2011年04月28日

ナンカイキイロエダシャク

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今年は4月になってもまさかと思うほどの寒さが戻ってきたりしているが、それでもやっと虫たちが夜の明かりに集まってくるようになった。青白い妖精のようなオオミズアオなど毎晩のように飛び回っている。そんな中、あまり見たことのない蛾が窓ガラスにぴたっと張り付いていた。大きさは3cmくらい、真っ白いビロードのようなお腹はそっと撫でてみたくなるほどだ。そして大きな黒い目がこちらをじっと見つめている。

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表側を見たくて、窓を開けて部屋の中に入れてみた。あまりにきれいな黄緑色に驚く。短い毛で一面に覆われているため、深みのある微妙な色合いになっている。

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横から見ると面白い形に足を伸ばしている。さてこの蛾は何という名前だろう。図鑑はどれも羽を伸ばしている形でしか載っていないからすぐには判らない。このきれいな黄緑色を頼りに、いくつか候補を選び出し、それぞれネットで検索してみた。じきにキイロエダシャクに行き着いた。ところで近似種にナンカイキイロエダシャクというのもあった。ほとんどそっくりだが、この前足が、前者は先が白いのに後者は全部茶色などの見分けのポイントがあり、そらからするとこれはナンカイキイロエダシャクであるようだ。分布域については四国九州のかなり狭い範囲で屋久島にはいないとする説と、もっと広く沖縄の先まで及んでいるという説とがあった。屋久島にいたのだから後者の方が正しいのだろう。またほとんど生態は不明のようで、食草もサクラであったりミカンであったり、中にはタブノキ、フトモモ、アカメガシワなど、まさかと思うようなものまで報告されている。まあそれらはすべて屋久島には多いから、どれであってもたくさんいておかしくない。

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白い紙の上に置いて、真正面から眺めてみた。なんだかもこもことした可愛いペットのようだ。こんなデザインのぬいぐるみでも作ったらけっこう流行るのではないだろうか。さていろいろモデルになってもらったのでそろそろ解放してやろうと思ったら、急に羽ばたいて天井の方に行ってしまった。翌朝でもよいかとそのままにしておいたが、どこに行ったかもう見つからなかった。きっとどこか部屋の片隅で干からびているのだろう。ちょっとかわいそうなことをしてしまったと思っている。
posted by 夜泣石 at 06:46| 生きもの | 更新情報をチェックする

2011年04月23日

ハマエンドウ

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ハマエンドウが咲き出したのはもう二ヶ月ほども前のことだ。それからずっと、さらにこの先も夏の終わる頃まで咲き続ける。しかし花がきれいなのは咲き始めの春の早いうちだ。この透き通るほどのしっとりとした花びらが、季節が進むとだんだんかさかさした感じになって来てしまうし、あちこち傷も目立つようになる。

花はいかにもマメ科といった典型的な形だが、その中でもこれは、丸みを帯びた鼻先が動物の顔を連想させて特にかわいらしい。子犬だろうか、それともミッキーマウスだろうか、大きな耳とその根元の寄り目がなかなか愛嬌ものだ。

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蕾もまた面白い形をしている。これは靴だろうか、それともプレゼントの詰まった靴下だろうか。そしてこれ以上はないといえるほどのきれいなピンクだ。この色は花が咲くと少し青みがかり、咲いているうちにどんどん青みが増していく。花はそのうち濃い青紫になる。

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こんな花を、こんな角度で見てみようと思う人はあまりいないかもしれない。下から見上げるとキツネ顔になる。いやそれ以上に、何とも言えず不思議な造形だ。

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今はもう豆もできている。この若い鞘は、サヤエンドウと同様に食べられるそうだ。たくさんの花が咲きたくさんの実ができるから、覚えておけばサバイバルに役立ちそうだ。何しろ我が国土はいつも大災害と隣り合わせなのだから。

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ハマエンドウは一面に広がる。巻きひげを持っているがそれで高いところによじ登ろうとすることはないようだ。互いに絡み合っているだけだ。みんなで手をつないでいれば風に飛ばされないよというかのように。

この花は日本全国、あちこちの海辺で見かけた。しかしこの数十年も前から続くすさまじい土木工事で、本土ではずいぶん少なくなってきたそうだ。屋久島でも海岸はずいぶん変えられているが、もともと人の少ない島だからまだまだ自然は残っている。また工事で作られた芝生面など、その後の手入れが行き届かないからすぐに雑草畑になる。ハマエンドウもなかなか強靭なようで、そういうところを一面に覆って赤紫に染め上げてくれる。
posted by 夜泣石 at 06:57| 花草木 | 更新情報をチェックする

2011年04月17日

オオバコ

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我が家では花壇や畑の中以外は雑草を抜かない。土地の保全に、また土の茶色より緑の方がきれいだから。草払いで草丈を短くするだけだ。だから地面に張り付いているオオバコはどんどん広がる。邪魔ではないが、かなり大きな葉がいささか目障りではある。そして春から初夏、棒のような花茎が林立すると、なんだか汚らしいような感じすらしてしまう。しかも丈夫で踏まれても平気なので、歩きにくくやっかいでもある。そんな中に、逆光にきらきら輝いてとてもきれいに見えるものがあった。目を近づけると白い毛羽立った糸がびっしり並んでいる。

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緑と白の縦じまの小さな瓜のようなものは蕾だ。その頭からにゅっと生え出ている長い毛は雌しべだった。そんなものが所狭しとびっしり並んでいる。少し下のほうを見ると、小さな白いかけらがまとわり付いている。これが雄しべだった。同家受粉を避けるため、先に雌しべが伸びて後から雄しべが出てくる仕組みのようだ。よく見ると、瓜の頭が開いて半透明の三角片が4つ並んでいるものがある。これが花びらということだろう。ずいぶんみすぼらしいけれども、確かにこれは花の構造になっている。残念ながら花の咲いている期間は短いようで、雌しべも雄しべも枯れて、汚れたような茶色の棒になったものがほとんどだ。

こんな花はほかに見た覚えがない。実際何に近いのか最近までよく判らなかったそうだ。近年急速に進歩した遺伝子解析によって、何とゴマノハグサ科のクワガタソウ属に近いことが判ったのだそうだ。つまり春先に空色に輝くオオイヌノフグリの仲間だ。またジギタリスやキンギョソウなども近縁なのだという。ということはオオバコもかつては彼らに負けないくらいの美しい花だったのだろう。それが風任せに生きることを選んで、見かけなどどうでもよくなって、こんなにみすぼらしくなってしまったということのようだ。

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すでに結実しているものもあった。鬼の金棒のぶつぶつをもっと酷くしたような形だ。このぶつぶつの上半分は蓋になっていて、帽子を脱ぐようにぽろっときれいに外れる。中からこげ茶色の種子がいくつもこぼれ落ちる。この形はなんだかかわいらしくもある。

種子はその周りの皮に、水を吸ってゼリー状に膨らむ物質が含まれているそうだ。それがねばねばして、それで靴の底や車輪などにくっついて広がっていくそうだ。だから道やもと道だったところに生えている。人が通らなくなって草木が生い茂ってくると消えてしまう。草丈が高くならないので負けてしまうのだという。では人が進化してくる前はどうしていたのだろう。大型動物のけもの道に生えていて、彼らの足の裏に付いて広がったのだろうか。屋久島にいるのは鹿だけだ。では鹿の通り道にはびこっているのかというと、そんなものは見たことがない。そもそもこんな草など生えていたら、鹿は根こそぎ食べてしまうだろう。屋久島のオオバコは人にくっついて本土から入ってきたものかもしれない。

オオバコは人の通るところにしか生えていないので、踏まれるのが好きなのかというと、どうもそんなことはないようだ。道脇の踏まれずに済むようなところでは驚くほど大きな葉を広げていたりする。彼らでも踏まれずに済むのならそれに越したことはないようだ。ただ葉が丈夫で踏まれるの強いということだけなのだ。こんな葉で、こんな花で、それでも日本人はオオバコすらも愛でてきたようだ。大きな葉に白い斑の入ったものや、切れ込みの面白いものがあったりして、園芸植物になっていたという。

オオバコは日本全国、身近にいくらでもあるから子供の遊びにも使われていた。草相撲と言って、花茎をちぎって両端を持って、互いに絡めて引っ張りっこして切れたほうが負けになる。ただオオバコだとやる前からだいたい結果は判るし、丈夫なのでかなり力もいる。同じ遊びでも松葉の方がギャンブル的で面白かった。またムラサキカタバミでは細工をするのでもっと面白かった。しかし今の子供たちはそんな遊びを誰も知らないようだ。大学でも生物の教授は学生たちに、これがオオバコだということから教えるそうだ。

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posted by 夜泣石 at 10:23| 花草木 | 更新情報をチェックする

2011年04月13日

原発反対へ宗旨変え

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福島原発事故は予断を許さないどころか、ますます深刻度を増してきている。これは多くの日本人にとって思いもかけなかったことだろう。我々はこの国の政治家や官僚たちを全くと言ってよいほど信用していないが、科学者・技術者たちには全幅とも言えるほどの信頼を置いている。その日本の技術力をもってすれば早晩解決されるだろうと誰もが思っていたはずだ。そんな期待を裏切って事態は行き過ぎてしまっている。

責任者たちは口を揃えて今度の災害は想定外だったと言う。しかし今、何と全ては想定されていたことが明らかになりつつある。津波の直後に、炉心溶融の危険性は現場の技術者たちに認識されていたそうだし、もう数十年も前から停電でも働く無電源の冷却装置の必要性は判っていて、最近の原子炉では設置されていた。何よりこの津波は地震学者たちの調査で、このくらいの規模が起こる可能性があるとすでに警告されていたのだった。

原子力安全・保安院は最近の記者会見で、警告された規模の津波にどう対処するかこれから検討するところだったが、その前に来てしまったと平然と釈明していた。よくもまあそんなことをしゃあしゃあと言えるものだとあきれてしまう。危険があると判ったら、対策が取られるまで即座に稼動を停止し危険物を退避させるというのが、国民の安全に責任を持つものの任務であろう。

日本の国家プロジェクトには、たいてい寄生虫のような連中がうようよいるものだが、原子力周りがこんなにひどいとは知らなかった。今回表に出てきた原子力安全・保安院だけでなく原子力安全委員会、原子力安全基盤機構、日本原子力文化振興財団、原子力環境整備促進・資金管理センターなどなど、いったい何をしていてなぜ必要なのかさっぱりわからない。全てを合わせると数千人の職員がいて驚くほどの高給を取っているのだそうだ。上の方はたいてい経産省などからの天下りで原子力の素人、たいして仕事もなく勤務時間などわずかなものだそうだ。普通の良識さえあれば、何もしないで高給をもらうなど申し訳ない、人間として潔くないと思うはずだ。そんな感覚すらなくした人たちに国民の生命や安全が委ねられていたのだ。

私はずっと、今度の事故にもかかわらず原子力発電は推進されるべきものと考えていた。今後どの産業も、また我々の生活もますます電気を食うようになるだろうし、それに応じるにはコスト的に、また環境汚染対策上にも原発に替わり得るものがないのだからと。しかも今回の事故は回避できたものであり、対策さえ取られれば安全な原子炉を作れることが逆に実証されたくらいなのだから。

しかし今や、その考えはまずコストの面で間違っていたことがわかった。こんなろくでもない連中を養っていることを始め、裏にいろいろと、とんでもないコストが隠されていたのだ。本来はそうしたコストはすべて電気料金に反映されなければならないはずだ。しかし国家予算の中に隠れて、実際には税金として全国民が電気料金とは別に支払っていたのだった。もしすべてのコストが明白になっていたら、そもそも原子力発電など最初からなかったかも知れない。

福島原発の後始末にかかる費用は、被災者への補償も含めて今後莫大なものになる。それをどのくらい国が肩代わりするか議論になっている。しかしそれはおかしい。この費用もまた原子力発電のコストのはずだ。それを電気を使う使わないに関わらず、全国民にあまねく負担させるというのは理に反する。すべて東電が負担するべきであり、そして受益者負担ということで電気料金に被せるべきなのだ。

こうしたすべてのコストを上積みすると、電気料金はきっと2倍にもなるだろう。それはとんでもないと思われるかもしれないが、実際には今と変らない。なぜなら我々は隠されたコストを税金として、知らないうちに無理やり払わされているのだから。それならすべて電気料金として明確に表に出した方がよい。いやそうするべきなのだ。闇があるから甘い汁を吸う連中が跋扈するのだし、秘密があれば正しい対策を立てることなどできるわけがない。

実際問題として東電だけ2倍にするわけにはいかないから日本全国で2倍にする。東電以外の電力会社は莫大な利益が出るが、それを東電の支援に充てる。また一部を、各社の原発の安全対策に充てる。どうせこれらの費用は否応なくこれから日本として必要なものなのだ。それを税金で賄って判りにくくするのでなく、電気にかかる費用として区分を明確にするだけだ。

電気料金が2倍になったら、国民は言われなくても節電に走るだろう。さまざまな節電技術も急速に進歩するだろう。いやそもそも最初からそれをするべきだったのが、税金の中に隠れていたので必要性が判らなかっただけなのだ。2倍になった当初は社会や経済は混乱するだろうが、やがて落ち着くべきところに落ち着くはずだ。そして電気に対する正しい対策が立てられるようになる。どうせ火力発電も、今のところは安価といえども、いずれ資源の枯渇やCO2問題で、どんどんコストが上がっていくだろう。前もって対策を取るべきなのだ。

原発や火力に代わるべき自然エネルギーの利用は、いつもそのコストが問題になっていた。しかし2倍の価格になれば実用化できる技術はたくさんある。太陽光だけでなく太陽熱、風力、波力、地熱などなど。これらは一つに絞らないで、技術競争のため、また場所の特性に合わせるためできるだけ多様化した方がよい。

ところで原子力も、現在のウラン炉よりはるかに安心安全なトリウム炉というのがあるそうだ。世界がそれを採用しなかったのは、核兵器の原料となるプルトニウムが生産できないからだったそうだ。つまり原子力の平和利用といいながら、実際は核兵器の原料を作ってきたのだ。そしていったんそういう体制ができると、トリウム炉に変換するのはコスト的に合わなくなってそのまま来てしまったのだそうだ。2倍の価格になれば可能性が出てくる。すでに作ってしまった原発をすべて廃棄するのは国家的にたいへんな損失だから、可能なものはトリウム炉に変換していくことも検討するべきだろう。

しかし何より推進したいのは各消費者による自家発電だ。当然のことながらソーラーパネルが本命で、電気料金が高騰すれば一挙に普及するだろう。ただそれに限るのでなく、さまざまな技術も取り入れるべきだ。たとえば我が家の庭の端には渓流があるので、小さな水力発電機を置けば数軒分くらいの電気は作れそうだ。昔、小川に水車が回っていたのと同じことだ。風の強いところでは風力発電が可能だろう。そうした各家庭で設置できる小さな発電キットも、電気料金が高騰すればコスト的に見合うようになり普及するだろう。それらは悪天候に弱い太陽光発電を補うことができる。こうしたマイクロ発電による無数の細かな電気を集めれば、国の総電気量のかなりの割合をカバーできるのではないか。

そして当然、こうした極めて雑多で不安定な電気の供給と変動する需要を制御するためにスマートグリッド(次世代電力網)化が不可欠になる。安定化のためには高度な蓄電も必要だろう。蓄電では日本は充電池で最先端を行っているが、スマートグリッドにおいては遅れを取っている。この機会に、電力会社は一つにまとめて日本全国のスマートグリッド化に邁進するべきだ。また東西のヘルツの統一も、莫大な投資が必要といえども断行するべきだろう。これらは国家プロジェクトといえるもので、電気料金値上げだけでは済まされず国家予算を組む必要がある。そしてそれに今までの原子力関連の予算はすべて振り向けるとしても、それだけでは足りず何かを削らなければならない。たとえば宇宙開発予算など、国民のためにはどちらを優先するべきか明白ではないか。この大震災を好機に国内のエネルギー体制を一新する。そうすれば5年とか10年後、日本は目覚しく復興できるだろう。宇宙に夢を追うなど、それからでもよいではないか。こうしたことだけでなく日本の国家予算は世界2位の経済大国だった名残でぶくぶくに膨らんでいる。この大震災はそうしたものを整理し、身の程をわきまえたものにする絶好の機会なのだ。
posted by 夜泣石 at 11:32| 世の中のこと | 更新情報をチェックする

2011年04月04日

コチドリ

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田植えの終わった水田に鳥が集まっていた。たいていはどこでも見かけるハクセキレイだ。中に同じくらいの大きさだが一回りずんぐりした、この辺りではあまり見慣れぬ鳥が混ざっていた。望遠レンズで覗くと、くっきりとした黒の線と、目の周りの黄色が目立つ。コチドリだった。千鳥足の語源になった通り、あっちに行ったりこっちに来たりせわしなく歩き回っている。虫などの食い物を探しているようだが、ここは先日までカラカラに乾いた砂漠のようなところだった。引き入れた水も屋久島の山から流れ出る蒸留水に近いほどのものだ。見かけと違って何か生き物がいるとは思えない。こんなに歩き回って、かえってお腹をすかしてしまうのではないかと心配になる。

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それにしても顔のこの黒い隈取はなかなか個性的だ。白い額にある鉢巻のような線など、あまりほかで見た覚えがない。くっきりと黄色で強調された目、おちょぼ口のような小さな嘴、ちょっとひょうきんな感じでかわいらしい。

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角度を変えると目から流れ下る黒が垂れ目のような効果になってしまう。こうなるとなんだか情けなさそうにも見える。

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少し前、海岸の岩場でもこの鳥を見た。カニやわけのわからぬ生き物がたくさんいるところだ。そんなものを夢中になって食べていた。この姿だとちょっと意地悪そうな、なかなかの悪漢のようにも見える。

コチドリは東京近辺では海辺にいけば普通に見られた。夏鳥でそのあたりでも繁殖しているのだそうだ。冬は南に渡って越冬する。屋久島では冬に少数見られるのでここで越冬しているのだろう。また今頃よく見かけるので、それはもっと南で越冬して、これから北に戻っていく旅鳥なのだろう。

いささか派手そうに見える装いだが、灰色の浜や岩場だと、あたりにしっかり溶け込んでほとんど目に入らない。知らずに近付いて急に飛び立ってびっくりさせられたりする。低くさっと弧を描いて、少し離れたところに降り立つ。飛びながら、ピォ、ピォ、ピォといった、高く澄んだとてもよい声で鳴く。それは楽しげなのか悲しげなのかどちらとも判らない。未だ肌寒い海風の中で聞くと、哀愁のようなものがこみあげてくる思いがしたりする。
posted by 夜泣石 at 10:17| 生きもの | 更新情報をチェックする
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