく大きい。その捜査を指揮したのが今回逮捕された前田元検事だそうだから、彼は一方では国民に対し多大の貢献をしているわけだ。こうした事実を全く報道しないのは、マスコミはただ一方的に国民を扇動したいだけなのだろうか。

次に今度は検察不信の面で、報道の奥にもっと本質的問題のあることに言及したい。前特捜部長らの逮捕において、証拠改ざんは故意か過失かが争点になっている。報道はそのことばかりに集中している。だが本当に問題にするべきはそこではないと思う。そもそもはデータが検察の「見立て」に合わなかったから、辻褄を合わせるために改ざんが起きたのだ。故意であろうが過失であろうが、その時点で検察の描く構図は破綻し、村木厚子さんの無実は関係する検察官の誰もが認識したはずだ。それなのになぜ強引に起訴に踏み切ったのか。彼らは意識して冤罪者を作り出そうとしたのだ。前特捜部長らは改ざんは過失との報告を受けたと犯人隠避罪を否定しているが、そんなことは本当の罪に比べたら些細と言えるほどだ。故意に冤罪者を作り出そうとするなど、法律以前に人としてあってはならない。しかし彼らにはまったくその自覚はないようだ。

マスコミの報道が故意か過失かばかりに集中しているのは、国民の目を本質からそらす結果になっている。それは根本的な問題を隠蔽したいという検察側の誘導によるのだろうか。人を裁くことに携わる検察が、上から下まで組織全体、倫理的道徳的に破綻しているなど恐怖以外の何ものでもない。
posted by 夜泣石 at 09:45| 世の中のこと | 更新情報をチェックする

2010年09月02日

小沢一郎を推す

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民主党代表選、というより次期首相決定戦が開始された。小沢一郎出馬についてはさまざまな批判もあるが、互いに意見が違うなら、裏で抗争などしていないで堂々と公式の場で戦うべきというのが正論だろう。それでは党が分裂すると心配されているが、それは勝負の付いた後で双方が大人の対応を取れるかどうかだ。

私は小沢一郎という人をニュースで見るくらいしか知らないが、生理的に好きではない。古い自民党の体質の正当な後継者で権力が大好きな人間のように聞いている。日本をどんな国にしたいのか、どんな将来像を描いているのかよく判らない。選挙の神様のように言われているが、それは民主主義とは名ばかりのこの国に蔓延する田舎選挙のことで、日本の民主主義を歪めている元凶のようなものだ。またそれには大変な金がかかるから、彼には金に関わる噂が絶えないのも当然だろう。昨年の選挙で民主党が政権を取った最大の功労者のように言われているが、あの時自民党の自滅であれだけの風が吹いたのだから、彼がいなくても勝てたのではないかという気もしてくる。

それでも今度は小沢一郎を推したいと思う。その最大の理由は菅直人を引き摺り下ろして欲しいからだ。首相の首をくるくるすげ替えるべきでないというのはもっともだが、実力もなく期待のもてない人をぐずぐず続けさせるよりはましだ。駄目だと判ったらできるだけ早く切り替えるべきなのだ。私は東京にいた頃、菅直人は身近で何度も見かけた。歯切れの良い論客で颯爽とした好青年だった。しかし今、テレビで見る姿にその面影は全くない。討論も子供の口喧嘩のようなものだし、どこか目がうつろで、すでに痴呆が始まっているような感じすらしてしまう。菅グループというのも反小沢で結集しているだけで、彼に心酔しているような人などほとんどいないのではないか。

では小沢一郎には期待できるのか。剛腕という噂だから何か一つくらい思い切ったことをしてくれそうな気はする。特に官僚支配からの脱却には期待したい。しかし今の世の中、彼のような古い人間では根本的な改革など無理だろう。マニフェストの完全実施を訴えているが、非現実的だし過半の国民はそんなことを望んでいない。もとよりさまざまな考えの雑居している党内を一つの理念にまとめていくことなどできるわけはなく、不満は鬱積していくだろう。そうして早晩行き詰る。鳩山、菅、小沢、これは在庫一掃セールだ。それをしないと新商品の置き場がない。くるくる回して早く入れ替えなければならない。

そんなのんきなことなど言っていられない、この混迷した世界で強力なリーダーがいなければ国が潰れてしまうと言われそうだ。しかし世界各国、どこも同じようなものだ。あの卓越した素質のオバマ大統領でもアメリカをまとめきれず四苦八苦している。民主主義のお手本で優秀な政治家を輩出しているイギリスでも、現実として日本よりうまく行っているようには見えない。政府が強力な権限を持っているロシア、中国、どこも混乱と矛盾だらけだ。何もかもが大渦の中に放り込まれたような現在、どんなリーダーがいてもみんな渦の中でもがくしかないようだ。

日本において、民主党にも自民党にも、国どころか自らの政党内部ですら統率しきれるほどの人材は見当たらない。もともとどちらもほとんど有象無象の集まりなのだから、一つにまとめること自体に無理があるのだ。早晩どちらもばらばらになって日本の政治は小党乱立になるのではないか。

以前私は2大政党制があるべき姿だと素朴に思っていた。しかし考えてみれば世の中は2つに分けられるほど単純ではない。一つの軸上にあるものなら右と左に分けられる。しかし世界には数え切れないほどの座標軸があるのだ。また昔はよく保守だ革新だと言われていた。保守とは古き良き時代に立脚するということだろう。しかし今は古きよき時代は幻影となって、世界は何もかもが目まぐるしく変って、誰もがこれからどうすればよいか模索している時代だ。それはつまり革新しかありえないということだ。

もともと大政党といっても、結局は雑多な人たちがただ政権を取りたいために結集していただけなのだ。したがって内部では権力闘争が絶えることがなかった。そしてそれは政党の内部で一般国民から離れたところで行われているため、正々堂々とした論争などではなく、思い込みや感情、噂、中傷、さらに金や欲に支配された醜悪な闘争になってしまってきた。

政党内部の派閥抗争はすべて国民の目に見えるようにしなければならない。そのためには派閥ではなく、それぞれが公の政党になるしかない。もともとこんなに多様化した時代、同じ考えの人を集めたらどうしても小集団になってしまう。小党乱立が本来の姿なのだ。それでは政治が不安定になってしまうと心配するだろうか。しかし今のままでも首相は毎年変っているのだから同じことだ。新しい首相が少しでも公正に選ばれるだけましになる。

安定した政治を国民は望むか。それならば安定をもたらす政党を選べばよい。今のように互いにいがみ合うのでなく、相手の話をよく聞き、議論し、妥協を厭わない政党。日本はどうあるべきかという自らの理想は固く守りながら、しかし現実の個々の局面においては、このような理由でこのように妥協したと国民に明確に説明できる政党。国民がそんな政党を選んでいけば、混乱のもとである偏屈で意固地な連中など淘汰されるだろう。日本の政治も大人になっていく。そうなれば一人一党でも政治は安定する。

世の中、思う通りにならないことは誰でも判っている。自分自身ですら思うようにならないのに、相手のあることなど主張と妥協の連続だろう。特に相手が外国ならまともな交渉すら難しい。さらに日本は今もって敗戦国の立場というどうしようもない現実もあるのだ。それが嫌というならもう一度武器を持って、今度は勝つしかない。もし外交努力で克服したいのなら、数十年どころか百年を超えて交渉していくしかない。また戦争は嫌だからと自分から武器を捨てることは、その人個人の範囲においては褒めらるべきだが、人々の命を預かる立場ではそんな保障もできないところに引っ張っていくのは無責任だ。世界に平和を愛しない人たちがいて、その公正と信義が信頼できないうちは武器を保持するとしても憲法の言うところと矛盾しない。そもそも内部では争っていても外敵には一致団結するというのが人間の本性だろう。こんな最も妥協しやすく、またしなければならないところでのいがみ合いなど、いかに愚かなことか早急に気付いて欲しいものだ。
posted by 夜泣石 at 11:24| 世の中のこと | 更新情報をチェックする
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