2009年06月27日

キツネノボタン

(109056)s.jpg

春早くから秋遅くまで、川沿いの道際や湿った畑の傍らなどにキツネノボタンがいつも咲いている。花の少なくなる夏場に、ただでさえシダやコケばかりの所を彩ってくれるのはこの花くらいだ。しかしこんな見慣れた小さな花に、いちいち目をやる人などいないだろう。

花は1cmを少し超えるくらいの大きさで、同じ仲間のよく似たウマノアシガタの半分くらいしかない。どちらも花びらはてかてかして日差しを反射し、またコンペイトウのような果実の形が面白い。屋久島の里ではウマノアシガタが至るところに生えていて、キツネノボタンは片隅で細々と生き延びているといった感じだ。

どちらも東京近辺でもよく見かけたが、小さなキツネノボタンの方がずっと多かったと思う。厳密に言うと、ちょっと毛深いケキツネノボタンがほとんどだった。屋久島では逆にキツネノボタンばかりのようだ。といっても花はそっくりだからあまり正確な話ではない。気になる時は果実の先の柱頭の跡で見分ける。キツネノボタンは鈎型に曲がっているが、ケの付く方はまっすぐなのだ。まあそんな小さなことはどうでもよいのだが、それでもこういったことを知ると、なんだか自然の中に一歩深く踏み入ることができたような気分になる。

キツネノボタンの名前は、葉が牡丹に似ていて、狐の出そうなところに生えるからだと、どの図鑑にも書いてある。しかし狐は乾いた草原や明るい林に多いはずだ。この花の咲くようなところにいるのはカワウソか何かだろう。それに人は目立つところを見るものだから、こんな全く違った花で牡丹とは名付けないだろう。一説に、葉を見て牡丹かと思ったのに、花が咲いたら似ても似つかぬものだった、狐に騙された、というのがあった。嘘かほんとかはともかく、この落語のようないわれの方が私は好きだ。
posted by 夜泣石 at 10:20| 花草木 | 更新情報をチェックする

2009年06月24日

ミョウガ

(107839)s.jpg

ふと気付くと、草陰にミョウガの花が咲いていた。本体から離れて、花だけが地面すれすれににょきっと出ているから、初めて見た人はたいていびっくりする。それもごく淡い黄色の、不思議な形をした繊細な感じの花だから、とても神秘的に思えたりする。

なかなかきれいな花なのだが、なぜわざわざこんな目立たない咲き方をするのだろう。それも朝開いて夕方にはしぼんでしまう。ここに来る虫などいるのだろうか。それとも原産地は熱帯アジアだそうだから、かの地にはこの花に合った生態の虫がいるのだろうか。

もっとも日本でほとんど結実しないのは媒介者がいないということより、5倍体ということのためだそうだ。それでも困らないのは、地下茎でどんどん殖え広がっていくからだ。東京にいた頃、庭の隅に植えていたのだが、そこから地下茎のひとかけらを持ってきただけなのに、今ではかなりの茂みになっている。

ミョウガは真夏から秋にかけての野菜のはずだが、ここでは梅雨時の今が盛りだ。地面からちょっと顔を出しているのをほじくり出すようにして採る。だからどうしても見落としやすい。しばしば花が咲いてからやっと気付くのだが、咲くと食べる部分である紅緑色や白色の苞葉が、堅くかさかさしてきておいしくなくなる。

このちょっと辛いような、軽くつんとくる香味は、ほかのものでは味わえない独特のものだ。病害虫などの心配もないし、次々に出てくるので庭にあるととても楽しめる。ところがこれを栽培して食べているのは日本人だけとのことだ。それで英名も学名もみなミョウガの発音になっているそうだ。しかしこの味わいは、香辛野菜として、特にサラダのトッピングにしたら、多くの西洋人にも喜ばれそうな気がする。うまく宣伝したら、小さくてかさばらないし、優秀な輸出農作物に仕上げることができるのではないかと思うのだが。

(109233)s.jpg
posted by 夜泣石 at 06:46| 花草木 | 更新情報をチェックする

2009年06月20日

ゴミ処理施設問題のデタラメさ

(105401)s.jpg
梅雨空にコオニユリが咲き乱れる

屋久島町のゴミ処理施設(クリーンサポートセンター)は故障続きで問題となっていたが、結局何の対策も取られないままこの3月でメーカー保障期限も切れてしまった。それも含めて、この問題を調査した議員が、6月の定例議会で一般質問に立つというので傍聴に行った。

まず一番驚いたのはゴミ処理費用の金額だった。最近稼働した鹿児島県のある施設ではトン当り6千円だそうだ。それは特別な例かも知れないが、屋久島と類似の施設で2万5千円の例があるという。ところが我が町ではなんと10万円を超えているというのだ。これはどんないきさつがあろうと、どんな言い訳を付けようとも認めることのできない額だ。それにこれは一時的なものでなく、今後10年20年に渡って町民が負担しなければならないお金なのだ。

こんな数字が暴露されたら、普通なら議場は騒然となったといったことを想像するだろう。町民であれば、そうであって欲しいと期待する。しかし実際には議会は静かなままで、多くの議員はあまり関心もないといった感じだった。執行部隊の責任者である町長も副町長も、別に慌てる様子もなく、それがどうした、といった顔で特に反応などないのだ。何か自分たちの不正が暴かれたわけではない、公のお金がどう使われようが別に自分の懐が痛むわけではない、この人たちはそう思っているとしか見えなかった。

費用の問題ではさらに暴露が続いた。排出される炭化物の品質が悪く有効利用できないということは以前から問題になっていた。本来ならお金を生み出すはずだったものが、トン当り7千円の費用をかけて宮崎まで送って引き取って貰っていると、議会で何度か説明があった。それが実際には1万5千円近くかかっていたのだ。追求されて担当の環境政策課長は、もっとかかったものを努力してそこまで減らしたのだといった言い訳を始めた。議会を欺いたことには何の謝罪もない。さすがに町長は「自分も知らなかった、執行部の手落ちだ」と発言した。しかしそれなら、即座にこの課長を処分しなければ嘘だろう。

この炭化物は、さすがにもう金をかけられないようで、今は野積みにされているという。可燃物を積んでおくことは消防法違反になるそうだ。環境政策課長は、今は装置の運転を止めているので炭化物は増えていないと平気な顔で言う。それでは話は逆だろう。稼働できないような装置をなぜ作ってしまったのか。町長は有効利用方法を考えるよう部下に指示していると言うが、いくら何でも遅すぎる。今もっていつどうするか具体的な方策は見えていないのだ。

施設は稼働当初からずっと故障続きだったが、しかし保障期間の延長などの手は取られなかった。町長はメーカーと保証契約を結んであるから大丈夫と言う。しかしそこには「適切な保守点検整備」が行われた上でとの条件が書かれてあった。これはメーカーの言い逃れを許すことになる。「適切」とは誰がどのように判断するのか。少なくとも屋久島町には、この装置全体を理解し、そうした判断のできる人材などいないことは明白だ。

実際には管理運用全般はある業者に丸投げされていた。しかし議員の調査によると、その業者は今までそんな業務をしたことがなく、従って「適切な保守点検整備」などとても望めないということだった。町長は「能力はあると判断した」と言っていた。「それでは現場の声を聞いてみよ」と議員は言い返していた。ともかくこの業者がメーカーとの折衝において町の味方になるなど期待すべくもない。

さらにおかしなことにその業者とは24時間稼働という条件で契約を結んでいたのだ。ところが屋久島町の条例では16時間稼働と定められている。これを24時間稼働にするには、まず試験稼働し、その環境影響評価調査結果を住民に縦覧し、問題がなければ県に申請する。その後30日の間に、差し止めなどの処分がなければ実稼働して良いと法律で定められているのだ。それを受けて屋久島町の条例を変えて、やっと24時間稼働が可能になるのだ。

副町長は「24時間は試験的な稼働だ、県に届け出もしてある」と言い訳をしていたが、議員によると県の担当者はそんな報告などないと明言しているとのことだ。ともかくこの明らかな法令違反、条例違反に、さすがに町長は「責任を感じている、契約見直しも含めて対応する」と返答していた。しかしすでに業者には毎月の支払いが行われている。違法な契約での支払いは不当な公金支出に当るし、契約を変えれば業者からは違約金の請求があるかも知れない。この後始末は決して容易ではない。

そもそもこんな違反など、崖地購入の裁判を見て判る通り、この島の役場では日常茶飯事のようだ。刑事犯と違って捕まることはないし、何をやってもバレなければよい、適当に言いくるめばよいと思っているようだ。本来ならこんなことは議会が許さず、不正を糾し、責任者の処罰や町長の不信任などを決議するだろう。しかしこの町の議員の大半はそんなことをする気はさらさら無く、それどころかそれが議員の役目との認識もないようだ。そうして役場のやりたい放題を許し、それどころか何でも賛成しお墨付きを与えることで、ますます増長させてしまっている。

崖地購入の疑惑では、百条委員会の設置が提案されたが圧倒的多数で否決された。「町長を信じている」と堂々と擁護する議員もいたそうだ。議会は見張り役であり、信じたりしてはいけないのだが。自ら調査する気もない議会ではどうしようもなく、結局、監査請求そして住民訴訟へと繋がって今に至っている。この問題もそこまでしなければならないのだろうか。しかし今回は曲りなりにも議会に調査特別委員会が作られている。今のところ活躍しているのはごく少数のようだが、それでもそうした議員の力によってここまで不正が暴かれてきた。議会や役場の自浄力でもってこの問題が解決されることを期待したい。
posted by 夜泣石 at 11:47| 屋久島町の動き | 更新情報をチェックする

2009年06月17日

ヒガラ

(109202)s.jpg

シャクナゲを見に山奥に行った時、ふと目の前に小さな鳥が飛び出してきた。すぐ近くだが逃げ去る様子はない。しかしちょこちょこよく動くのでなかなかカメラに収まってくれない。何かを狙っているようだったが、そのうち捕まえて、それをくわえて細い枝に止まった。足で押さえて突っつき始めたので、やっと写すことができた。どうも大きなガガンボを食べているようだ。体に比べたらだいぶ太めの、がっしりした足が印象的だ。

黒い頭に白い頬は、東京でどこにでもいたシジュウカラに似ている。しかしずっと小さいのでヒガラと判る。メジロよりも小柄なくらいで、たぶん屋久島にいる鳥の中で一番小さいだろう。色はだいぶくすんだシジュウカラといったところだが、後頭部に白い模様があるのが違う。そういうところはヤマガラと似ているが、そちらは茶色っぽい鳥だから見間違えることはない。ヒガラは興奮した時など、頭のてっぺんをトサカのように立てるのだそうだが、今回そういう姿は見られなかった。

ヤマガラは我が家の周りに多く、ちょっと間延びした「ツツピー ツツピー」という声がこの間までよく聞こえていた。それに混じってずいぶん早口の同じような鳴き声が響いていたが、それがこのヒガラだったのだろう。しかしいつも高い木の上にいるようで、姿に気付いたことはなかった。

初めて屋久島に来た時、神社の大木の梢でこの鳥を見ている。その時は全国あちこちで見慣れたシジュウカラだと思った。しかしこの島にはカラ類は、ヤマガラとヒガラしかいないのだそうだ。そしてヒガラはこの島が分布の南限とのことだ。東京にはカラ類は多かったが、ヒガラは主に森林に住むそうで、ほとんど見たことはなかった。

シジュウカラはこの島にだけいなくて、ここより北の日本全土に、また南では亜種になっているが同じ仲間がいる。たぶんここにも元々いたのが、6000年ほど前の火砕流で生き延びられなかったのだろう。しかしなぜ鹿児島本土からまたやって来ないのだろうか。空気の澄んだ日には見える距離なのだし、間に休憩できる島もある。それに彼らは北海道と本州の間を渡るということなのに。もしかしたら何度もやってきたのだが、そのたびに沿岸部に多い猛禽類に食べられてしまったのかも知れない。

(109203)s.jpg
posted by 夜泣石 at 06:34| 生きもの | 更新情報をチェックする

2009年06月13日

ヤクシマシャクナゲ

(109198)s.jpg

ヤクシマシャクナゲを見に、島の真ん中を走る山岳道路に入った。奥まで行けば道路際でも咲いている。以前は朝早く着いて、その先の2000m近い山々に分け入ったものだが、ここ数年すっかり軟弱になってしまって登ることはしなくなった。それでも花の季節になると落ち着かず、毎年必ず見に行くことは欠かさない。

蕾の時は濃すぎるほどの赤、それがだんだん薄くなりピンクのさまざまな段階を経て、いとおしいような淡い色で咲く。そのうちすっかり色が抜けて純白の花になる。そうしたさまざまな色合いが枝先に固まっている時が最高にきれいだ。

ヤクシマシャクナゲは屋久島だけの固有変種ということだが、多くのシャクナゲからだいぶかけ離れているような感じがする。これだけ鮮やかな色で、それがこんなに変化するのを他で見たことがない。高山の厳しい環境で咲くせいか、蕾はしっかりと堅く、花びらも厚めで存在感がある。もし平地でも咲いてくれたら屋久島中の庭先や道路際に植えられていたことだろうが、残念ながら1000m以上はないと咲かないようだ。

この花は写真に撮りにくいと思う。誰がどのように見てもきれいだと、自分の視点、自分の驚きといったものが出しにくい。それよりこの花は、それだけを見るのでなく、森林限界に近い高山の低木の樹海を一面に覆って咲く様子が見事だ。澄み切った青空の下でも、薄く濃く流れる霧に見え隠れする時でも、それぞれにこの世のものとは思われないほどの情景が展開される。それは小さな写真などでは絶対に表現できないもので、自分の足でそこまで行くしかない。しかしこの季節は天候不順、高山の山歩きは天気が良ければ涼しく快適だが、荒れ出すと難行苦行になる。いつのまにか私には手の届かない別世界になってしまった。

(105344)s.jpg
posted by 夜泣石 at 06:59| 花草木 | 更新情報をチェックする

2009年06月10日

論戦の終り

(109184)s.jpg
屋久島の山はクマノミズキが満開
蝶はツマグロヒョウモンの雄

屋久島町長告訴の論戦が終わった。あとは結果を待つばかりだ。裁判は昨年9月に始まった。判決が出るのはたぶんこの9月ということだから丸々1年かかるということだ。公判は今までに6回、そのうち初回は、オンブズマンとかを自称する人のおかげで裁判長に叱られに行っただけだから、実質5回。それだけのために、よくもこんなに時間のかかったものだと思う。何か主張して、返事が来るのに短くて1ヶ月、調査が間に合わないなど、ごねられるとさらに1ヶ月。今の世の中、電子メールなど駆使すれば分秒単位が、資料探しや考える時間など入れてもせいぜい数日が常識だろう。しかもそうした頻繁なやりとりで議論はずっと深く掘り下げられると思うのだが、裁判は近代日本の幕開けの飛脚の時代そのままのようだ。

ともかく私は最初、文書の形式も議論の仕方や進め方など何が何だかさっぱり判らず、それもマイナスからのスタートだったからずいぶん気苦労が多かった。それに相手はプロの弁護士、どのくらい優秀か、どこまで知っているのか、何を仕掛けてくるかなど見当も付かない。ただ長年、ビジネスの世界でプロポーザルなど書いてきたから、裁判といっても同じ人の世のこと、たとえ型破りではあってもそれなりに通用する文書はきっと作れるし、論戦もできるだろうと信じていた。

そのうち意外な姿が見えてきた。相手は鹿児島弁護士会のホープで、彼が出てきたなら勝ち目はない、と訳知りの人に言われたほどだったが、それほど優秀なはずの弁護士が、どうも法律の語句に詳しいだけで、それ以前の基本の論理展開ができないようなのだ。そして全体像が見えていないか概念として把握できていないようで、主張が矛盾だらけなのだ。以前に出した文書との間で、それどころか一つの文書の中の前後ですら矛盾があるのだ。

そもそも彼らは議論ができないようだ。こちらが反論したことにそれを上回って反論するのでなく、ただ駄々っ子のように最初と同じことを繰り返すだけなのだ。たとえばある議案書の中で、土地の購入先に本来の持ち主以外に「外1名」との記述があったのを、これは土地開発公社のことでそこから買うことが議決されていた、と主張してきた。私は、「外1名」が土地開発公社であるという注釈も議会での説明も一切無い、誰であるか特定できないのだから議決されたことにならない、そもそも議決のあった日にはその土地はまだ土地開発公社のものでなかった、と反論した。しかし弁護士はそれらには一切答えようとせず、次の書面でもだだ議決されていたで押し通すことしかしないのだ。

またこちらの主張にはひたすら無視を決め込む。たとえば、ある文書が公表されていたと書かれてあったので、ではいつどのように公表されたか示して欲しいと反論したところ、次の書面でそれには一切答えず、前回と同様、ただ公表されていたとだけ繰り返してきた。またある契約書で、甲欄の署名者は名目だけで、権限があるのは乙欄の署名者と同一人物であるということを組織の定款をもとに証明し、結局これは双方代理に該当すると主張したところ、そうしたことには全く触れず、ただ署名が違うのだから双方代理にはならないとだけ書いてきた。

前回弁護士は、崖下の公園が安全であることを証明する資料を提出すると言って公判を継続させた。そして信じられないくらい分厚い資料が届いたが、それは施工図や工事進捗状況の写真などで、そのどこを見ても安全性に関する記述は一行もないのだった。我々の常識では、何かを証明する資料を出すと言ったら、それが明確に記述されているものだけにするだろう。弁護士はただ莫大な分量で目くらましを噛ませているようだ。そして準備書面には崖上から30mを境に工法を変えたから安全だとだけ書いてあった。しかしそのように定めた建築基準法とか土木の計算書とかの、依るべき基準は一切示していない。専門家に問い合わせたところ、30mでどうこうといった決まりは一切無いとのことだった。

これが普通の社会での議論なら、その場で「この馬鹿!」などと面罵されるようなことが満載なのだ。臆面もなくそんなことを並べられるのは、裁判では議論をしないからだ。ただ書きっぱなしで、その場で評価も判定もない。これでは揉まれて鍛えられるということもないだろう。弁護士などというものは司法という閉鎖社会の住人だった。頼まれ仕事を作法に則ってやっているだけで、自分自身の命運をかけた真剣勝負の経験などないのだ。法という架空世界で甘やかされ、のうのうと暮らしているだけなのだ。

数ヶ月後の判決がどうなるかは、司法の世界の掟を知らない私には見当も付かない。しかし議論ということなら、理性ある人が見れば、ほぼ完璧にこちらの勝ちだろう。いやこれほど相手を論破したことはあまり経験がない。実社会ではここまで言う前に手加減してしまう。人は議論で負けると、自分の考えを変えるのでなく、負けた恨みを持つだけというのは嫌という程経験してきた。ともかく司法の世界が、その内容でも時間感覚においても良識的であって欲しいという願いを込めて、準備書面の最後をこう結んでおいた。

正論を尽くせば正義は通ると信じていた。しかし残念ながら被告側の法廷戦術にいいように振り回されてしまったと感じている。裁判の経過は逐一ブログで発表しているので、全国の屋久島好きの人たちから憤りや支援の声が寄せられている。屋久島町の悲惨な現状を早急に立て直すためにも、また司法とは、正論を戦わせ真実を明らかにする場であることを一般国民に示すためにも、速やかに「補正書 第1 請求の趣旨」通りの判決を求める次第である。
posted by 夜泣石 at 12:00| 屋久島町の動き | 更新情報をチェックする

2009年06月06日

屋久島町長告訴の結審は7/10

(109155)s.jpg

屋久島町長告訴の第6回公判が、昨日6月5日に開かれた。前回から1ヶ月半もの期間があったのに、被告からの準備書面はぎりぎりまで届かなかった。当方には2日間ほどの猶予しかなかったが、それでも5000字ほどの反論を書き上げ、前日にはFaxしておいた。公判は小法廷で左陪席裁判官一人で行うはずだったが、直前に書記官に聞くと裁判長も出席するという返事で、その瞬間、きっとこれで終るという予感がした。

裁判長はまず被告側に対し、提出資料の原本確認を行った。以前出した資料の原本も持ってくるよう再度指示していた。そういうことなら、こちらが偽造と疑っている覚書など、原本を見せろと言えばよかったかなと思った。ともかく原告側には原本確認は一切ない。まさか「お前たちは信用しているよ」ということではないと思うが。

ついで裁判長は私に「被告準備書面5に対する反論はありますか?」と聞いた。あれ、と思いながら「もう出してありますよ」と答えたところ、裁判長は一瞬きょとんとして「ああそうだった」!? 裁判長は替ったばかりなので、まさか2日で書き上げるなんて思っても見なかったのだろう。裁判をして判ったのは、この世界は1ヶ月単位で動いているということ、何をするにも最短が1ヶ月なのだ。とても今の時代に合っていない。そしてもし我々が弁護士を頼んでいたら、きっとまだ半分も進んでいなかったかと思うとぞっとする。

続けて裁判長「何か追加することはありますか」。私「前回も言ったが、何もない。被告の今まで言ってきたことはすべて反駁済みであり、被告の主張は同じことの繰り返しで、我々に対する何の反論にもなっていない」。この裁判に最初から携わっている左陪席裁判官が頷きながら、裁判長に補足してくれていたのが印象的だった。

裁判長「では被告側は何か追加することはありますか」。場内は一瞬沈黙。私は何か言い出したらすぐに噛みついてやろうと身構えた。しかし次の瞬間、弁護士「ありません」。やった!というより、今までの疲れがどっと出たような気分だった。

裁判長は、原告は早く終わらせたいようですねと軽く笑いながら「では次回、最終確認します、7/17はどうですか」。ふとその時期、屋久島は皆既日食騒ぎで動きが取れないことに気付き、無理をしてもらって7/10 13:20からと決まった。これはきっと13:00と13:30に予定が入っているが、当件はたぶん5分もかからないということなのだろう。

私は「前回、早ければあと2回と聞いたのだが」と確認したところ、裁判長「だから今日と次の2回で終りです」。その時私は、これで判決と早とちりしてしまった。あとで変だと思って裁判所に聞いたところ、これは審理の終りということで、次回が結審、判決はまたその後ということだった。つまりこの1ヶ月が無駄になってしまうというわけだ。まあ最後の猶予ということで仕方ないのだろう。この間に、被告側がまた何か悪巧みをしなければよいのだがと思う。判決は、今混んでいるので1ヶ月では無理、たぶん9月中になるだろうとのことだった。

ところで屋久島町では、次回町議会議員選挙が来る9月15日告示、同20日投票になっている。有権者が正しい判断をするためには、この「中心市街地活性化事業」疑惑の真実を知る必要がある。6/1、2で会計検査院が実地検査に入っているが、その結果は選挙に間に合うだろう。ぜひともこの判決も間に合わせて頂きたいと、結審時には裁判長に頼み込まなければならない。

(原告準備書面5は屋久島再生会議室のファイルのエリアにpdf形式で登録してあります)
posted by 夜泣石 at 11:53| 屋久島町の動き | 更新情報をチェックする

2009年06月03日

マテバシイ

(109167)s.jpg

雑木林の脇を通っていて、試験管ブラシのような花がたくさん咲いているのに気付いた。こんな花を咲かせる木は、スダジイを始め屋久島には多い。しかしこうした春の花と新緑が山々を染め上げていたのはふた月ほども前の話だ。今はもうこのあたりではオオムラサキシキブなど夏の花が咲き始めている。この遅刻してきてしまったような花はマテバシイだった。

東京でも町中でよく見かけた木だが、本来は紀伊半島あたりから南西諸島にかけての温暖な沿岸地に自生するものだそうだ。病虫害に強く公害にも負けず、潮にも乾燥にも耐え、枝葉は丈夫で移植も容易という、とてつもない生命力を持っているという。それで都会の街路樹として、特に海岸沿いの道路や公園に好んで植えられているとのことだ。

この穂は雄花序で、ブラシの毛のようなものは雄しべだった。では雌花はというと、この穂の根元の方に2、3個付いていると図鑑には書いてあった。確かにクリなどこの仲間はだいたいそういう付き方をするが、どうもマテバシイはそれだけではないようだ。ブラシに囲まれて、毛のない棒が一本立っている。実の付き方からして、これが雌花序だろう。

あたりには何とも言えない匂いが漂っている。クリに似て、それほど濃くはないがどこか生臭いような匂いだ。これで虫を呼んでいるようだが、もし蝶などが来たとして、雄しべには触れてもこれでは雌しべには触れそうにない。思うに、花粉食いの甲虫が雄花序の上を這いずり回った後、間違えて雌花序にも登ってしまうのではないだろうか。

花が咲いている下の方に、緑の果実がたくさん付いている。これは去年実ったもので、年を越して、この秋までかかってやっと成熟することになる。マテバシイのドングリは手入れの良い爪のような細長くきれいな形をしている。淡泊な味で炒って食べればそこそこおいしい。都会では拾う人もなく大量に落ちていることが多かったのだが、この島ではそうはいかない。猿と鹿が片っ端から食べてしまうのだ。

せっかくこんなに実らせても食べられてしまっては意味がない。ドングリはリスなどが集めて貯蔵して、食べ忘れたものが芽を出すと言われているが、残念ながらこの島にはリスはいない。それでもずいぶんあちこちに生えているから、きっと誰かが散布したのだと思う。もしかしたら食いしん坊の猿が口一杯にほおばって、どこかでゆっくり食べようとして、うっかりいくつか落としたのではないか。いつも意地汚く食い散らかす猿が、それで自然を育んでいるとしたら、上品ぶった人間にとっては皮肉な感じもする。

(109165)s.jpg
posted by 夜泣石 at 06:54| 花草木 | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。