2011年08月09日

アオバハゴロモ

#(830)s.jpg

柿の木の若枝にアオバハゴロモがたくさん止まっていた。薄い緑色の羽は、白い粉をまぶしたかのようにぼんやりしている。そのままだったら周囲に溶け込んで保護色として効果的かと思うのだが、なぜか輪郭が淡い赤でしっかりと描かれている。それだけでなかなかおしゃれな感じになる。

1cmほどの大きさで、ちょっと見には虫とは思えない。よく見ると、芥子粒のような目と細い足が付いていて、なんだ虫だったのかとからかわれたような気分になる。こんな小さな目でもじっとこちらを見て警戒しているようだ。ぐっと近付くとすっと枝の後ろに回りこんで隠れる。その一瞬の滑らかな動きは機械仕掛けか何かのようで、足で動いている感じでは全くない。

簡単に捕まえられそうな気がするが、指を近づけた瞬間、ぱっと飛びはねる。見かけによらずバッタのような跳躍力だ。そしてそのまま羽を広げて別の枝に飛んでいく。たくさんまとまっていることが多いから、それらが一斉に飛び立ったりするとなかなかの壮観だ。

#(833)s.jpg

直射日光の下では翡翠を思わせるようなとてもきれいな緑色だ。なるほど羽衣という名に恥じないなと思う。またそこに浮かび上がった網目模様を見ると、この虫がセミに近い仲間であることに納得が行く。食性もセミと同じで、針のような口を枝に差し込んで樹液を吸っている。なお学名の属名はGeishaで、芸者にちなんだものだそうだ。アゲハチョウか何かならともかく、こんなに小さな目立たない虫の名にしては意外過ぎる。しかしこうして拡大してみると、まあそれもありえるかなという気もしてくる。ともかく粋な昆虫学者がいたものだ。

#(831)s.jpg

枝先にたくさん集まってみんなでじっと樹液を吸い続けているから、枝が枯れてしまわないかと心配になる。しかし実際にはそんなに害はないのだそうだ。近い仲間のカメムシは害虫として嫌われ者だが、それは見かけが悪いし悪臭を出すし、また枝葉だけでなく果実から果汁を吸ったりするからだろう。カメムシにやられると痛々しいような跡が残るし、成熟の遅れたいびつな果実になってしまう。

ところでアオバハゴロモの幼虫も、成虫に負けず劣らずなかなか意外性がある。このあたりでは春に、さまざまな草木の新枝の先が、カビでも生えたように白くなっていることが多い。あれがこの幼虫だ。汚れを取ろうかと指でも近付けると、もぞもぞ動いてびっくりする。さらに近付けるとぴょんと跳びはねて逃げる。体中を覆っている白い蝋物質が綿屑のように後に残りなかなか落ちない。それらが雨風でやっと洗い流される頃、ふと気付くと、同じところにこの豆芸者たちが居並んでいる。
posted by 夜泣石 at 14:23| Comment(0) | 生きもの | 更新情報をチェックする

2011年08月04日

アヤムネスジタマムシ

#(814)s.jpg

真昼間、なぜか網戸にタマムシが止まっていた。写真を撮ろうと捕まえたが、なかなかじっとしてくれない。甲虫はあまりじたばたしないものだが、まだ若い個体なのか元気一杯だ。光の当たり具合で見事な金緑色に輝いたり、ただの黒っぽい虫に見えたりする。そんな時でも両脇の金色の筋はいつもくっきりと光っている。

#(818)s.jpg

横から見る。下側の方が金色は濃い。また体だけでなく足や触角など先の方にも及んでいる。目が意外に大きくかわいらしい。

#(819)s.jpg

裏からだともっと輝いて見える。ほとんど金属製品のようだ。しかしなぜこんなところを装う必要があったのだろう。体の下が見えるというのは空を飛んでいる時か。しかしいったい誰が何のために空を見上げていたりするのだろう。

#(822)s.jpg

一通り遊んでから、木の葉の上に乗せてやった。すると安心したのか、あれほど逃げ回っていたのに急に動かなくなった。しきりに触覚の掃除などしている。やれやれひどい目にあったという風に恨めしげにこちらを見る。それからおもむろに羽を広げると、ずいぶん空高く飛び去っていった。

屋久島では本来のタマムシ(ヤマトタマムシ)は見たことがない。分布では屋久島が南限なのだそうだが、まあ本土でもすっかり幻の虫になってしまっているので目にしなくて当然かもしれない。そのかわり一回り以上小型のこのタマムシはわりとよく見かける。屋久島の虫図鑑によるとアヤムネスジタマムシというのだそうだ。南方系で紀伊半島から琉球列島にかけて分布しているという。幼虫はスダジイやウバメガシなどシイカシ類に寄生するそうだから、この辺りにたくさんいておかしくない。

ただいつも見るのは大きさがたいてい2cmちょっと位だが、今度のはだいぶ大きく3cm近くある。図鑑を見ると外見は酷似し、名前も一文字しか違わないアオムネスジタマムシというのが載っている。少し大きいそうで、するとそちらの方だろうか。しかし奄美大島以南に分布となっていて、また蝶とかトンボなら風に乗って迷い込むこともあるだろうが、甲虫ではまず無理だろう。たぶん特別立派なアヤムネスジタマムシなのだろう。ただアヤと名前に付いているのに、どこにも綾模様など見当たらないのはどういうことだろうか。

何年も前に庭で死んでいるのを見つけて、きれいなので貝殻に載せて棚に飾った。忘れていたが今見たら金属光沢は全く変っていなかった。有名な玉虫厨子は1000年も輝きを失っていない。これは色素の色でなく物理的な構造による干渉色ということなのだろう。ところでヤマトタマムシは羽そのものが輝いているが、こちらはどうも金色の粉をまぶしたような感じがする。それではと試しにこすってみたが、残念ながら指が金色に染まることはなかった。粉のようなのはただ見掛けだけなのか、それとも表面がでこぼこで、金粉はへこんだ奥に入っているので簡単には落ちないのかもしれない。
posted by 夜泣石 at 06:28| Comment(0) | 生きもの | 更新情報をチェックする

2011年06月22日

トサカフトメイガ

#(632)s.jpg

梅雨時に雨が多いのは当然としても、こんなに毎日降り続くものだったかと訝しく思うほど雨の日が続いている。外に出られずうんざりするが、しかし家の周りで鳥たちは元気に飛び回っている。彼らの羽は水をはじくので雨など全然気にしないようだ。夜になると窓の光にたくさんの蛾が集まってくる。彼らもまた鱗粉が水をはじくので平気なのだそうだ。真っ暗で蒸し暑い、どうしようもなくうっとうしい夜に特に多いようだ。

2cmほどの茶色の蛾がいくつも止まっていた。地味で薄汚いほどにしか見えなかったが、光を当ててみて、なかなかきれいなのに驚いた。茶色と緑の微妙な色合いがなんともいえない。点描で描いたような黒い横線や下端のふち飾りもいい。古い茶器など、趣のある焼き物の配色を思わせる。

弧を描いた横線が2本あるが、下側の方は中ほどでほとんど消えているように見える。実は下に曲がって半円を描いているのだった。この特徴から、この蛾はトサカフトメイガという名前であることがわかった。本州から南西諸島にかけて、ごく普通に分布しているそうだ。

#(636)s.jpg

横からも見る。背筋をぴんと伸ばして、なかなか威勢がよさそうだ。ただこげ茶の目が、真ん中がへこんだような感じで、なんだか萎びたドライフルーツを思わせる。こんな目で、世の中はいったいどう見えるのだろう。

#(639)s.jpg

裏側からだと、なかなか愛嬌があって面白い。太めの足をしっかり踏ん張って、重そうな体を支えている。触角からするとこれは雌で、この丸々としたお腹に卵がたくさん詰まっているのだろう。

#(631)s.jpg

口先を見る。なにやらくちばしみたいなものが付いている。これが鶏のトサカのようというのが名前の由来だそうだ。どういう役割なのか、このように口先の尖っている蝶や蛾を時々見かける。またこの蛾を見て、メイガの仲間だとは全く思わなかった。普通、メイガはもっと小さく細く弱々しい感じなのだが。なんでもこれはこの仲間の中では最大級ということだ。

夏の終わりごろなど、よくヌルデやハゼノキの枝先が白い薄い網のようなもので覆われて、中の葉がレースのように透け透けになっているのを見かける。あれがこの幼虫の巣だった。あんな巣を作るものではアメリカシロヒトリが有名だが、彼らはあまり木を選ばず手当たり次第に食べる。もしウルシ科がやられていたら、たいがいこちらの方と見てよいようだ。中は赤黒いケムシでいっぱいになっている。それに比べると成虫の方はそれほどおびただしくはない。なんでもこのケムシは見掛けがよいのか味がよいのか、鳥たちの大のご馳走になっているのだそうだ。
posted by 夜泣石 at 06:10| 生きもの | 更新情報をチェックする

2011年05月09日

スジベニコケガ

#(271)s.jpg

これは見事な柄だ。この色合いもタッチも、近現代の抽象画に決して負けない。あるいは南米かどこかの古い民族衣装にこんな感じのものがあったような気もする。残念ながら日本の美の伝統には、派手な黄色の地に朱色を散らし黒を添えるなどといった発想はなさそうだ。

#(271)p.jpg

ふと胸のあたりに、顔が隠されているのに気付いた。耳のある帽子を被ったひげもじゃの老人だろうか。ずいぶん立派な着物を羽織っているかのようだ。穏やかな顔つきは仙人の風情もする。あるいはまた有名な小説の中の羊男を連想させる。

#(274)s.jpg

正面からも見てみた。今度はなかなか勇ましそうだ。派手な衣装で足を踏ん張って、歌舞伎か何かで大見得を切っているかのようにも見える。

この蛾は早朝、我が家の基礎のコンクリートの壁に止まっていた。もしかしたら深夜か早朝、羽化してここに登ってきたのかもしれない。じっと体が固まるのを待っているところだろうか。傷一つなく、柔らかそうな毛も出来立てのスエードか何かのようだ。

ところで生き物の色には必ずと言ってよいほど意味がある。たいていは隠ぺい色か、あるいは警戒色だ。しかしこの色合いはそのどちらとも思われない。あまりに派手すぎるが、かといって毒があるようにも見えない。もしかしたら光の微妙な戯れによって、この模様が周囲に溶け込むことがあるのだろうか。せいぜい3cmほどの大きさだから木漏れ日の斑点に見間違うのかもしれない。ともかくこういうとき降参した生物学者が「神様の遊び」とか「自然のいたずら」などと、冗談まじりに逃げ口上をもらしたりする。しかしこの蛾ほどその表現の合ったものもあまりないように思う。

これだけ目立つ柄だから図鑑ですぐ見つかった。スジベニコケガという名だった。ただ個体差が大きく、もっと地味なものの方が多いようだ。またこの鮮やかさは印刷で出しにくいせいか、かなり煤けたような色で載っているので、図鑑も見慣れないとなかなか使いこなせない。こんな色だから南方系かと思ったら、そうではなく日本全国に分布する普通種で、屋久島はその南限だった。

このコケガの仲間は日本に何十種類もいて、たいてい地衣類を食べているようだ。そういえば小型のケムシを、葉の上でなく大木の古びて苔むした幹上や、あるいは岩の上などで見つけることがたまにあった。それらは葉から落ちたとか移動中かと思ったが、そうではなくそこが彼らの棲家で、表面に張り付いた地衣類を食べていたのだろう。

ところでネットで見ると食草として、地衣類、コケ、落ち葉と記述してあるサイトが多い。しかしそもそも地衣類とコケでは、見た目は似ていても全く違う生物だ。地衣類はキノコやカビの仲間であり、植物でないどころかDNA構成ではどちらかといえば動物の方に近いくらいだそうだ。したがって含まれる成分などかなり違い、食べるためには消化の仕方や解毒の仕方など変えざるを得ないから、両方とも食べるというのは考えにくい。ちょっとでも科学知識があれば判るはずのことなのに、多くの人が何も考えずに孫引きのまた孫引きを繰り返している実態がよく判る。
posted by 夜泣石 at 09:11| 生きもの | 更新情報をチェックする

2011年04月28日

ナンカイキイロエダシャク

#(134)s.jpg

今年は4月になってもまさかと思うほどの寒さが戻ってきたりしているが、それでもやっと虫たちが夜の明かりに集まってくるようになった。青白い妖精のようなオオミズアオなど毎晩のように飛び回っている。そんな中、あまり見たことのない蛾が窓ガラスにぴたっと張り付いていた。大きさは3cmくらい、真っ白いビロードのようなお腹はそっと撫でてみたくなるほどだ。そして大きな黒い目がこちらをじっと見つめている。

#(135)s.jpg

表側を見たくて、窓を開けて部屋の中に入れてみた。あまりにきれいな黄緑色に驚く。短い毛で一面に覆われているため、深みのある微妙な色合いになっている。

#(138)s.jpg

横から見ると面白い形に足を伸ばしている。さてこの蛾は何という名前だろう。図鑑はどれも羽を伸ばしている形でしか載っていないからすぐには判らない。このきれいな黄緑色を頼りに、いくつか候補を選び出し、それぞれネットで検索してみた。じきにキイロエダシャクに行き着いた。ところで近似種にナンカイキイロエダシャクというのもあった。ほとんどそっくりだが、この前足が、前者は先が白いのに後者は全部茶色などの見分けのポイントがあり、そらからするとこれはナンカイキイロエダシャクであるようだ。分布域については四国九州のかなり狭い範囲で屋久島にはいないとする説と、もっと広く沖縄の先まで及んでいるという説とがあった。屋久島にいたのだから後者の方が正しいのだろう。またほとんど生態は不明のようで、食草もサクラであったりミカンであったり、中にはタブノキ、フトモモ、アカメガシワなど、まさかと思うようなものまで報告されている。まあそれらはすべて屋久島には多いから、どれであってもたくさんいておかしくない。

#(142)s.jpg

白い紙の上に置いて、真正面から眺めてみた。なんだかもこもことした可愛いペットのようだ。こんなデザインのぬいぐるみでも作ったらけっこう流行るのではないだろうか。さていろいろモデルになってもらったのでそろそろ解放してやろうと思ったら、急に羽ばたいて天井の方に行ってしまった。翌朝でもよいかとそのままにしておいたが、どこに行ったかもう見つからなかった。きっとどこか部屋の片隅で干からびているのだろう。ちょっとかわいそうなことをしてしまったと思っている。
posted by 夜泣石 at 06:46| 生きもの | 更新情報をチェックする

2011年04月04日

コチドリ

(112318)s.jpg

田植えの終わった水田に鳥が集まっていた。たいていはどこでも見かけるハクセキレイだ。中に同じくらいの大きさだが一回りずんぐりした、この辺りではあまり見慣れぬ鳥が混ざっていた。望遠レンズで覗くと、くっきりとした黒の線と、目の周りの黄色が目立つ。コチドリだった。千鳥足の語源になった通り、あっちに行ったりこっちに来たりせわしなく歩き回っている。虫などの食い物を探しているようだが、ここは先日までカラカラに乾いた砂漠のようなところだった。引き入れた水も屋久島の山から流れ出る蒸留水に近いほどのものだ。見かけと違って何か生き物がいるとは思えない。こんなに歩き回って、かえってお腹をすかしてしまうのではないかと心配になる。

(112314)s.jpg

それにしても顔のこの黒い隈取はなかなか個性的だ。白い額にある鉢巻のような線など、あまりほかで見た覚えがない。くっきりと黄色で強調された目、おちょぼ口のような小さな嘴、ちょっとひょうきんな感じでかわいらしい。

(112319)s.jpg

角度を変えると目から流れ下る黒が垂れ目のような効果になってしまう。こうなるとなんだか情けなさそうにも見える。

(112299)s.jpg

少し前、海岸の岩場でもこの鳥を見た。カニやわけのわからぬ生き物がたくさんいるところだ。そんなものを夢中になって食べていた。この姿だとちょっと意地悪そうな、なかなかの悪漢のようにも見える。

コチドリは東京近辺では海辺にいけば普通に見られた。夏鳥でそのあたりでも繁殖しているのだそうだ。冬は南に渡って越冬する。屋久島では冬に少数見られるのでここで越冬しているのだろう。また今頃よく見かけるので、それはもっと南で越冬して、これから北に戻っていく旅鳥なのだろう。

いささか派手そうに見える装いだが、灰色の浜や岩場だと、あたりにしっかり溶け込んでほとんど目に入らない。知らずに近付いて急に飛び立ってびっくりさせられたりする。低くさっと弧を描いて、少し離れたところに降り立つ。飛びながら、ピォ、ピォ、ピォといった、高く澄んだとてもよい声で鳴く。それは楽しげなのか悲しげなのかどちらとも判らない。未だ肌寒い海風の中で聞くと、哀愁のようなものがこみあげてくる思いがしたりする。
posted by 夜泣石 at 10:17| 生きもの | 更新情報をチェックする

2011年02月26日

キジバト

(112011)s.jpg

キジバトはよく見るとなかなかきれいな鳥だ。背中の模様は昔の工芸品か何かを思わせる。といってもそれは職人の方がこんな模様の美しさに惹かれて真似たのだろうが。日差しの下ではかなり目立つが、林の中では木漏れ日にまぎれて保護色になるのだそうだ。首筋には紋章でも貼り付けたような、ずいぶん目立つ模様がある。これは光の加減で青い宝石のように輝いたりする。キジバトの名前の由来は、背中の模様がキジ(特に雌)に似ているからというのと、首筋の青がキジの雄の首の色に似ているからというのと二説あるようだ。ただキジとこのハトでは、こちらの方が身近にずっとたくさんいるので、わざわざ少数派の名前を借りてこなくてもよかったのにと思ってしまう。

(111941)s.jpg

日本中どこでにでもいる鳥だが、屋久島に来て、どうも見慣れたものとは違うと思った。それが何なのかはっきりとは判らないのだが、どこか印象が違う。権威ある鳥類図鑑を見ると、屋久島から南には亜種リュウキュウキジバトがいると書かれてあった。明確な見分け方はないようだが、全体に色が濃くて、頭だけは逆に薄い、また翼や尻尾が短めといった特徴があるらしい。そういわれてみると、ここのキジバトには当てはまるような気がする。

(111182)s.jpg

本土ではずいぶん人懐っこい鳥だった。鈍くさいなと思うほど近寄れたし、かなり間近で巣作りを眺めることもできた。しかしこの島では、少し近付いただけですぐに逃げる。警戒されているせいか、あまり可愛げも感じない。考えてみれば本土でも私が子供の頃は山にしかいない鳥だった。それが高度成長期に都会が拡大すると、どんどんその中に入ってきて身近な鳥になったのだ。ここでは昔のままなのかもしれない。同じ頃にやはり都会に入ってきたヒヨドリはここでもずいぶん人懐っこいのだが、きっとそれは本土から渡ってくる個体が多いからだろう。

鳴き声はよく「デデッポッポー」などと書かれてある。しかし実際はそれとはだいぶ違うと思う。「クークグッググー」とか「ククルククー・ククルククー」とかいう表記もあったが、それらの方が近い感じだ。ともかく低くくぐもったような声はまったく鳥らしくない。子供の頃、山に遊びに行って薄暗い中でこの声が響くと、なんだか寂しく薄気味悪いような気がしたものだった。

(111919)s.jpg

キジバトは群れを作らない。ほとんど単独でいる。都会ではつがいでいる姿をよく見たが、ここではなぜかそれも少ない。たまたま餌の多いところに集まっても、じきにぱらぱらと飛び立って元の一羽に戻る。ところで本土ではハトというとドバトの大群をまず思い浮かべるが、屋久島にはドバトはいない。たまに迷い伝書鳩を見かけることがあるが、住み着くことはなくそのうち消えてしまう。ドバトは都会でしか暮らせないようだ。ある屋久島育ちの子が、都会に行ってドバトがわさわさ足元に寄ってくるのが怖いと言っていた。屋久島といえども里はほとんど開発しつくされているが、それでも人もハトも、まだまだ昔が残っているのだと改めて思う。
posted by 夜泣石 at 07:08| 生きもの | 更新情報をチェックする

2011年01月30日

ツグミ

(111891)s.jpg

防波堤に一羽の小鳥がじっとしていた。きれいな茶色の縞模様、何より胸の黒いうろこ模様が目立つ。ツグミだった。

(111840)s.jpg

遠くからだと同じ茶色のシロハラと混同する。仕草や様子も似ている。実はこの2種はごく近い仲間だった。しかしよく見ればシロハラの色はくすんでいて、体もだいぶ太り気味だ。かわいらしさではツグミ方がずっと上だ。ただ鳴き声だけはシロハラに軍配が上がる。この仲間はだいたい声が良いのだが、ツグミはカッカとかキキキといった感じで大きく甲高い。ただこれは警戒の声で、春のさえずりはそれなりに良いのだそうだが、なぜか聞いた覚えがない。

(111946)s.jpg

鳥見を始めた頃、ツグミの見分け方として「だるまさんがころんだ」と教わった。餌を探して地上を何十歩か走ったりぴょんぴょん跳ぶと、突然立ち止まってぴたっと静止する。胸を張って何食わぬ顔でしばらくじっとしている。それからまた思い出したように動き出す。そんなことを繰り返すのが子供の遊びにそっくりなのだ。これは警戒心が強くて、回りをうかがっているのだそうだ。写真を撮りたくてもあまり近寄らせてくれない。なぜかここでは東京などよりずっと人なれしていない。シロハラがどんくさい感じで、目の前でぐずぐずしていたりするのとずいぶん違う。シロハラはこの島のいたるところにうじゃうじゃといるので警戒などしていられないのか、あるいはそれだけ個性の幅が広いということだろうか。

(111944)s.jpg

ツグミは本土では馴染みの鳥だった。秋には大群を見かけたし、冬の都会の公園などには普通にいた。しかし屋久島ではいつもはあまり見かけない。ところが今年はずいぶんたくさんいる。もともとシベリアなどで繁殖して、越冬のため日本に渡って来るのだそうだ。例年なら本州で十分越冬できるのだが、今年の冬は異常に寒い。それで彼らはいつもよりずっと南に来たのではないだろうか。もしかしたらこの冬は東京などではあまり見かけないのかもしれない。
posted by 夜泣石 at 07:02| 生きもの | 更新情報をチェックする

2011年01月09日

イソシギ

(111865)s.jpg

我が家からの散歩コースにある漁港では、一年中イソシギの姿を見かける。ムクドリなどより一回りは小さく、くすんだ茶色の地味な鳥だが、この日は珍しく優雅な姿を見せてくれた。いつもは短くつんと尖っているだけの尾羽が飾りのように広がっている。ステップを踏むように片足を持ち上げているのもちょっとかわいらしい。お腹が真っ白で、それが肩の辺りまでぐっと回りこんでいるのがしゃれた感じだ。この特徴がイソシギの見分けのポイントになっている。

(111867)s.jpg

イソシギはあまり飛ばない。近付くと低く滑空して少し逃げるぐらいだ。もっぱら歩き回っている。波の中にもどんどん入っていく。時折ざぶんと頭を突っ込む。魚ではなく石の下の小動物を捕まえているのだそうだ。

(111848)s.jpg

しかしそれより陸上を歩いていることの方が圧倒的に多い。波に打ち上げられたゴミの山を突きまわしている。また水辺からかなり離れた道路上や畑などでちょこちょこしているのを時々見かける。イソシギという名前の割には、磯とはあまり関係のない鳥だ。

この鳥を見かけて、最初はチドリかと思った。シギというのは普通はもっと大きめで、足と嘴の長さが目立つものだ。動きももう少し悠然としている。まあこの鳥もよく見れば嘴はチドリの仲間よりだいぶ長い。歩き方も千鳥足でなく直線的ではある。屋久島ではシギもチドリも多くの種類が見られる。しかしほとんどは旅鳥で、春と秋の渡りの途中に立ち寄るだけだ。一年中いるのはたぶんこのイソシギだけだろう。またいつもほとんど単独でいる。たいていこの仲間は大群を作るものなのだが。

この鳥の名前がイソシギだと判った時、まさかと思った。私の若い頃「いそしぎ」という題名の歌がずいぶんはやっていた。ラジオからも町を歩いていても、ひっきりなしに聞こえていたものだ。英語の歌詞で意味はよく判らなかったが、いかにも甘くロマンチックな響きは若者の心を捉えるのに十分だった。なんでも同じ題名の外国映画の主題歌だったそうで、広い浜辺に無数の小鳥の群れ飛ぶ映像や写真もよく目にした。その懐かしい思い出とこの鳥とは、その印象にしても習性にしてもあまりにもかけ離れている。

不思議に思ったら、実は元の英語の題名はシギ一般を指して、イソシギという特定の種類の名前ではないということだった。日本語にする時、翻訳者がイソシギという名前を当ててしまったのだ。「シギ」というだけではどうも短かすぎる。ミユビシギとかキアシシギなど説明的すぎる。かといってトウネンなどでは何のことか普通の人には判らない。図鑑を見ていくと歌の題名になりそうなものはハマシギかイソシギくらいしかないのだった。映像に合うのは間違いなくハマシギなのだが、語感からするとイソシギの方がずっと詩的だ。

そういうことでイソシギという名前が一人歩きしてしまったようだ。実物とはかけ離れたイメージが人々の間に定着してしまったわけだ。しかし改めて歌詞を読んでみると、羽の折れた一羽の鳥ということで、群れである必要はなかった。また孤独な日々に鳴き声が繰り返し聞こえるとあった。これはイソシギであって悪くない。イソシギの鳴き声はチーリーリーといった細く澄んだ横笛を思わせるような音色で、かわいらしいがどこか哀愁を感じさせるほどのものなのだから。
posted by 夜泣石 at 06:42| 生きもの | 更新情報をチェックする

2010年12月01日

シロモンノメイガ

(111598)s.jpg

屋久島の秋をずっと彩ってきたサキシマフヨウは、今頃にもなるといささか見飽きた気もするが、それでも何気なく目をやると、小さな黒い蛾が飾りのように止まっていた。薄いピンクと黒の対比はなかなか鮮やかで互いを引き立てている。

(111595)s.jpg

大きさは2cmほど、黒地は光の加減で紫がかったり、金属光沢のあるこげ茶色に見えたりする。大き目の白い斑点を無造作な感じに散らしてあって、派手ではないがじんわりにじみ出てくるような美しさがある。といっても、この蛾は決して珍しいものではない。それどころか日本全国、少し山の方にでも行けばどこでも見かける種類だ。夜行性の多い蛾の中で、珍しく昼間出てきて花の蜜を吸ったりするので人の目にも触れやすい。

では名前を調べてみようと思い立ったのだが、驚いたことにこんなに普通種なのに一般の図鑑に載っていなかった。ネットなどに当って、やっとシロモンノメイガであることが判った。この名は「白紋・野螟蛾」で「白紋の」ではないのだが、シロオビノメイガ同様つい間違えて読んでしまう。ともかくこんな魅力的な柄に対して単に白紋というだけなのはちょっと味気ない。

驚いたことはもう一つ、食草が不明ということだ。ということは幼虫も卵も見つかっていないということか。大勢の学者やマニアの目からどうやって逃れてきたのだろう。まあよく目にするとはいっても、大発生して害になるとか、逆に何か益になるようなこともなく、ただひっそりと暮らしているから誰も気にして調べるなどしなかったのかもしれない。

(111597)s.jpg

長い足も白黒に塗り分けられている。蜜を吸っていたのだろう、足にも、ずいぶん長い触覚の先にも花粉が付いている。ご飯の後にほっぺたにご飯粒を付けている、そんな子供の様子を思い出すようなかわいらしさがある。

羽はどこも傷んでいないからまだ生まれてそれほど経っていないのだろう。もう今年も終わりに近く、南の島もそれなりに冷えてきた。彼らは冬を越せるほど強くはないはずだ。そんなこれからのことなど判っているのかいないのか、日暮れの弱々しい光の中でいつまでもじっとしている。
posted by 夜泣石 at 06:36| 生きもの | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。