2009年10月28日

サンタンカ

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春暖かくなる頃、気がつけばサンタンカがあちこちで咲いている。そのまま咲き続けて、秋遅くなっても鮮やかな緋色がそこここで目を引く。もともとは熱帯アジア原産だそうだが、南西諸島には古くから入って沖縄では三大名花の一つになっているそうだ。花期の長いこと、どこでも育つこと、簡単に挿し木できること、大木にならなくてこぢんまりと適度にまとまることなど、庭木にはぴったりなのだ。屋久島でも喜ばれたのだろう、家の周りなどあちこちに植えられ、中には雑木林の一部になっていたりしてほとんど帰化状態だ。

花のまとまった感じは緋色のアジサイといったところか。また一つ一つの花をよく見ると、突っ立った雌しべと横に寝た雄しべの様子がクチナシに似ている。なるほど同じアカネ科だなと思う。しかしあのすばらしい香りは残念ながら無い。それよりこの花は、咲きかけの蕾がたくさん集まった状態がきれいで面白い。緋色の太い針を無造作に一つかみ針山に突き刺したような感じだ。

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沖縄ではサンダンカと濁って呼ばれていたそうで、この島でもそう呼ぶ人が多い。花のかたまりが1段咲くと、またその上に2段目が、そして3段目が咲くということだと聞いた。確かにその通りの咲き方で覚えやすい。それがいつの間にか濁りが取れて、山丹花という字が当てられるようになったのかもしれない。学名はイクソラ・シネンシスだそうで、この仲間にはよく似た美しい花を咲かせるものがたくさんあり、イクソラ・なんとかの名で花屋の店先にも並ぶ。花びらの尖っているもの、もっと真っ赤なものや逆に白いものなどあるが、私にはこの丸い感じの明るい緋色が一番好ましく思う。

いかにも熱帯の花だが、灼熱の日差しの下だけでなく、じめじめした日陰でも平気で咲く。神社の参道の林の下で、薄暗い中にぽっかり赤いものが浮かび上がっている様子はなかなか不思議で神秘的ですらある。ここには日本本土とは少し違った神様でも祀ってあるのかなという気がしてくる。
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2009年10月24日

ニホントカゲ

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岩の上をきらめくようなブルーが動いた。ニホントカゲの子供だった。最近よく目にするのは、涼しくなってきたので日なたぼっこをしに出てくることが多くなったためか。都会では家の周りにいるのはたいていカナヘビで、トカゲは山がちなところに行かなければ見られなかった。だからこの神秘的なほどの青には憧れすら感じていた。屋久島では庭に両方ともたくさんいるのがうれしい。

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この青い尻尾は、屋久島では普通より長めのように思う。また色も一段と鮮やかな気がする。それにしてもなぜこんな色をしているのだろう。動物が派手なのは警戒色かそれとも異性を惹き付けるためのことが多い。しかしトカゲには毒も牙もないし、青い色をしているのは子供のうちだけだ。定説ではこちらに捕食者の目を向けさせ、襲われた時に尻尾を切って逃げるためだという。そして切れた尻尾がくるくるのたうって敵の気を引いているうちに、本体は逃げのびることができるというのだ。しかしそれでは同じところで同じような生活しているカナヘビはなぜ全身茶色なのか。しかも何の工夫もないカナヘビの方がかえって栄えているくらいなのだ。トカゲも大人になると全身薄い茶色になって見つけにくくなるのだから、子供も同じ色をしていてもよいのにと思う。どうも世界はもっともらしい一つの話だけでは済みそうにない。

最近の研究では、私が昔から見慣れてきたトカゲと、ここのとは種類が違うのだそうだ。関ヶ原に近いあたりで、はっきりと東軍と西軍に分かれるという。なぜ分化したのか、どうしてそのあたりなのか、不思議に思うがまだ何も判っていないとのことだ。もう一つ、伊豆半島や伊豆諸島のトカゲも別種だそうだが、これはもともと海を越えて動いてきて日本にぶつかった地面だから当然かも知れない。またニホントカゲは屋久島あたりが南限で、奄美大島などではバーバートカゲとかいう別種になるのだそうだ。

ところでこの初夏の頃から我が家には野良の母猫と4匹の子猫が住み着いていた。やんちゃ盛りになると、彼らは次々にいろんなものを捕ってくるようになった。中で一番被害にあったのがこのトカゲだった。毎日のように玄関先に頭のかけらなどが転がっていた。何とかしてそれは捕ってはいけないと教え込みたかったがどうしようもない。不思議なことにカナヘビはほとんど混ざっていないのだった。トカゲの方がずっとすばしっこいのだが、なぜ捕まってしまうのだろう。それは猫たちをよく見ていて判った。彼らは動くものに興味があるのだ。獲物を捕まえても動きを止めると興味をなくす。トカゲはすばしっこさが逆に命取りになったようだ。

猫たちは秋になると、一匹、また一匹としだいに姿を消していった。成長すると武者修行に旅立つ習性でもあるのだろうか。あれだけ体をすり寄せて甘えていたのに、ふいっと姿を消した後、二度と見かけることはない。どこかで元気にしていれば良いがとふっと気になったりする。遠くで出会った猫と一緒になって、また不意に子連れで戻って来てはくれないかとも思う。今は母猫と末っ子のチビ黒だけがひっそりとしている。おかげでトカゲたちもまた元の平安を取り戻したようだ。
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2009年10月21日

コニシキソウ

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コニシキソウは北アメリカから渡ってきてまだ百年ほどだそうだ。しかし今や都会でもどこでも、最も身近な植物の一つになっている。それなのにほとんど目に入らない雑草でもある。あまりにもありすぎるし、小さく地表に張り付くように生えているから地面の模様か何かぐらいにしか思われない。コンクリートのほんの小さな隙間などにもたいてい生えているから、外を歩けばいつもこの草を足下にしているのだが。

農道脇の排水溝に突き出すようにして、びっくりするくらいきれいな草紅葉があった。それがこの、どこにもうんざりするくらいあるコニシキソウだと気付いてもう一度びっくりした。それにしてもなんだか賑やかな感じだとよく見たら、たくさんの花が咲いて実ができていた。といっても花の大きさは1mmをやっと超えるくらいしかないのだが。

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こんなに小さくても、花はトウダイグサ科の典型的な形をしている。花びらのような白いものは付属体。その付け根近くのピンクのものは蜜腺。それらに囲まれて、一つの雌花といくつかの雄花が、それぞれ雌しべ雄しべ以外はすべて失って、ぎっしり詰め込まれているのだそうだ。それなら普通に雌しべ雄しべのそろった当たり前の花とどこが違うのだと言いたくなる。きっと学者はほんのわずかな違いでも見逃さないのだろう。

若い花からは小さなイソギンチャクの触手のようなものがちょっと出ている。それが柱頭だ。受粉すると三角型のどこかユーモラスな感じの果実にふくらんで花から飛び出してくる。その姿は、確かに普通の花ではあり得ないと思う。その頃その足元から、茶色の頭の白い小さなものがそっと顔を出す。それが雄しべだ。つまり雌性先熟というわけだ。そんな物語がこの虫眼鏡の世界にすべて収まっていた。

それにしてもこんな目立たない花では虫など来ないのではないかと思うと、実はアリを呼んでいるのだそうだ。なるほど地面近くに蜜があればアリは群がるだろう。地面を這っていった枝は互いに交差して網のようになっているから、アリの歩く範囲でも十分他家受粉は可能なわけだ。アリは世界で最も栄えている動物の一つだそうだから、それを相棒にしたこの草もこんなに栄えることができたのだろう。

図鑑などに、枝を伸ばした先で根を下ろすと書いてあったりするがそんなことはない。草取りをすると全体が1枚の布のような感じで取れる。しかし屋久島では冬も枯れないので、木質化してしっかり根を張っていて苦労することもある。しかしこれはいつも背が低いからほかの草花の邪魔にはならない。グランドカバーとして地面の乾燥防止にも役立ちそうだ。他の雑草のように目の敵にする必要など無いだろう。それによく見ればなかなかきれいだ。もし小さな植木鉢にでも植えて机の上に置いたら、きっと多くの人が新しい園芸植物か何かだと思うだろう。
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2009年10月18日

判決

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嵐の後、世界は美しくなった(10/7 台風18号通過)

10月16日に不当な崖地購入裁判の判決があった。その日が近付くと、思いがけない人からいつだったかと聞かれたり、いよいよだねと声を掛けられたりした。島の人々の関心と期待の高さが伝わってきた。

論戦については一つ一つを追っていく時は、間違いない、すべて論破しているという自信があった。しかし決して安心感は持てない。そんなに甘くはないだろうという気がどうしてもする。相手はプロ中のプロだ。それに対してこちらはアマどころでなく、ズブの素人なのだ。プロの世界がどんなものか、分野は違っても知っている。素人などの及びも付かないこと、考えも付かない論理などあるものだ。だから私はもっぱら支援してくれる人たちの浮かれ気分の押さえ役に回っていた。

判決はあっけなかった。「却下する」。ほんの数秒で終り。いったいどこが悪かったのか見当も付かない。法廷から出て、大勢の記者さんに囲まれたが、判決文を読まないと何も判らないからと、しばらく待ってもらうことにした。それから10分後、やっと判決文が手に入った。30ページ近くもあって驚いたが、気を集中させて一気に読んだ。瞬間怒りがこみ上げてきた。何か気付かぬことがあったり、論理に矛盾があったりしたわけでなく、ただ時効だというだけなのだ。門前払いで、本案には立ち入っていないのだ。それならなぜ1年もかけて7回も公判を繰り返すなど無駄なことをさせたのだ。しかも時効の理由がとても承服できない。崖地の下の小公園を作った時に気がついたはずだというのだ。これは問題の崖地購入から8年後のことで、この二つに関連があるなどよほどの探偵か何かでなければ気がつくはずもない。そんな憤りを記者さんたちに真っ赤になってぶつけてしまった。

後でじっくり読み返してみた。怒りは増すが、それと共に何が問題なのか判ってきた。これは監査請求の1年以内という制約の除外条件の中の「相当の注意力を持って」という言葉の解釈の違いなのだ。我々は通常の住民の良識の範囲で考えていた。しかし裁判所はそんな程度では駄目だというのだ。

小公園については、当時の議会便りの中に「こんなところに作っても利用する人はいない」しかし「加工販売施設の後背地の活用が義務づけられた対策事業だから可決すべき」といった議論があったことが記載されている。たったこれだけの小さな記事なのだが、それを読めば「安全性や利用頻度に問題がある可能性があり、不適切又は違法な恐れのある公園整備工事等が行われようとしていること」が判ったはずであり、疑問を持った一般住民が「当該公園整備工事がどの土地について行われる予定なのかを屋久町に問い合わせ、情報公開請求などをすれば」芋づる式に「崖地部分を含む本件土地売買の存在及び内容が判明したであろう」と結論しているのだ。

もちろん私も、こんなことは全く不可能だとは言わない。しかし現実にはそこまでの注意力を持った人など誰もいないと自信を持って言える。もし住民訴訟にも裁判員制度があって一般の良識ある人々が参加していたら、絶対にこんな判決の出ることはあり得ないと断言できる。

また判決文には前置きのように、崖地の購入時にも判ったはずだという記述がある。その理由はただ「金額が多額であることについて疑問を持つなどして」というだけだ。それで「屋久町に問い合わせ、情報公開請求などを」するべきだったというのだ。つまり裁判所は「役場も議会もみんな住民の敵なのだから常時監視すべきだ、それを怠った住民が悪いのだ」として門前払いを食らわしたのだ。なんだか時代劇にでも出てくる悪代官のような話だ。これはこの裁判官だけの特殊性なのだろうか。それとも司法界全体の問題なのか。ともかく我々が闘わなければならないのは田舎政治だけでなく、体制擁護に汲々とする司法でもあることが明確になった。

ともあれ、それでもこの裁判は無駄ではなかった。判決文の中に我々にとっては重要な記述があったのだ。一つは前述のように小公園が「不適切又は違法な恐れのある公園整備工事」と明記されていること。またもっと重要なのは「本件土地売買及び本件公園整備工事に関する議案や屋久町議会での議論において、本件土地の地番が具体的に現れたことはなく」と明言されていることだ。地番が明らかでなく、どこの場所か議員たちが知らない土地の購入議決などあり得るわけがない。つまりこれは必要な議決を経ないで、土地を勝手に購入してしまった町長の違法行為を証言しているのだ。今まで町長や取り巻き議員たちは「議決されていた」と主張し続けてきた。その嘘が明確になったのだ。

この判決は日高十七郎の無罪放免では決してない。時効ということで司法では追求しないというだけだ。その時効というのもずいぶん怪しいのだが、しかしともかく判決文の中で、違法行為は明確になっている。日高十七郎は議会で、判決に従うといったことを明言している。政治責任に時効はない。即座に責任を取って貰わなければならない。

また屋久島町の代理人である弁護士は、そのほとんどの努力を「時効だから本案に入らず却下せよ」との主張に注いできた。弁護士はその仕事を果たしたわけだが、それを雇った屋久島町は、住民のために真相を究明するというのでなく、真相に蓋をし犯罪者を逃がすために貴重な税金を使ってきたことになる。この責任も議会で厳正に追及して貰わなければならない。

さてこの判決の一騒動が終って私個人の感想は、一時の興奮や怒りが醒めてみると、まあこれで良かったのかも知れないという気がしている。素人が素手で挑んで、そのまますいすい通ってしまうほど、世の中はそんなに甘いものであるはずがない。もし最初にそんな幸運に出会ってしまったら、うぬぼれたり世の中を見くびったりして、いずれはとんでもないしっぺ返しを食らうことになっただろう。勝った、終ったと思った時が負けの始まりなのだ。気を緩めるな、闘いは続くのだと諭されたようなものだ。私はずっと、もし負けるとしたら時効のためだろうと言い続けてきた。それも当った。思いもよらずこんなとんでもないことに引きずり込まれて丸一年、ズブの素人からアマの入り口くらいにはたどり着けたかと思う。敗れた理由も十分に手の届く範囲だ。こんな権力の走狗のような司法を糾すためにも、何とか控訴して闘い続けたいと思っている。
posted by 夜泣石 at 14:58| 屋久島町の動き | 更新情報をチェックする

2009年10月14日

シマヨシノボリ

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我が家の横には川が流れている。そこへはうちからしか入れないので、ほとんど庭の一部のようなものだ。かなり流れの激しい渓流で、澄みきった水が豊かに流れている。屋久島にはこういった小川が数多くあるが、今年の夏のように渇水が続くと干上がってしまうものが多い。しかしそんな時でもこの川は、ずいぶん水量は減ったが枯れることはなかった。

大きな岩が中央にあって、小さな滝になっているところがある。そのあたりに転がっていた岩をせっせと動かして、少し離れたところに積み上げていった。何年もかかって、まあダムを造ったということだ。今では大雨の後などは子供が泳げるくらいの池になっている。そこにいつの間にかたくさんの魚と川エビが棲みついた。

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屋久島は急流過ぎて川魚はいないと言われている。この魚たちも海から上ってきたのだろう。たまにずいぶん大きなウナギが体をくねらせているのを見かけるが、それ以外は小型のハゼの仲間だ。何種類かいるようだが、一番多いのは頭でっかちで派手な縞模様の顔をした、最大で10cm近くになるものだ。

ハゼは、胸のあたりのヒレが丸い吸盤のようになっていて岩などにひっつくことができる。これは生きていく上でずいぶん有利な道具のようで、海に行くと浅いところはどこもハゼだらけだ。また垂直な岩肌でも登れるそうで、我が家の池にまでたどり着けるのは、陸上をも移動できるウナギ以外はハゼしかいない。ハゼ科の魚は現在進化の絶頂期を迎えているとのことで、たくさんの種類がいて、未だ続々と新種が報告されているのだそうだ。

さてその中でこれは何という種類だろうか。図鑑で見ると淡水に棲むものは少なく、形からしてすぐヨシノボリだと判った。しかしヨシノボリの仲間は今では13種類ほどにも分けられている。その中のどれか、ネットで多くのサイトに当ってみたが、同じ名前なのにずいぶん違った色や模様の写真も多くなかなか決められない。いろいろな特徴を丹念に調べて、やっとシマヨシノボリだろうと判断した。本州産の個体とは模様などかなり違うが、南西諸島産の写真によく似たものがあった。名前の由来は顔やヒレの縞模様だそうだ。多くのサイトでミミズ状の模様と書かれてあったが、私なら歌舞伎役者のようなと表現してやりたい。

初夏に川で産卵し、孵化した仔魚はすぐ海に下り、そこで2〜3ヶ月ほど暮らし、2cmほどに育つとまた川に戻ってくるのだそうだ。ここの水は澄みきっていて栄養分には乏しいが、落ち葉が多くカゲロウやトビケラなどの水生昆虫がたくさんいるからそれらを食べて大きくなるのだろう。

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身を翻した瞬間など、きれいなコバルトブルーがきらめく。卵を持った雌のお腹が特に鮮やかなのだそうだ。しかしそれ以外の季節でも、腹びれや尾びれの下端など青く輝くものがいる。水槽に入れて横からよく見てみたいと網を持ち出してみた。しかしいつものんびりじっとしているのに、捕まえようとすると思いがけない方向にさっと逃げてしまう。遠くには行かないのだが、何度やっても捕まえることはできなかった。

先日の台風でこの川は恐ろしいほどの濁流に変った。なんとかそれが収まった後に見に行ったら、何事もなかったかのようにハゼたちは岩の上に並んでいた。しかし数はずいぶん減ってしまった。海にまで流されたか、いやその前にあのすさまじい流れに揉まれては、魚といえどもほとんど生きてはいられなかっただろう。それでも子供たちはすでに海に下った後なのだから命の繋がりは途絶えることはない。来年暖かくなる頃、またここはたくさんのハゼたちで賑わうことだろう。
posted by 夜泣石 at 06:46| 生きもの | 更新情報をチェックする

2009年10月10日

ツクシハギ

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高さは4mくらいになるだろうか、大きな萩の木が満開だった。萩は散歩道の草陰や雑木林の端などにひっそり咲くのを見慣れているから、こんな豪華な姿は意外だった。これでは春の桜に負けていない。これは日本中どこでもよく見かける同じヤマハギだろうか。しかし何だか花は白っぽい感じだ。近くで見ると白と赤のコントラストがとてもきれいだ。

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いろいろ調べた結果、花序がかなり長いこと、木質化が進んで背も高くなることなどからどうもツクシハギのようだ。旗弁が白っぽいこと、旗弁より竜骨弁の方が長めなこと、その竜骨弁に比べて翼弁がかなり短いことなど、細かな特徴もよく合っている。資料によるとヤマハギは屋久島には分布していなかった。またツクシハギもここが分布の南限なのだそうだ。萩というと、秋のひんやりとした空気の中で朝露に濡れた姿を思い浮かべる。しかし屋久島では未だ暑いくらいの日差しの中でハイビスカスなどと共に咲くから、どうもそうした風情は感じられない。ここより南になくて当然かなといった気持ちになる。

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萩は昔から日本人に好まれている。外国ではそんなことは聞かないから特別日本人の感性に合っているのかというと、どうもそうではなくただ欧米には分布していないためのようだ。東アジアの狭い範囲だけで、特にツクシハギなど日本固有種だった。また万葉の時代から詩歌などによく詠まれているのは、美しいというだけでなく人々の生活の身近にたくさんあったためでもあるようだ。森や林を伐採したりして自然を破壊した跡に真っ先に入り込むパイオニア植物なのだった。屋久島でも近年切り開いた道路の脇などに咲いていることが多い。どうもこの清楚な風情とはかけ離れたたくましい植物のようだ。
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2009年10月07日

アカウラカギバ

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屋久島でも夜はずいぶん涼しくなって、明かりに集まる虫もだいぶ減った。最後にクワガタを見たのはもう2週間ほど前のことだ。それでも蛾の仲間は、マントを羽織りフリースでも着込んだような体のためか、それとも太い胴体に脂肪をたくさん蓄えているのか、今でも盛んにやってくる。

枯れ葉のような色と形で、翅を広げると5cm近くもある、わりと大型の一群がいる。翅の描く微妙な曲線が印象的だ。先が尖り、わずかに鉤型に曲っているところなど、流体力学で計算し尽くされた結果のようにも思わせる。春早くから秋遅くまでかなり頻繁にやってくる。形はどれもよく似ているが、地味な色でも白っぽかったり黒っぽかったりするので何種類かいるようだ。

中にとても印象的なものがいる。お腹側が赤というか、かなり派手な紅色なのだ。暗闇を背景に、窓ガラスの向こうにこれがちらちらしていると、何かおぞましいものでも見てしまったかのような気さえしてくる。それでも止ったところをよくよく見ると、何となくかわいげもあって、遠い星から来た異星人かといった感じもする。

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名前を調べようと図鑑を広げた。まず何の仲間だろうかと一覧を見ていくうち、カギバガ科というのに目がとまった。鉤羽蛾ということか。これだろうと直感してその中を見たら見つかった。文字通りのアカウラカギバというのだった。本州からずっと南西諸島にかけて分布し、食草はユズリハだった。ユズリハはこの島には多い。大きめのしっかりした葉で、そんなものを食べる虫などいるとは思わなかった。ナメクジ様のなかなか変った幼虫だそうだから、これからよく注意して見てみよう。

それにしてもなぜこんな色をしているのだろう。裏側などふだん見えるものではないからどうでもよいはずなのにと思う。しかしぐっと低く、虫の視線で見てみるとびっくりするほど目立つのだ。翅をばたばたさせて歩き回っている時など、ちょっと恐ろしいくらいの姿になる。蛾の中には雄と雌が出会った時、こういう仕草をする種類がいる。してみるとこれは異性を惹き付けるための色仕掛けなのかもしれない。

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2009年10月03日

アカウミガメ

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ちょうど2週間前のこと、青い海がきれいだったのでふと田舎浜に立ち寄ってみた。流木騒ぎで高速船が止っていたので、広い砂浜に観光客は一家族がいただけだった。その中の少年が突然「あ、亀!」と声を上げた。死骸でも見つかったのかとそちらに目をやると、何か小さなものがばたばたしている。この時期、こんな真っ昼間にまさかと思ったが、それはまさしく小亀だった。近くに一匹、少し遅れてもう一匹がいた。

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小さな体に不釣り合いなほどの大きな前足を必死に動かす。砂の上を泳いでいるような感じだ。意外に早い。どうして判るのか海の方向に一直線に向かっている。しかし海まではだいぶ遠い。それにこの炎天下だ。見ていてはらはらする。砂のでこぼこにはまってひっくり返った時、ふと持ち上げてみたらびっくりしたように動きを止めた。意外にうすべったく、軽く、甲羅は柔らかだった。少し行程をはしょって、海の近くに持っていって放した。たちまち波の中に入っていって見えなくなった。

もう一匹はだいぶ遅れてしまった。それでもやっと海にたどり着いたが、波に戻され打ち上げられてしまう。ひっくり返ったり、砂に埋もれてもがいたりなど繰り返す。ちょっと弱っているようだ。もう手助けしなければだめかと思った頃、やっと砕ける波の向こうに行けたようで、小さな黒い影が水面にちらちらしたかと思うとたちまち消えていった。後には何事もなかったように、今起こったことがすべて幻だったかのように、青い海と白い波が広がっているだけだった。

亀の子は早朝に出てくるはずだ。一緒に見ていた人の話では、別な観光客が今朝方出たと言って動画を見せてくれたそうだ。その残りが砂の中にいて、必死にもがいてやっと今頃出てこれたのだろう。どこから来たかと小さな這い跡をたどっていくと、それはずっと砂浜の終るあたりまで続いていて、そこに浅い窪みがあった。もしかしたらまだ残っているかも知れないと手で掘ってみたが、届く範囲には見つからなかった。

もう何年も前、亀の産卵をここに見に来た。その様子はテレビなどでよく見る通りなのだが、実際に目の前で見て、まず亀の重量感に驚き、長い時間のかかることにその苦労が偲ばれた。本当に亀がどう思っているかはともかく、感情移入してしまうのだ。小亀もテレビで見る通りなのだが、その懸命さはその場でなければ伝わってこないものだ。みんなこんなに必死なのに、成長してまた戻って来れるのは数千匹に一匹だそうだ。ほとんどはこの青い海のどこかで短い命を落とし消え去ってしまうのだ。そんな数え切れない無念さや怨念をはらんで、海はただ穏やかにどこまでも広がっているのだった。

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posted by 夜泣石 at 09:54| 生きもの | 更新情報をチェックする
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