2008年05月31日

テイカカズラ

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5月に入る頃から農道際の防風林の根元などに白っぽい花がたくさん散っているのに気付く。見上げれば高い梢のあちこちに一抱えもある花のかたまりが見える。テイカカズラがそんなところまでよじ登って、日光を独占してびっしりと茂っているのだった。


花は小ぶりで淡い色だが、中心の橙色が目を引く。5枚に分かれた花びらが少しねじれて、おもちゃの風車のようでかわいらしい。そしてとても良い香りがする。なかなか気品のある花だと思う。


サカキカズラと近縁で、絡みついているところだけ見ると区別が付きにくい。しかし花はこちらの方がずっときれいだ。一方、果実は逆で、サカキカズラの造形美に対して、こちらはインゲン豆かササゲのような細長いものでしかない。秋にはそんな20cmもある鞘が2本そろって垂れ下がっている。それが割れてやはり細長い種子が、ふさふさの銀糸を輝かせて風に舞う。


花を目の前で見ることは少ない。高いところに登れるだけ登ってからやっと咲くようだ。それだけ日光が好きなのだろう。しかし薄暗い林床に目をやれば、そこもびっしりと幼木が絨毯のように覆っている。その時の葉は小ぶりで、濃い緑に白い斑が入ってとてもきれいだ。そうして取り付く先を見つけるまで、地上をさまようように伸びていく。何かにたどり着いてよじ登り出すと、とたんに葉が変わる。大きめになって薄い緑で、とても同じ植物とは思えない。


テイカカズラは巻き付くのでなく、気根を出して何にでも吸い付くように登っていく。ある女性の墓石に絡みついていたので、その女性に思いを寄せていた男の執念の現れと見て、その名を取ってテイカカズラと名付けられたそうだ。


それは藤原定家のことで、日本文学における最高の歌人の一人だ。最も技巧に優れた天才として知られている。しかし無粋な私には、和歌の技巧のいくつかは、今ならば駄洒落や親父ギャグといったものを上品にしただけのように思えてしまう。またこんなに技術があると、自分ではたいして何も感じていなくても、さももっともらしく人を感動させる作品を作ってしまいそうだ。いやもう実世界から離れて、言葉で構築された抽象世界に遊んでいるようにさえ見える。まあそれが芸術の極致というものかもしれないが。


対する女性の方は式子内親王で、その歌には激情とそれを押さえた詠嘆がにじみ出ていると思う。この二人は相思相愛だったという説もあるが、こういう古代的なまっすぐな感情を持った人が、定家のような近代芸術に惹かれるようには思えない。しかし定家は逆に、自分にないもの、というより美の世界を極める中で失ったものに惹きつけられたかもしれない。そうした感情は案外ねじ曲がっていたりして、蔦葛のような始末に困るものになってまとわりつくというのは、もしかしたらあり得そうにも思えてくる。
posted by 夜泣石 at 06:49| 花草木 | 更新情報をチェックする

2008年05月27日

屋久島町長の疑惑

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崖地の真下に作られた安房の新商業施設


昨年の合併により新生屋久島町が発足し、新町長も選出されて早や半年がたった。今はもう新しい町作りに邁進しているはずの頃なのだが、いぶかしいほど何も出てこない。島全体の将来ビジョンも、具体的な観光、農漁業の振興策、巨額の借金の返済計画、もっと目前には来年の皆既日食の観光対応など、重要課題は山積しているはずなのだが。


我々の日常生活でも合併によって何か良くなったことなど思い当たらない。それどころか悪い方が目立つ。たとえば小さな例だが、図書室は毎日開いていたのが月曜休館になり、借り出し冊数も10冊から5冊に減った。これは旧両町で違っていた場合、ただ単純に悪い方に、役場側にとっては何もしなくても済む方に合わせただけだった。すべてにこんな安易な対応をしているようで、なんだか屋久島町の政治と行政は脳死状態に陥っているような感じすらしてくる。


なぜこんなことになったか、それは昨年の町長選を見れば判るような気がする。新町長は旧屋久町で20年にもわたって町長であり続けた人だったが、選挙終盤の予想では4人の候補中の3番目でしかなかったそうだ。それが土壇場になって、4位候補の陣営と結託してその票を分けてもらって当選したというのだ。両者は思想や方針が全くかけ離れていて、また何か政策協定などあったわけでもない。おそらく田舎政治に付きものの利権や個人的な思惑の上でのことなのだろう。4位候補は著名人で中央政界からも応援に何人も駆けつけてきていたほどの人なのだが。


このようないきさつは、私のような部外者で人付き合いもほとんどない者にさえ、いくつかの違ったルートで聞こえてきた。ということはこの島では知らない人など無いくらいの話なのだろう。これでは誰も、この町長が正当に選ばれたリーダーだとは見なさない。人間的にも軽蔑するし、政策など期待するわけもない。汚い政治屋が裏技で当選したら、ただおこぼれに与りたい連中が取り巻きになるだけだ。そうでない人の多くは仕返しを恐れて黙るしかない。これでは町政が停滞するのも無理はない。


そんな中、つい二週間ほど前に突然「くまもとTODAY」という新聞が送られてきた。驚いたことにこの町長の旧屋久町長時代の疑惑が赤裸々に書かれていた。挙げられていた主要問題は以下の三点だった。


(1)中心市街地活性化事業の用地買収の疑惑
共同店舗(エコタウン)建設の用地が近隣相場より1億円近く高い価格で購入された。用地買収を審査する委員会はヤミで設置され、作成された資料も杜撰で、実測面積や坪単価の記述、および時価評価額調書の添付もなかった。ただ町長の独断専行の隠れ蓑に利用されただけで、結果として町長と懇意な人物へ金が渡った。


(2)ヤミ公社による無許可の人材派遣業の遂行
町の各施設へ人材派遣をする公社を作ったが、それは法人として無許可、無認可だった。また事業も国の派遣業法による許可を得ていなかった。職員採用を餌に町長派を固める手段になっていたようだ。


(3)ゴミ処理場建設に関する疑惑
一度失敗した業者に、その施設は閉鎖したまま再度同様の施設を発注した。かなりの工作費、接待費が乱れ飛んだと噂されている。


この発行元は熊本のコスモ出版というところだが、それがどんな会社か、なぜこの記事を書いたか、それがどうして私の所にまで送られてきたのかなど一切判らない。もとより私は部外者だから、記事の是非を判断する根拠なども持ちあわせていない。しかし(2)に関していえば、これは法律問題だから事実この通りなのだろう。近隣の自治体も検討したが、違法性が極めて高いと認識して見送ったのだそうだ。そんなことを何の躊躇もせずにやってしまったのは、それなりの下心があってのこととしか考えられない。


また(1)に関して、移住した頃から疑問に思っていたことがあった。我が家から車で10分ほどの安房には、小さな町とは思えないほどの商店街があった。島の暮らしに密着した興味深い店もあり、何度か散歩した。しかしすでに商店街は寂れつつあり、多くはもう店を閉めていた。そこから数キロ離れたところに新しい商業施設ができて、そちらに客を取られてしまったのだ。もしこの新施設が旧商店街の近くにあり駐車場を共有できていたら、両者は互いに補い合って共栄できたのにと思わずにはいられなかった。


なにより驚いたことは、新しい商業施設のすぐ後ろにある崖だった。今にも崩れそうなむき出しの急傾斜の崖がずっと続いている。防災の面でも景観的にも信じられない光景だった。しかもここは民間の乱開発などでなく、公共事業の場所なのだ。


新しい商業施設は町の外れで、あたりにほとんど人家はない。それがなぜ「中心市街地活性化事業」なのだろうか。だからこの土地の選定と不当に高い買収額には、絶対に不正があったと思わざるを得ない。


以上の3点以外にもいろいろな疑惑があるようだ。しかし驚いているのは私のような日の浅い移住者くらいで、ほとんどの町民はだいたい知っていることのようだ。狭い島の濃密な人間関係の中では、あらゆることがすぐ筒抜けになってしまう。少なくても役場の役職者や町会議員、区長などの町の有力者は全員がそれなりに知っていたはずだ。しかし彼らの多くはそれを糺すどころか、少しでもおこぼれに与ろうと権力にすり寄っていったのだろう。彼らの荷担や最低でも黙認がなければ、ここまでの悪事はできなかったはずだ。そして彼らの指導によって町民たちはいつもこの町長に投票してきたようだ。その結果が、20年の長期政権とその腐敗なのだろう。


だからいくら事実を暴いても、そんなことは周知なのだから何も変る可能性がない。一部の心ある人たちが糾弾を続けているのは聞こえてくるが、いくら正論を訴えてもただ反対派の策略としか取られないようだ。この島での自浄力の乏しさは目を覆うばかりだ。


またよくもここまで県や国の監督官庁が放っておいたものだとあきれる。怠慢なのか、それとも地方首長にはそれだけの独裁権力があるためだろうか。また犯罪には警察や検察が動くべきだが、こんな離島のことなどかまっていられないということなのか。それとも町の中がグルになっているから、よそから来ても捜査や証拠固めが難しく手が出せないということだろうか。


屋久島町議会の中では、もう過去のこととしてこれらの疑惑を葬ってしまおうという意見が大半だと聞いた。しかし個々の疑惑は別個に存在しているのでなく、その下には根深い腐敗の温床があるのだ。今その膿を出さなければ、その毒は新生屋久島町の根幹にも回ってしまうだろう。そもそも今は新しい町作りの重要な船出の時だ。町民が内心では犯罪者だと思っている人を首長に戴いて、どうして皆が団結協力して未来を切り開くことができるだろうか。


それにしてもこれほどの問題をなぜマスコミが報じないのか不思議だ。鹿児島にはそこを拠点とする新聞社もあり、各全国紙の支局もある。もし彼らが知らなかったとしたら職務の怠慢だし恥でもあろう。知っていて報道しないのなら、何か裏があるかと勘ぐりたくなる。もしかしたらこのような不正は日本の地方政治では当たり前で、わざわざ報道するまでもないと判断しているのかもしれない。しかし屋久島の事例はそんな世間の水準を飛び抜けているように思う。また日本初の自然遺産の一つとして有名な島のことだ。マスコミにとって人々の注目も集めやすく、報道する価値は十分にあると思うのだが。


ともかくこれを読まれた皆様方に、この話を可能な限り広めていただくことをお願いしたい。そうして島の中で闘っている少数の良識ある人たちに、力になれるかどうか判らないが、少しでも応援の風を送りたい。世界遺産としての日本の貴重な財産が、内部の腐敗から台無しになるのを防ぐためにも。
posted by 夜泣石 at 22:33| 屋久島町の動き | 更新情報をチェックする

2008年05月24日

ヒカゲツツジ

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五月に屋久杉の林を歩くと、小径のあちこちに薄い黄色の花びらが落ちている。しかしあたりを見回してもどこにも花は咲いていない。見上げれば大木の遙かな梢に、白っぽいものが消え消えに覗いている。ヒカゲツツジがそんなところに着生して咲いているのだった。


黄色のツツジというのは珍しい。実はツツジというより、シャクナゲの仲間に近いのだそうだ。3cmくらいと小ぶりで、枝先にぱらぱらとしか咲かない。別に日陰にだけ生えるいうわけではないそうだが、このおぼろげな感じはほのかな光の中でこそ美しい。突き出た雄しべの先の葯が強めの赤茶色で、ほどよい飾りになっている。


ツツジというと鮮やかな赤や純白の、あたりを埋め尽くすほどに咲く様子が思い浮かぶ。派手すぎて、どこにでも植えられていて、時には辟易するくらいだ。しかし屋久島にはひっそりと咲く清楚なツツジも多い。淡いピンクのサクラツツジとこのヒカゲツツジはその代表だ。サクラツツジは大木になり、里でも山でもいたるところで目にするが、このヒカゲツツジは低木で、山奥に行かない限り出会えない。


関東地方以西に分布し、屋久島が分布の南限だそうだ。本土ではいくつか名所もあるようで、満開の大群落の写真を見たりする。この島では標高1000mを越える高山にしかなく、目の前に咲いていることもあまりない。薄暗くひんやりした林の中の手の届かないところで、隠れるように咲いている。なんともいえない可憐さに惹かれて、梅雨の前の心地よい山を毎年訪ね歩いている。
posted by 夜泣石 at 06:44| 花草木 | 更新情報をチェックする

2008年05月20日

眼病顛末記

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ドバトを見ると都会だと思う。屋久島にはいない。


田舎暮らし、特に離島への移住にあたっての大きな障害は医療の問題だとよく言われる。最近は徳洲会のおかげでたいていの島にも病院ができているが、当然のことながら狭い島の中で高度な医療を期待するには無理がある。


ただ私は全く心配しなかった。だいたい今まで一度も入院したことなどなく、薬も虫さされぐらいしか買わず、歯医者以外はほとんど医者にかかったこともない。普段から健康には気をつけているし、たまに病気しても早めに気付いて適切に対処していれば、たいてい自然に直るものだ。そもそも会社を早めに辞めて都会から離れたのも、病気にならない生活をしたいためでもあった。


健康診断などもまず受けない。細かく調べれば異常の一つ二つ必ず見つかるだろうが、生きものはそれらも含めて全体としてなんとかうまくやりくりしているものだと思う。いつかは皆死ぬのだし、たとえがんなどの発見が遅れて少し早く死ぬことになっても、通院や入院で無為の時間を過ごして長生きしたのと、人生の有効時間はさほど変わらないだろう。屋久島に来て医者にかかったの痛風で身動きできないほど痛かった一回だけだ。痛風になるような生活をした覚えはないが、どうもあの病気は私のような性格の人間がかかるという不思議な面があるらしい。ともかくその後、毎日お茶を大量に飲み、恥ずかしげもなくトイレに行くという予防法を実践している。それ以来、薬は一切飲んでいないが再発はしていない。


こうして順調に暮らしていたのだが、先月の終わりに、ふと右目の右上が見えにくいのに気付いた。眼鏡の汚れかなと思った程度だったが、次の日、右目全体がぼやっと霞んできてしまった。これが体の痛さなどなら気にもしないほど軽微なのだが、目となるとそうはいかない。特に私の生活のかなりの部分をカメラとパソコンと本が占めているのだから、とたんに不自由になった。


島内の病院に電話すると、眼科は常設でなく、5月は第2週と3週の週末だけで、しかも第2週の方はすでに満員だった。仕方なく半月以上先の予約となり、すぐに医者に行けない僻地の課題を体験することになった。しかしその後もどんどんひどくなってきて、すりガラスを通して世の中を見るような感じになってしまったので、連休明けにまた電話して直近の10日に割り込ませてもらった。その日は大荒れの天気で航空機は欠航となったが、医者はなんとかやりくりして、わずかに動いていた船で来てくれた。診断は素速く、ブドウ膜炎で失明の危険もあるのですぐに鹿児島大学病院に行けとのことだった。紹介状を書いてくれる、しかし今はたくさん患者が並んでいるので夜遅くになる、それで看護婦さんが後で家まで届けてくれることになった。幸い我が家はその人の通勤の途中にあるとのことだったが、皆親切で熱心で、こうして僻地医療を支えてくれているのだと頭の下がる思いがした。


12日の月曜日、台風の接近にはらはらしながら、朝5時起きで高速船に乗り、なんとか10時には大学病院に着いた。驚いたことにすでに100人以上が廊下の両側のベンチにぎっしり並んでいて座るところもないほどだった。それから最初の検査が終わるまで2時間、診察が始まったのは12時半ごろ、終ったのは3時近くだった。二人の女医さんが代わる代わるじっくり見てくれ、血液やレントゲン検査もした。ともかく待つ方も大変だったが、医者もとんでもない重労働のようだ。


結果は島での診断通りだった。ブドウ膜とはそれまで聞いたこともなかったが、眼球を包む三つの膜のうち真ん中の膜でぶどう色をしているのだそうだ。血管が豊富なため、何らかの疾患が体にあるとその影響で炎症を起こしやすいという。原因としては寄生虫や細菌などの感染やベーチェット病などの自己免疫疾患の難病と種々あり、しかも症例の半分近くが原因不明なのだそうだ。重症になることも多く、失明する可能性も高いとのことだ。


私の場合、目の裏側に腫れているところがあり、その近くの網膜が不調になっているのだそうだ。またその部分から体液が眼球内に滲み出て、それで視野全体が霞んでしまったのだそうだ。病因は検査してみないと判らず、治療には時間がかかり、また直っても目の霞は少し残るかもしれないと脅かされてしまった。


入院するかと聞かれたが、検査結果が出るまで何もすることはないとのことなので、一週間後にまた来ることにした。ダメ元でよいから、効く可能性のありそうな薬を何か出してもらえないかと頼んだが、とんでもないといった顔をされてしまった。すべて検査結果が出てからということで、こういう融通の利かないところは大学病院らしさかもしれない。屋久島でもらった目薬を続けるだけとのことだったが、後でネットで調べたら、目薬は目の奥までは入っていかないと書いてあった。これからまた一週間は何の処置もないままということになる。ネットにはまた、失明を防ぐため早急に治療を開始する必要があるとも書いてあるのに。


病院を出てから、ずいぶん久しぶりに都会に来たし一泊もするのだから、何か見ていこうかなと思った。しかし眼底検査のため瞳孔を拡散する薬をさされたのでまぶしくて仕方がない。それより何より、都会で何か見たいものも行きたいところもない自分に気付いた。何十年もの都会暮らしをそれなりに楽しんできたはずだが、今はただうるさくけばけばしく、そこにいるのが苦痛に感じてしまうほどだった。


一週間後の昨日19日、また台風接近に振り回されながら、今度は日帰りで鹿児島に行った。これで三回の通院がすべて嵐に見舞われたことになる。検査結果はトキソプラズマという原虫に対する抗体値が高いとのことだった。屋久島に来て、鹿、鶏、牛の刺身など時々食べているから感染していても不思議はない。たぶんこの島では多くの人が感染していることだろうが、ほとんどの場合症状が出ないようだ。私の場合、たまたま貧乏くじを引き当ててしまったのだろう。ともかく今度はたくさんの薬が出て、発病から三週間近く、やっと治療が始まってほっとした。


これからしばらく、毎週鹿児島に通うことになった。一日完全に潰れるだけでなく、前後の日にも影響が出る。ずいぶん自分の時間が減ってしまったような気がする。といっても何かしたくても、パソコンは使いにくいし本も読みにくい、車の運転もしにくいし歩きにくいからあまり山など行けそうにない。それにもともと慌てるような暮らしでもないので、覚悟を決めて気長に病気と付き合えばよいのだろう。ブログは更新の頻度を落としてぼちぼちやるしかなさそうだ。なし崩しにならないよう、まずは毎週土曜日を目標にしたい。まあこの秋にでもなれば、ほとんど回復して元の生活に戻っていることだろう。
posted by 夜泣石 at 09:43| 屋久島暮らし | 更新情報をチェックする

2008年05月11日

コケリンドウ

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4月頃、海岸近くに茂るコウボウシバの根元に小さなリンドウが毎年咲く。それはびっくりするくらい小さいが、今頃になるとだいぶ大きな花に代わる。小さい方は珍しいので屋久島の図鑑にも載っていて、リュウキュウコケリンドウであるとすぐ判ったが、この大きい方は何だろうか。もっとも大きいといっても1cmほどで、地面からも数cmくらいしか立ち上がっていない。花の形もよく似ているが、暖かくなって大きく咲くようになったというにはあまりに差がありすぎる。


春に咲くリンドウにはフデリンドウ、ハルリンドウなどがあり、それらは東京辺りでも時々見たからから見間違えることはない。いろいろ調べて、結局コケリンドウであると判った。リュウキュウコケリンドウは、これの矮小の変種だった。ただリュウキュウの方は、本当にコケと間違えそうなくらいに小さいが、こちらはそれほどでもなく、コケと名付けるには少々無理がある。


花びらが10枚あるように見える。普通、リンドウの仲間は花びらが5枚に見えるが、実際には筒型にくっついていて、先の方だけが5裂している。それらの裂片の間に、もう一つ小さな副片があるのだが、それがこの花では本来の裂片と同じくらいに大きく、それで10枚に見えるのだった。色もリンドウといえば濃い青紫が思い浮かぶが、この花は褪せたような薄い色だ。どうも昔懐かしいリンドウとはずいぶん違う。しかし海辺の強烈な日差しの下でぱっと開いていると、まるで小さな星が足元で輝いているかのようで、これはこれで惹きつけられる。


図鑑には2年草とあったが、一つ二つしか咲いていない株が多い中で、たくさんの花を付けた大きな株がある。ここの厳しい環境で去年の秋からこの春の間にこれだけ大きくなるのは無理のような気がするので、宿根草ではないだろうか。大雨の時は洗い流され、台風の時には塩をかぶるところだが、この時期には必ず咲く。それをいつも確かめたいような気がして、毎年必ず見に行っている。
posted by 夜泣石 at 22:07| 花草木 | 更新情報をチェックする

2008年05月10日

ヤブジラミ

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農道の脇が膝ほどの高さに霞がかかっているように見える。ヤブジラミの小さな白い花が無数に咲いているのだった。少しピンク色がかって見える花もあった。近づいてよく見ると、それは雄しべの針の先ほどの葯の色だった。大きな花でも3mmほど、小さなものだと1mmくらいしかない。それでもちょっといびつな5枚の花びら、5本の雄しべ、2本の雌しべとちゃんと揃っている。花はその形を保ったまま、どこまで小さく精巧にできるものなのかとふと考えてしまう。


こんな小さな花が20個ほどかたまって咲いている。そのかたまりがまた10個ほど集まって枝先に平らに広がっている。線香花火の火花がはじけたようで、なかなか繊細できれいな感じがする。全体としては大きめな花に見えるから、一つ一つの花には不釣り合いなほど大きな甲虫やアゲハチョウまでやってくる。


こんなかわいい花なのにヤブジラミの名はひどいと思う。これは果実に小さなとげがいっぱいあって、毛や衣服にぺたぺたくっつくためだ。形も3mmほどの俵型で虫のようだから、なるほど昔の人がシラミを連想したのは当然だろう。果実のできはじめなど、丸い体の先に縮んだ花びらが頭のように付いていて、もっと虫の感じがする。しかしふくらんだ果実が放射状に並んでいる様子は、ちょっとヤモリの足裏でも見るようにかわいげがあるのだが。


この果実は漢方薬で、かゆみ止めになるという。シラミという名なのにと思うと冗談のようだ。日本全国どこにでもある雑草だが、屋久島では見事にたくさん咲く。はじめは別の草かと思って図鑑で調べ直したくらいだ。もう半月ほど前から咲き出して、今は花から果実まで揃っていて散歩の途中を楽しませてくれている。
posted by 夜泣石 at 06:58| 花草木 | 更新情報をチェックする

2008年05月08日

ギンリョウソウ

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ギンリョウソウを初めて見たのは、もうずいぶん昔、東京の高尾山だった。薄暗い林床で落ち葉の間から奇妙で気味の悪いものが鎌首をもたげていた。全身透き通るように白く、口の中からは薄い青紫の円盤が見えて、不気味さをいっそう強めていた。しかしよく見ると、銀竜草の名に恥じず、なかなか神秘的な美しさがあって魅力も感じた。それからは初夏になると毎年見に行くようになった。


屋久島にもあると聞いて探したがなかなか見つからなかった。一昨年、ある観察会で教えられてやっと判った。高尾山ではわりと丈があり、一カ所に群生していて目に付きやすかった。ここでは落ち葉の間に見え隠れするほどの丈しかなく、しかもぱらぱらとしか生えていない。見落すのも無理はなかった。


我が家の近くに枯れ葉の厚く積もった、いかにもギンリョウソウの出そうな所があり目星を付けておいた。そろそろ出る頃かと行ってみたが、なかなか見つからない。やっと林道脇の崖崩れした所で何本か目に入った。林床には分厚い腐葉土が広がっているのに、その辺りに全く見当たらないのは鹿の食害にあっているのではないだろうか。ついさっきも、大柄な鹿が意外な地響きを立てて逃げていった。彼らの見落としたものしか残っていないので、貧弱なものしか見られないような気がする。


ギンリョウソウは腐生植物といわれ、葉緑素をなくしたから自分で養分を合成できず、すべて外部から吸収している。といっても自力では吸収することもできず、実際に腐葉土などを分解して養分を吸収しているのは菌類で、そこから横取りしているのだそうだ。どうして菌類に寄生するなどという意外な進化をしたのか不思議に思うが、最近多くの植物が根に菌類を共生させて、土壌からの養分吸収を助けてもらっていることが判ってきたそうだ。腐食物の多いところで相棒が豊富に栄養を作り出せば、それにすべて頼ってしまうものが出てくるのも当然の成り行きかもしれない。全く系統の違うランの仲間などにも同じ生活をしているものがあるので、これはわりと普遍的なことのようだ。


一年の大半を土中で塊となって過ごし、いっとき地上に出て、この世のものとは思われないような花を咲かす。こんな生き方もあるのだと自然の奥深さに改めて驚かされる。
posted by 夜泣石 at 06:58| 花草木 | 更新情報をチェックする

2008年05月06日

ホオジロ

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屋久島に引っ越してきたら、家の周りに小柄な茶色の小鳥がたくさんいた。この島のスズメはいやにすらっとしているなと思ったが、それにしてはなんだか様子が違う。よく見たら頭に鉢巻きをしているような白線があったのでホオジロと判った。ホオジロは頬が白いということだが、白いのは目の上と首で、頬はほとんど茶色か黒に見える。


ホオジロが人家の周りにもいるとは思わなかった。逆にスズメが見当たらない。古い集落の中にはたくさんいるから、どうも我が家の辺りは鳥たちに人の住むところとは認められなかったようだ。まあ雑木林を切り開いて建てた家だから当然だが、それから5年たった今でも、スズメの代わりにホオジロばかりだ。チュンチュンでなく、ツィツィン、ツィツィツィンといった、素早く弦を弾いたような連続した声が年中庭に響いている。


時々目立つところで胸を反らして、すばらしい声を張り上げる。大きな声で、しかもあの小さな体で大丈夫かなと心配なくらい、飽きることなく繰り返している。澄んだとても良い声で、早口の複雑な節回しだ。「一筆啓上仕候」と聞きなしされていて、確かに始めのイッピツケイジョウあたりはそのように聞こえる。しかしツカマツリソウロウに入るとどんどん早口になって、幼い子供があわててしゃべっているようでちょっと滑稽だ。


さえずりは繁殖期の今の時期が盛んだが、なぜかその後にもずっと続く。どうかすると秋や真冬でも聞こえてくる。縄張り争いのためと言われているが、天気の良い日に高いところでさえずっているのを見ると、つい気持ちよくて声が出てしまったという感じがする。あるいはこの複雑な節回しを忘れないために、時折練習しているのだろうか。ともかく小さな体で一所懸命歌っている姿がかわいらしい。


東京郊外でもよく鳴いていて、山野を歩くの楽しみの一つだった。日本全国どこにもいると思ったら、屋久島が南限で奄美や沖縄にはいないそうだ。懐かしい歌声に年中囲まれて、良いところに移住したものだと改めて思う。
posted by 夜泣石 at 06:59| 生きもの | 更新情報をチェックする

2008年05月04日

ハハコグサ

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ハハコグサは日本全国どこにでもある雑草で、我が家の庭にもいたるところに生えている。なよなよした葉にみすぼらしいような花を付けているだけで、特に気にすることもなかった。しかし今の季節、雨の後、意外にきれいに咲いているのにふと見入ってしまった。


小さな3mmほどの花がたくさん寄せ集まっている。この小さな花は、キク科らしくさらに小さな花を10〜20個ほど寄せ集めたものだった。ルーペで見ると、内側は蜂の巣のような感じで、一つ一つの穴にごく小さな雄しべと雌しべがちゃんと並んでいる。外側も花びらのない筒状花で、また珍しいことに雌しべもなく、雄しべだけがぎっしりと束ねられ刷毛のようになっている。小さな花の中にもそれなりの構造のあるのに驚かされる。


葉や茎は細く白い毛で一面覆われていて、ビロードのような手触りで見た目も柔らかい。白い毛を生やす植物にはいろいろあるが、紫外線よけであったり霜よけであったりする。ハハコグサは早春に成長するから、たぶん霜よけなのだろう。


ハハコグサの名は母子でなく、この白い毛で覆われている様子が呆けているようなのでホウコグサと呼ばれ、それが訛ったものだと言われている。しかしこの赤ん坊の肌のようなすべすべした感じと、地味だが優しげな花の取り合わせは母子を連想させる。そのためか千年以上も前の平安時代の書物にも、すでに母子草と書かれているという。


名前が印象的なのでずっと昔に覚えた花だが、何となく敬遠していた。母子という言葉を強調されると、なんだか押しつけがましく、また感傷的でありすぎるような気がした。しかしそれは、縁の薄かった者の僻みのためでもあったかもしれないと、今になって思う。
posted by 夜泣石 at 06:57| 花草木 | 更新情報をチェックする

2008年05月02日

メキシコマンネングサ

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農道の小さな橋のコンクリートのわずかな隙間に、メキシコマンネングサが群生している。一面に鮮やかな黄色の花を咲かせて、日が当たると辺りがぽっと黄金色に浮き上がって見えるほどだ。花は星型で、花びらも雄しべもぱっと放射状に開いてすっきりしている。上から見ると5本ほどの枝が傘状に開いて、それらの上に花がぎっしり並んでいるので、きらきらしたおもちゃの勲章か何かのように見える。


それにしてもよくもこんなところに生えているものだと思う。わずかな土と焼けるような日差し、そして吹きっさらしの橋の上だ。生きのびるだけでも大変なはずなのに、しかもそっと控え目な花を付けるというのでなく、こんなに豪華に咲いてしまうのだ。


メキシコという名が付くから、なるほど砂漠の花かと思ったら、じつはその辺りで栽培されていたというだけで、原産地というわけではないそうだ。いつのまにか世界中に広がっていて、どこが原産地か判らなくなってしまったとのことだ。日本には戦後に米軍が持ち込んだのではないかと言われている。今では関東地方以西に広く分布しているそうで、東京でも川の護岸などに群生しているのを時々目にした。またこの強靱さを見込まれて、各都市でビルの屋上緑化などに利用されているという。


生命力の強い植物だが、背は低いから他の草花の茂るところには入っていけない。深く根を張るわけでもなく、多肉のみずみずしい葉や茎は簡単に摘めて、ススキやヨモギのような始末に困る雑草では全くない。普通の植物の生えないところを一年中緑で覆って、春にはこんなきれいな花園にしてくれる。きっと世界中のあちこちで、帰化を歓迎されていることだろう。
posted by 夜泣石 at 06:58| 花草木 | 更新情報をチェックする
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