2009年08月30日

日本をどのような国にしたいか

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山と海と川、青と緑の国

日本をどのような国にしたいか。我々はどういう国に住みたいか。その問いを突き詰めると、人はどのように生きるか、あるいは幸せとは何かといったところまで遡って、哲学や宗教の領域に立ち入ってしまう。しかしそこまでいかなくても、すべての人に共通する段階があると思う。たとえば苦しみや恐怖からの解放。なかでも飢えから逃れるなどその物質的な面は政治の領分のはずだ。実際日本国憲法にもすべての国民の生活を保障する旨の定めがあるが、残念ながら今の日本で実現されているとはいえない。

この目的のためには今でも生活保護や年金など、それぞれの人の事情に応じた様々な制度がある。しかし内容が不十分であったり運用に不備があったり、また各制度の谷間に落っこちたりなどして苦しんでいる人が少なくない。今は何とかなっているが、いつ追い詰められるか判らないと不安を持っている人となると国民のかなりの割合になるだろう。ここでもし必要な生活費は、老若男女を問わず一律にすべての国民に支給されるとすれば、この問題は一挙に解決される。こういう考え方は「ベーシック・インカム」と呼ばれているようだ。

そんなことをしたら国民が働かなくなって国が破滅するといわれそうだ。確かに過去の共産主義国や今でも一部の産油国にこのような制度があるが、どこもうまくいかなかったようだ。しかしそれでは人は飢えなどの恐怖に追われてしか働かないのだろうか。いや人にはさまざまな欲望があるはずだ。恐怖から解放されたら、何か良いことをしたい、仲間の中で認められたい、褒められたい、自分らしく生きたいなどの気持ちが出てくるのではないか。そういうことができる機会を与えられれば、多くの人はかえって熱心に働くのではないだろうか。もちろん何もしないで飲んだくれる人も出てくる。しかしそういう人はいつの時代にもいるものだ。そうした中には恐怖や貧困に追い詰められ落ち込んでしまったという例も多い。それらはかえって救えるはずだ。

もっとも現実問題として、支給額はかなり抑えて、多くの人がもう少し良い暮らしをしたい、少しは贅沢をするために稼ぎたいと思うくらいにする必要はあるだろう。また過去に人類は、生き延びるために大変な苦労をして来た歴史があるから、きっと勤勉の遺伝子があるはずだ。それが素直に出てくるよう工夫する必要がある。かつては家庭や地域で子供たちはしつけられ、働くことの美徳を教え込まれてきたものだ。今ではそうしたことが崩壊してしまったから、国として取り組む必要がある。若い時期にある期間、徴兵制のような制度が必要かも知れない。といっても配属されるのは福祉活動隊であったり、農業や林業の緑保全隊であったり、海外協力隊であったりするのだが。たとえば15歳から2年間、全員が合宿してそういう活動に従事する。それが終ると成人として認められ、すべての権利が与えられる。きっと未来を担えるすばらしい若者が育つと思う。またそれには多くの指導者が必要だが、これから激増する定年退職者で十分まかなえるだろう。

ところでこのような国の産業はどうなるだろうか。最低賃金は国が保証しているのだから、企業は人件費に今ほど悩まず、余裕を持った経営が可能になる。従業員は安心してそれぞれの能力を発揮できるから、豊かな発想の個性的な商品が期待できそうだ。製造業においては、今の日本の高機能高付加価値製品がさらに洗練されたものになるだろう。また国民に金が行き渡っているから国内消費を主体にでき、無理な大量生産と低価格化競争に巻き込まれずに済むはずだ。

農業も生活保障があれば無理して多く稼がなくてもよい。大消費地向けの大量生産でなく、近隣で消費することを目的とした多品種少量生産の集約農業が可能になる。それは日本の農業の本来の姿なのだ。そしてほどほどの利益、設備や輸送などの費用の削減、何よりも安心ということで外国の工業化された農作物に対抗できるだろう。日本の国土では加工食品の原料などは輸入に頼らざるを得ないだろうが、日々食べるものの多くは地産地消でまかなえるはずだ。

個々には何の規制も、特別な支援もしない。ただ生活の保障があれば、人々は自由に創意工夫してやりたいことをやっていくだろう。それで産業は極めて多岐にわたって発展するのではないか。中には食べていけさえすればよいと、金には目もくれず好きなことに没頭する人たちが出てきそうだ。それはさまざまな分野の学問であったり芸術であったりする。そうして幅広く豊かな文化が花開くだろう。一部には政治を志す人もいるはずだ。今は資産家で選挙に落ちても食うに困らない人とか、2世など確実に当選できる人しか立候補できない。生活が保障されて、やっとすべての人に政治への道が開かれるのだ。真の社会正義の実現を目指す気概を持った若い政治家が輩出するだろう。

このように良いことずくめだと思うが、では財源はどうするか。まず各種年金や保険、生活保護や各種給付金など、あらゆる社会保障的な制度をこれに統一する。それぞれの徴収と給付など、ばらばらに行っていることで生じる多くの事務経費や人件費が削減される。複雑な仕組みの中でどこかに吸い取られ消えていった金がすべて国民に届くようになる。これらは国全体で莫大な金額になるだろう。

この制度は全国民一律だからこれ以上単純な仕組みはない。ただ全国民に行き渡らせるためにはそのデータが必要だ。国民総背番号制というのは日本では評判が悪いが、実際に困るのは不正に金を得ている連中とか税金逃れを企んでいる連中だ。清く正しく暮らしている大多数の国民にとって何一つ不都合はない。もちろん徹底した機密保護対策や不正使用に対する厳罰は必要だが。そして国民に関するあらゆる情報が統一して管理できれば、行政はずいぶん簡素化でき、そこからも金を浮かすことができる。

ところで1億人に生活費を配るとなると、総額は100兆円の位になる。こんなことだけではとても足りず、国として徹底的に切り詰めなければならない。道路やとてつもない種類の補助金などはすぐにも見直しが必要だ。また今は一流国、国威発揚などという言葉に踊らされて、国民の幸せにつながらない分野にかなりの予算が付けられていると思う。もうそんなことで威張っても仕方ないと気付くべきだ。我々は静かな成熟した国を目指せばよいのだ。

軍事費も見直さなければならない。日本は軍隊を持たないという憲法の下で、いびつな軍備を増長させ、いつのまにか世界有数の軍事大国になってしまっている。この矛盾を解決するためには明確に軍隊を規定し、日本にふさわしい軍備とは何かを白日の下で堂々と議論する必要があるのだ。危険は心配すればきりがない。またどんなに備えても危険をゼロにすることはできない。世の中のことは危険度と投資効果を勘案してどこかで折り合いを付けるものだ。そうすれば日本の軍事費は今の数分の1くらいには抑えられると思う。

今盛んに言われている道州制も、何が良くなるのかさっぱり見えない。そもそも物事は統一して行った方が効率は良いのだ。国としてまとめてではできず、道州でばらばらに行わなければならない何があるのか。いやそんなことより、こんな狭い国土の中で、国、県、市町村と3段階の仕組みがあり、それぞれに役所と首長と議会があるのが無駄に思える。だいたい地方議会などほとんどまともに機能していないのだ。私は今の市町村は合併して昔の藩、あるいはもっと昔からの国と呼ばれた大きさにする、そして県はその藩に分割するのが良いと思っている。つまり国家と藩の2階層にするのだ。日本全体としてずいぶん無駄が減るし、藩とか国の範囲は自然発生的で文化的な統一感もあり、真の地方自治の実現に結びつくと思う。

このようにして徹底的に国全体の無駄を抑えた後、さらに足りない分は税金を重くするしかない。といっても各種保険などで取られていた分が、ずっと少ない額で税金の形になるだけだが。確実な税収とまんべんない負担のためには消費税で、それが20%や30%になる可能性はある。消費税は貧乏人に重く不公平だと一般に言われている。しかしそれを見越した給付額にすればよいのだ。それに今はたくさんの商品があり、基本は同じものでも付加価値の差で価格は極端に違う。人々はそれぞれ買える物を買えば良い。それで収入に応じた納税となる。さらに出費を抑えるにはフリーマーケットなどを盛んにしたらよい。農作物などは、ベランダ園芸や庭先の畑で少しは自給もできる。また今のように何でもお金で済ますのでなく、身の回りのことはできるだけ自分でやるようにすればよいのだ。ちょっとした大工仕事や繕い物など、ついこの間までたいていの男女ができたものだ。

所得税の累進課税はしない。煩雑だし、決して公平とは言えず働く意欲を削ぐ。しかし所得の最高限度額を決める。あまりに多くの収入は本人の努力の結果だけとは思われないし、人はそんなに多くのお金を必要としないはずだ。したがって上限を決めてそれ以上はすべて国庫に納めさせる。本人にとっても自分で制御できないほどのお金は不幸を招きかねないし、極端な差は人々にうらやましいというより怒りを覚えさせて、社会を不安定にしかねない。

さてこのようにして国冨のほとんどを国民にあまねく配ってしまったら、国の経済は停滞するだろうか。もしかしたら国全体に金がよく回って、経済は発展するかも知れない。どちらにせよそれは統計上のことであって、人々が数字に表れない豊かさを実感することになるのは間違いない。人口は適度なところで下げ止まるはずだ。安定した暮らしができて将来に不安がなければ育児に専念したい人たちはかなりの割合でいると思う。昔この国を訪れた少なからぬ外国人が、貧しくはあっても幸せに暮らし、礼節が守られ豊かな文化を楽しむ日本人に驚嘆したと書き残している。我々はそういう時代にまた戻れるかも知れない。
posted by 夜泣石 at 10:39| 世の中のこと | 更新情報をチェックする

2009年08月26日

あえて総選挙の話題

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朝日を隠す化け物雲

衆議院選挙戦がたけなわだ。しかし騒々しいのはテレビの中だけで、この島では公示後ずいぶん静かになった。ネット上でも議論はすっかり低調になっている。この理由は公職選挙法なのだそうだ。なんだかひどく細かいことまでがんじがらめに規制してあって、それなのにその解釈もいろいろあって、みんな関わり合いを恐れて表向きは自重せざるを得ないのだそうだ。こんな大事な時期に自由な議論を押さえつけるなど、民主主義そのものの否定だと言ってよいだろう。実は公選法は日本の数ある法律の中で最低と言われていて、世界の物笑いにすらなっているそうだ。そしてこんな民主主義の根幹の制度がいつまでも改められないのは、ただこのままの方が現職に有利、つまり自民党に有利だったからなのだそうだ。つまり自民党は選挙をねじ曲げることによって、つまり民主主義を形骸化することによって長期政権を維持してきたのだ。

こんなことをこの時期書くとたちまち公選法に引っかかって警告を受けそうだ。ところがさすがに最近、新しい判断が下されたそうだ。それによるとネットで「XXに投票を」と訴えるのは違法だが、「自分はXXを支持する」と意思表示するのは構わないとのことだ。これは大きな前進であり、みんな選挙直前まで大いに自分の意見を書き込むべきだと思う。

今の日本がさまざまな面でかなり酷い状況にあることは誰もが知っている。そしてそうなる間、ずっと政権を担ってきたのは自民党だ。ということはどんな理屈や言い訳を並べようと、事実として彼らに最大の責任があるのは明白だ。言ってきたことは嘘だと事実で検証されているのだ。その張本人たちが、今なお責任力だの実行力など並べて詭弁を弄しているのを見ると、何と厚顔無恥な連中だと思わざるを得ない。少しでも責任を感じる能力があったら、とても他党の悪口など言えるはずもない。新しい政策を言うなら、なんで今までそれができなかったか、なぜ急にできるようになるのか説明が必要だろう。翻ってみればどんな酷い世の中でも、いや酷ければ酷いほど甘い蜜を吸う連中は必ず居る。自民党とその支持者たちというのはそういう輩なのだろう。

では対する民主党はどうだろうか。いろいろ政策を並べているが、どうせ寄り合い所帯の妥協の産物だから読んでも仕方がないと思ってしまう。それにどんな勇ましいことを言っても、具体的な政策としてすぐにはたいしたことができるはずもない。特に外交や防衛など、しばらくそのまま続けていくしかない。政権は替ってもそれは国内のことであって、外から見る日本という国は継続してあるのだから。そもそも相手のあることは自分の信念ばかりを貫き通す訳にはいかない。相手の出方を見て臨機応変に対応していかなければならないのだ。幸い民主党にはさまざまな考えを持ったそれなりの人材が揃っているから極端には走れないだろう。それが共産党や社民党などとの違いだ。ともかく日本のような巨艦は、突然大きな方向転換をしたら転覆してしまいかねない。

では政権が替っても何も期待できないだろうか。いや確実に一つ、こんな日本にした最大の元凶と思われる政官財の癒着の構造にメスを入れることができる。癒着というのは基本的に人と人との繋がりから始まっている。だから人を入れ替ることによってしか、それを断ち切ることはできない。そもそも今の日本で最大の反社会的組織は官僚体制だ。もちろん日教組や自治労、一部の宗教団体などもあるが、規模や支配力など比べものにならない。そしてあらゆる予算が彼らに吸い取られて、その多くが国民に届く前にどこかに消えてしまう。官僚支配からの脱却、それだけを期待して民主党に政権を取って欲しいと思う。そして癒着した連中が消えていくまで、しばらく堅実に政権を維持してもらいたい。

ただその後、ではどういう国に作り直すのかが具体的に見えてこないのが残念だ。日本をどういう国にするのか、人々はどういう暮らしをするのか、そういう展望、具体的目標があって、それを実現するために個々の政策が展開されなければならない。展望がないままの政策は、ばらばらで互いに矛盾し合うものであったり、単なる思いつきや人気取りになりかねない。そもそも政党の違い、政党間の論争はそうした展望をめぐるものであって欲しい。今は自民党も民主党も経済成長は当然の課題として、ただその実現の方法が違うだけのようだ。しかし限られた国土の中で持続可能社会を考えた時、いつまでも経済成長を続けられるのだろうか。経済停滞、人口減少の中でも人々が幸せと感じられる生活を営める社会、そんな国のあり方を描ける政党が一つくらいあっても良いと思うのだが。
posted by 夜泣石 at 07:04| 世の中のこと | 更新情報をチェックする

2009年08月23日

ベンガルヤハズカズラ

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屋久島南部の集落近くに、大きな廃屋がすっかり緑に覆われているところがある。そこから少し離れて、見上げるほどの大木がやはり同じ緑に覆い尽くされている。そして春から秋の長い間、薄い青紫の花が、いくつもかたまってあちこちに咲く。色合いも長く垂れ下がった花序も藤によく似ている。しかし違いは一つ一つの花が10cm近くとかなり大きいことだ。肉厚で頑丈そうで熱帯の林に似合っているが、色だけはかけ離れてとても涼しげだ。淡くはかないほどの青は、咲き始めに濃く、だんだん褪せて白くなる。また涼しい頃の方が青く、真夏はだいぶ白っぽい。

この花には見覚えがあった。本土の植物園の温室で、たいていどこでも咲いていた。ベンガルヤハズカズラという名でインドあたりが原産だそうだ。ツンベルギアとも呼ばれるがそれは属の名前だ。キツネノマゴ科で、その科は日本には数種類ぐらいしかないが、世界の熱帯を中心に2000種以上もの草や木を抱えて栄えているそうだ。

園芸植物として日本にもたらされ、日除けの棚に使われたり、塀や外壁に這わせたりするそうだ。しかし葉の形はあまり美しくはない。細長い心臓形だが、縁がなめらかでなく、大きめの出っ張りもある。花はこれとそっくりだが、葉がすんなりと細長いローレルカズラという種類もあるそうだ。その方が葉の目に付く日除けにするには好ましいかも知れない。

花の中を覗いてみたら、雄しべと雌しべが天井に張り付くようににゅっと突き出していた。どちらもかなり大きく頑丈で、おしべはブラシのように下側に毛が並んでいる。これは虫の背中に花粉を付ける典型的な花の形だが、それにしては天井が高い。もしかしたら鳥媒花で鳥の頭に付けるのかも知れない。花の筒の底にびっくりするほどたっぷりと蜜があるので、その可能性は高いと思う。筒の下側が盛り上がっていびつになっているのも、鳥の重さに耐えるための補強なのだろうか。

こんなにたくさん花は咲くのに果実は見たことがない。この大きな花を受粉させる虫か鳥が日本にはいないのだろうか。それとも自家不合和性が強いためか。もしかしたら屋久島に入ったのは一株だけで、それが挿し木で広がっただけなので、皆クローンなのかも知れない。ともかくそれでよかったと思う。種がばらまかれて、こんな旺盛な蔓があちこちに広がったら大変なことになる。ハワイとか小笠原諸島などでは侵略植物として問題になっているそうだ。
posted by 夜泣石 at 06:52| 花草木 | 更新情報をチェックする

2009年08月20日

崖地購入裁判報告会

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不当な崖地購入裁判報告会を島内主要3カ所で開催した。これは先日結審した屋久島町長提訴について、争われた内容や裁判の経過など全般を説明したものだ。裁判が行われていることは島内で多くの人の知るところとなっている。しかし具体的内容まで理解している人はほとんどいない。判りにくいということもあるし、島内に情報を伝える手段がほとんどないためもある。そもそも権力側を相手にしているから、さまざまな誹謗中傷が流され、一般の住民から敬遠されている面もあるようだ。今回開催を知らせるビラ配りなどで協力してくれた人に、そんなことをすると食べていけなくなるぞと脅した有力者もいたそうだ。このような会に出席するところを人に見られたら困るということで、どの報告会も夜陰に紛れた開催になってしまった。

報告では訴えの原因である土地の価格が低いこと、および購入手続きが違法・無効であることについて、原告、被告双方の主張を比較して説明した。そしてどちらが正当と思うか判断して欲しいと訴えた。といってもこれらに関して、被告側は裁判であまりまともな対応をしていないのだから、原告側に分があるのは誰が見ても明らかだ。被告側が過半の力を注いだのは「出訴期間の徒過」、つまり時効だという主張だった。それについて双方の言い分を説明した。そして万一、この理由で敗訴になったとしても、それは悪いことをしておきながら逃げおおせたということなので、とてもそんな人に今後も町長として居続けて貰うわけにはいかないと強調した。

ところでこの裁判は形の上では屋久島町長を訴えているが、実際には町長をトップとした行政機関である屋久島町役場に、ある仕事をして欲しいと頼んでいるだけなのだ。その仕事というのは、個人日高十七郎に損害賠償を請求して欲しいというものだ。だからこの裁判は原告と被告、それに町から告知を受けた日高十七郎の3者が出席するべきものだった。ところがたまたま町長と被告知人が同一人物だったため、役場は依頼した弁護士に、税金を使って日高十七郎個人の弁護をやらせてしまったのだ。役場は本来公平な立場で、住民のためには何が最善かを考えなければならないはずなのだ。それが住民を敵視し、それどころかある一個人の弁護のために、公務としてとうてい認められないような嘘、偽りを法廷の場で並べてきたのだ。報告会ではその実態を詳細に説明した。またそうしたことを監視し、抑止しなければならない議会がいかに無力か、それどころか町長の翼賛会になってしまっている実情を説明した。

説明の最中にたくさんの質問が出た。ほとんどの出席者が、まさかこんな事が行われていたとは夢にも思っていなかったようだ。初めて真相を知って、会場は驚きと憤りの声が充満してくる感じだった。しかしそれを私に向けて貰っても困るのだ。そんな町長と議員を選んできた自分自身と、隣近所の人たちに向けて怒りを発しなければならない。こうなったのは皆が無関心でいた付けが回ってきただけなのだから。

残念だったのは延べ出席数が100人くらいと、全町民のわずかな割合でしかなかったことだ。しかし意識の高い人たちばかりだから、周りに対する影響力が期待できるだろう。なにより集落の区長さんが4人も来てくれた。現場のリーダーである人たちが、特に頼んだわけでもないのに自ら積極的に参加してくれたのは心強い。

後で出席者の何人かが、町長取り巻きの当時からの議員と話をしたそうだ。議員の一人は、あの土地は一団として買うという約束が地主との間でもともとあったのだと断言したそうだ。もしそうならとんでもないことになる。議会に諮らず勝手にそんな約束をするなど犯罪行為だ。またこの議員は、島中に同じような問題は山ほどあるのに、なぜこれだけを取り上げるのだと気色ばんだそうだ。これもとんでもない発言だ。山ほどある疑惑を一つ一つ取り上げてすべて究明していかなければならないのだ。そしてそれを率先するのが議員の役目でもあるのだ。またもう一人の議員は、あの土地だけ残ったら始末に困るから、まとめて売るのは世間の常識だと言ったそうだ。しかしそれを言うなら、買う方もそうした足元を見て、二束三文に買い叩くのが常識だ。あんな崖地に一億円も払う者など、広い世間といえどもまず居るはずもない。

ともかく真相さえ知れば、多くの住民は黙ってはいられないようだ。もっともっと多くの人に説明を聞いて貰わなければならない。真相を知らしめることが改革の出発点であり、裁判の勝敗よりずっと重要なのだと気付いた。この報告会をこれからも各地で続けて行かなければならないと思っている
posted by 夜泣石 at 10:40| 屋久島町の動き | 更新情報をチェックする

2009年08月15日

オオキンカメムシ

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屋久島では林道際などにアブラギリの林が多い。初夏には白い花が一面に覆い、今は大きめの果実がびっしりと実っている。何となく面白い感じがして覗いて見ると、赤いけばけばしい色のカメムシがうじゃうじゃとひしめいていた。この虫には見覚えがある。冬に日だまりの木の葉の裏などで集団越冬していたりする。一つ一つが派手で大きめなのに、それらがまたびっしりと寄り集まっているから、初めて見た時は思わずうわっと叫んでしまった。そんな強烈な印象で、オオキンカメムシという名前もすぐ覚えた。

なかなかきれいなのは羽がすっきりしているせいもあると思う。よく見ると左右に分かれていなくて、丸くふくらみを帯びた1枚の甲羅になっていて、なるほどこれは亀らしい。実はこれは羽ではなく、背盾板と言われるものだそうで、羽はこの下に隠れていて胴体との隙間から出すのだそうだ。普通カブトムシとかカナブンなど、左右の羽の付け根の真ん中に、隙間を埋めるかのように小さな3角形がタイルのようにはまっている。それが背盾板で、だいたいカメムシの仲間はそれが大きく、上から見ると変った模様に見える。それがこの虫ではどんどん大きくなって全体を覆ってしまったので、逆にのっぺりしてしまったわけだ。

それにしてもこの色はなんだろう。赤みを帯びた橙色はひどく目立つ。昆虫では珍しい色だが、ふとテントウムシにもこんな色があったのを思い出した。彼らはひどく不味く、鳥に対して食べるなと警告しているのだそうだ。この虫も同じだろうか。でもそれなら、何も上から見えないお腹の下までこんな派手な色で塗らなくてもよいのにと思うが。カメムシは襲われたりすると独特の臭いを出す。夜の明かりに集まってきて、料理の上に落ちたりすると悲惨なことになる。これはこんなに大きいのだからさぞかし強烈かと思うと、実はほとんど臭わないのだそうだ。この警戒色でもう十分ということなのかも知れない。小さく地味な色のカメムシが信じられないほど臭かったりするのは、彼らはそれだけで勝負しているからかもしれない。

オオキンカメムシは、特にその幼虫はアブラギリが主食だそうだ。しかしアブラギリは工業用の油を取るために栽培されているほど、たくさんの油を含んでいる。この虫がつやつやして脂ぎったような感じなのはそのためだろうか。標本にすると油がにじみ出てあたりを汚すほどだそうだ。この油は人間には有毒だし臭いも不快なのだが、この連中にとってはご馳走のようだ。

小さな金属光沢のかわいい虫が一緒にいた。カメムシは不完全変態で、生まれた時から似たような体で、脱皮を繰り返しながら色や形や大きさがだんだん親に近付いていくので、きっとこれが幼虫なのだろう。ともかくこの色の方が断然きれいだ。このまま大きくなってくれたらタマムシにも負けなかっただろうにと残念に思う。

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posted by 夜泣石 at 06:49| 生きもの | 更新情報をチェックする

2009年08月12日

ゴミ処理問題で監査請求

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生まれたばかりのツマグロヒョウモンの雌

クリーンサポートセンターの問題解決を急がせるために、屋久島町監査委員会に措置請求書を提出した。内容は「屋久島町クリーンサポートセンターの業務委託の平成21年度契約は違法であり、それに基づく支払いは不当支出に当り、住民に損害を与えたので、執行した屋久島町長 日高十七郎に対し、正当と思われる金額との差額約450万円の返還を求める」というものだ。

違法とは、前回書いたように24時間稼働のことだ。といっても私は、24時間稼働そのものに反対しているわけではない。それどころか効率的で経費削減になる24時間稼働にさっさと移行して欲しいと思っている。今度もたとえ違法であっても、もし経費削減になっていたら監査請求などするはずはなかった。本来減るはずの業務委託金額が前年より4割も増えていたから、その追求の糸口を掴むためにあえて持ち出しただけだ。

違法であることは、議会で一議員からこれを指摘され、それ以降業者への支払いを止めていることから役場も認識しているはずだ。町長も「あってはならないことだ」などと発言している。ではこの監査請求に役場はどう対処するだろうか。委託業者から返金して貰うのが手っ取り早い。しかし業者側には全く落ち度はないから、彼らは契約不履行で町を訴えることができる。もしそれをしないで素直に従ったとしたら、もともと契約金額が多すぎたということの証明になりそうだ。そのあたりから不正の追求が始められるのではないかと期待している。間違っても、日高十七郎がぽいっと450万円払って終わり、などということにはなって欲しくない。もっともこの人のことだから、まずそういうことはありえないとは思うが。

また違法であると指摘されながらも、予算を原案通り多数決で可決してしまった議会にも責任を痛感して欲しい。と言っても、もしそうした感覚を多くの議員が持っていたら、もともとこんなことはならなかっただろう。有権者が議会活動などに関心を示さず、何をしていようがまた次の選挙で再選されるという自信があったら、誰が真面目に審議し、また責任など取ろうとするだろうか。住民の意識が変らなければならない、極めて遠い道のりだがそれを目指すしかない。この監査請求もその一歩になればと願っている。
posted by 夜泣石 at 11:25| 屋久島町の動き | 更新情報をチェックする

2009年08月08日

作り直すしかないゴミ処理施設

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屋久島のゴミ処理施設(クリーンサポートセンター)はいつの時点からか、既に24時間稼働をしているらしい。らしいというのは、何が本当なのか役場の言うことがくるくる変ってさっぱり判らないためだ。ともかく業務委託している業者との本年度の契約は、昨年の16時間から24時間稼働になっていて、既にそれに基づいた金額が支払われていることは事実だ。

ところでなぜ24時間稼働なのだろうか。ゴミが増えてそうしないと処理しきれなくなったのか。いやゴミはそんなに増えていないそうだ。実はゴミ処理装置は立ち上げてから所定温度に達するまで時間がかかるので、毎日入れたり落としたりするのは不経済で、連続運転の方が効率的なのだった。つまり24時間稼働にすると総運転時間は減り、燃料費や人件費などの経費削減になるはずなのだ。

ところが驚くべきことに業務委託金額は前年より4割増し、3千万円近くも増えていた。これはいったいどうしたことだろう。しかもその算定根拠が、1枚のもっともらしい表はあるがその説明や数式など全くなく不明瞭そのものだ。この点を一議員が屋久島町議会でも追求したが、調べて後でお答えしますということで終わってしまった。

それどころか24時間稼働にはとんでもない問題もあった。法令違反、条例違反を犯していたのだ。昨年までの16時間稼働から24時間にするには、まず試験稼働し、その環境影響評価調査結果を住民に縦覧し、問題がなければ県に申請する。その後30日の間に差し止めなどの処分がなければ実稼働して良いというのが法律の定めるところだ。それを受けて屋久島町の条例を変えて、やっと24時間稼働が可能になるのだ。本年度開始の4月の時点では未だ環境影響評価調査結果も公表されておらず、そして現在に至っても屋久島町の条例では16時間稼働と定められている。それなのにそれを無視して、既に24時間稼働をしてしまっているのだ。

もしこれが経費削減になっていたのなら、たとえ先走ってやってしまったとしても、町のため、住民のためということで大岡裁きよろしく褒めてやりたい気にもなる。しかし法令違反、条例違反をしてまで業者に金を積んでいるというのはどういうことか。いやことは役場だけではない。議会では一議員の努力によってこれだけのことが暴かれながら、それを聞いてもほとんどの議員は何も言わず、議論することもなく黙って予算案を原案通り多数決で可決してしまった。この議員たちもどこを向いて仕事しているのかと問わずにはいられない。

ところでこのゴミ処理施設の問題はこれだけではない。光熱費や燃料費に大変な経費がかかっているのだ。そもそもゴミというものは自分で燃えるものだ。ところがここでは燃やさないで、外から熱して蒸し焼きにしている。そうしてできた炭の有効利用を狙ったからだ。しかしそのままでは不純物が多いから炭化物の後処理が必要になる。それがうまくいかず、運転開始以来ずっと粗悪品しかできず、その処理に困っている。それは装置の性能が悪いからだ、メーカーに騙された、といった説明がなされてきた。ところが最近になって判ってきたのは、どうも必要な装置が一つ欠けているようなのだ。それは入札当時メーカーから説明があったのだが、なぜか当時の屋久島広域連合はそれを外して発注してしまった。どうしてそんな愚かなことをしてしまったのか、関係者全員にきちっと釈明してもらわなければならない。

ともかくこうしてこの施設は建設に32億円もかかり、運転に昨年度の実績で2億5千万円もかかっている。施設の寿命は15年で既に3年が過ぎたから残り12年、あと30億円の経費がかかる。それどころか業務委託料は値上がりし、さらに今後補修などで建設費の何割かに相当する費用が必要になるのは目に見えている。50億円を超えるくらいは覚悟した方がよいだろう。それだけの貴重な税金が消えてなくなるのだ。

ところでこんな特殊なものでなく、世の中に普通のゴミ処理施設だとどのくらいなのだろうか。同等の処理能力で、ある例では経費は何と年に2600万円、12年だと3億円だった。しかも建設費も3億円ほどだそうだ。つまり合せて6億円で済むのだ。このまま今の施設を使い続けるより、作り直した方が総費用は5分の1に、いやきっと10分の1くらいになるのだ。それなのになぜかこのような議論は関係者の間でいっこうに為されていない。

今の施設はその決定に、当時の屋久町、上屋久町それぞれの首長や職員、そしてそれぞれの議会議員が深く関係している。もし作り直しになったら、当然彼らの責任問題が浮上するだろう。きっと彼らはそれを恐れているのだ。とりわけ議会は、当時からの多選議員が過半数を占めている。彼らは身を守るためにこの問題を黙殺したいのだろう。どんなに糾弾されても、議論もせず理由も述べず、黙って執行部の原案を多数決で通してしまえば終りなのだ。彼らには町のため、住民のためという発想などないとしか思えない。この9月に議員選挙がある。しかし田舎選挙とは思想や主張などとは無関係の、欲と感情のどろどろの世界なのだ。闇の中では彼らは強く、多くがさらに多選の度を増すことになるだろう。議会では、いくら一部の議員が正論を展開しても、全く無視され無駄骨に終わるだけなのだ。

我々の常識では、議会というのは議論をする場であり、最も正当な意見に皆が従うものと信じている。しかし傍聴してみて判ったことは、議会とは議論を闘わすのでなく、実質は多数決、問答無用という暴力の場でしかなかった。改革を志す少数の議員がどうしようもなく空しくなる気持ちがよく判る。果たしてこうしたゴロツキどもを追い出すことはできないのだろうか。いつか多くの住民が目覚めるのを待つしかないのだろうか。ここでただ一つすぐにできるものとして、監査請求、住民訴訟の手がある。それを連発して揺さぶりをかけてみようかと思っている。
posted by 夜泣石 at 09:33| 屋久島町の動き | 更新情報をチェックする

2009年08月05日

バリバリノキ

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久しぶりに西部林道に行った。以前は毎月のように通ったものだが、このところめったに行かない。そこだけでなく、最近はどこにも出かけなくなってしまった。何でも一通り見てしまうと、新しい発見をするにはそれなりの努力がいる。それを面倒に思うほど、どんどんぐうたらになってきてしまったようだ。それでもうんざりするような天気の続いた後の清々しい日など、特にあてはなくても、さすがにどこかに行ってみたいとうずうずしてくる。

真夏の西部林道では、なかなか目を引くようなものには出会えない。高山なら珍しい花がたくさん咲く時期だが、海近い照葉樹林は変化に乏しい濃い緑が続くばかりだ。そのうちふと路上に、一面薄茶色のものが散り敷かれているのが目に入った。何だろうと車を降りて拾い上げると、あまり見たことのないもじゃもじゃした花だった。立っていると時折、上の方からはらはらと落ちてくるのだった。

よく見るとそれは一つの花でなく、数個の小さな花のかたまりだった。すると丸い花びらのようなものは、総苞と呼ばれる花序を包む葉であろう。この形には見覚えがある。屋久島の春を彩るアオモジがこんな花だった。ということはクスノキ科の同じ仲間なのだろう。見上げればはるか上の方に、葉と花が枝の先に密集しているのが見える。しかし木はあまりに高く、ずいぶん細長い葉であることが判る程度だった。

少し先に行くと、同じ花がいくらか低いところに咲いていた。葉の縁が波打っていて、どうもこれはバリバリノキのようだ。この冗談のような名前は、細長い葉が枝の先にはたきのように密集していて、風が吹くとばりばり音がするからだという。実際にはかさかさと、乾いた軽い音なのだが。

バリバリノキは本州の温暖地から南にずっと分布するそうだが、東京近辺では見たことがなかった。本土ではどこでもだいたい稀少のようだ。しかし屋久島には多い。特に西部林道ではびっしり純林になっていたりする。このあたりは鹿が多く、多くの木は稚樹のうちに食べられ枯れてしまったりするが、この葉は全く食べられないのだそうだ。

春が深まる頃、照葉樹林はまばゆいほどの若葉にあふれる。そんな中でひときわ目を引くのがバリバリノキだ。とても細長い葉が枝先にびっしり付いて垂れ下がる。ちょっと異様な、ぼさぼさ頭の森の精でも立ち並んでいるかのようだ。普段は目に留まらないほどの木だが、こうして年に2回、特別な存在感を示すのだった。

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posted by 夜泣石 at 06:56| 花草木 | 更新情報をチェックする

2009年08月01日

オオトモエ

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夜、網戸にぶつかるかなり大きな音がした。カブトやクワガタならいつものことだが、羽のこすれるような音が続くのでどうも違う。何だと思ったら10cm近くもある大きな茶色の蛾だった。これはオオトモエだなと直感して、写真を撮るために部屋の中に入れてやった。なかなか印象的な模様だった覚えがあった。

ちょっと見ると、羽が2枚、瓦のように重なっていて、上の羽は白い線の先で端がぼろぼろになってしまっているかのようだ。実はこれはだまし絵で、立体的に見える模様なのだった。しかしこの破れ方といい、微妙な陰影の付け方といい、これは描かれたものだと教えられても、とてもそのようには見えない。しげしげと眺めると、左右で破れ方が一緒だから不自然ではある。事故か何かで破れたなら左右対称にはならないだろう。

羽は実際、片側に2枚あるが、それは上下でなく前後に並んでいて、斜めに入っている直線が前翅の端だった。このように開くと模様がつながっていて、1枚の羽に見える。それも考えてみれば不思議だが、彼らはきっとこの形で、いつもは林の中でじっとしているのだろう。本当の羽も端はぎざぎざだし、その上残骸のような破れ模様だから、これでは枯れ葉の間にすっかり溶け込んでしまいそうだ。

前翅には大きな丸が一つずつある。目玉模様を持つ虫は多い。天敵の鳥などを脅かしたり、顔の位置を誤魔化して急所の頭を守ったりするためだそうだ。それらはだいたい目玉らしく、黒い丸か二重丸、三重丸になっている。ところがこれは、中に一匹おたまじゃくしでも泳いでいるかのような巴模様だ。この方が逆に異様で、脅し効果が高いとでもいうのだろうか。

東京近辺ではごくまれにしか見られなかったが、南に行くに従ってよく見かけるようになる。幼虫の食草はサルトリイバラだから、どこでも不自由はしそうにない。幼虫もかなり大きなイモムシで、色も形も怪物じみている。こういうのを見ると、南の国の深い緑の中には化け物がたくさんいるんだという気がして楽しい。
posted by 夜泣石 at 06:55| 生きもの | 更新情報をチェックする
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