2011年09月13日

荒木耕治候補のビラを読む

荒木耕治候補のビラは、後援会報第5号というものだけが我が家に入っていた。以前の号がどんなものか知らないが、たぶんここにすべてが集約されているのだろう。後援会報だからということか、後援会長の挨拶が先にある。「将来への夢や希望を語れるような状況ではありません」など、屋久島町の惨状を正確に捉えている。そして「期待を託すことのできる信頼と実行力のあるリーダー」として荒木耕治を支援するとしている。それを受けて荒木耕治候補も「島民の期待は失われ、先行きの見えない政治」が行われていると断言している。そして「人心の一新はもとより、新たな視点・発想で飛躍することが重要」と、立候補の決意を表明している。ここまでは多くの住民が同感するだろうし、なかなかいいなと思う内容だろう。

ビラの裏を見ると、まず「決断・謙虚」と大きく書かれてある。しかしこれは矛盾している。世の中、決断力のある人はあまり謙虚ではないし、謙虚な人はたいてい決断力は無いからだ。まあ反省の意を込めて書いたのかもしれないが、基本的にはどちらだと言いたくなる。それよりこうした標語は行政とも住民とも無関係で、まるで小学校の学級委員か何かの選挙のようだ。住民が何より知りたいのは、その候補は町のため住民のため何をしてくれるかだ。何もたいしたことはできないから、現職と同様、人柄だけをまず押し出すしかないのだと勘ぐりたくなる。

それを裏付けるかのように、肝心の施策は酷い。7項目が箇条書きにされているが「行財政改革を推進します」「各種産業の振興に努めます」といった言葉が並んでいるだけだ。具体的にどうするのか、どのようにしてそれらが可能になるのかなど一切触れられていない。内容は月並み総花的で、これでは何も言ったことにならない。このレベルならどんな泡沫候補でも同じことを書くだろう。

特に驚くのは「島の伝統・文化を大切にし、集落自治の発展に努めます」が施策の第一であることだ。これが島民の最も期待することであり、これによって政治の先行きが見えるというのだろうか。そもそもこれからの時代に、集落自治の発展などありえるだろうか。

私は島を出て行くに当って、自作のみやげ物である「願い石 叶い石」を子ども会に譲渡したいと申し入れた。子供たちが石を拾ってきてみやげ物にして売る、それは子ども会の収入としても、子供たちの創造性を養う上でもまた社会勉強としてもなかなかよいことだと思ったからだ。しかし断られてしまった。理由は「今、会長のなり手がいなくて困っている、そんな仕事が増えたらますます誰も引き受けてくれなくなる」というものだった。子供の育成は集落自治の中でも最重要課題の一つだろう。またここの集落は子供の数は少なくないし、区費が一番高く集落自治が最も盛んと言われているほどだ。そこですらもう人々の心は離れてしまっているのだ。そもそも全国を見渡せば、今のような集落自治をもてはやすのは懐古趣味くらいの類だと判りそうなものだ。

こうした施策の羅列の後に太字で「上記の施策を力強く推進するには、島民の融和と協力が重要です」と書かれてある。とんでもない、事を為すのに最も重要なのは首長のリーダーシップであり、革新的かつ大事業であればあるほど、時には強引さも必要になるのだ。この候補は、自らリーダーシップはありませんと言っているに等しい。

表紙で後援会長は「財政再建、少子高齢化、福祉対策など山積する諸問題について早急な対応が求められる」と書いている。ところがこの候補のこんな能天気な施策の羅列は後援会長の問題意識とはかけ離れている。また「信頼と実行力のあるリーダーが必要」と書いているが、このビラからは実行力など微塵も感じられない。後援会長は、本心からこのように考えているのなら、速やかにこの候補を見限るべきだろう。
posted by 夜泣石 at 10:08| Comment(0) | 屋久島町の動き | 更新情報をチェックする
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