2007年10月31日

ハマビワ

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海辺近くの林は、てかてかした硬い葉の可愛げのないような木々がびっしり生い茂っているだけなので、あまりよく見る気もしない。さっさと通り過ぎようとしたが、ふと良い香りに気付いて立ち止まった。見回してみると、鬱蒼と茂った分厚い葉の付け根あたりに、びっしりと黄色の花が咲いているのだった。こんなごつい木にこんな繊細な花が咲くものかと驚くくらいだ。


長く伸びたたくさんの雄しべが、みな花粉まみれになっている。花を取って見ると、一つの花のように見えるかたまりは5個ほどの小花の集まりだった。雌しべが見つからないと思ったら雌雄別株だった。後で雌株を見たが、そちらの花は白っぽいだけでこんなに目立たない。


ハマビワの名は、葉がビワに似ていて海辺にあるからだそうだ。比べてみるとビワの葉には鋸歯があるし、こんなにのっぺりなどしていない。しかし枝先に葉が集まっている様子や、葉柄から葉裏にかけて褐色の細かい毛にびっしり覆われていることなど、全体の雰囲気は似ている。昔の人は細かいことよりも、きっとこういう感じを大切にしたのだろう。


ともあれこの花を見つけて、わけもなくうれしかった。人間の脳の中では、新しい経験をした時に、快感を呼び起こす物質が大量に出るのだそうだ。そしてのんびりと変りばえのしない生活をしていても、周りに注意していれば思いがけない出会いがあるものなのだ。
posted by 夜泣石 at 21:45| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年10月29日

サキシマフヨウ

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サキシマフヨウが咲き続けている。夏の初め頃からちらほら咲き出し、秋に満開となり、冬に入って年を越しても咲き残る。そうして半年以上もこの島を彩り続ける。ほとんど純白のものから濃い桃色まで、いろいろな色合いがある。どれも蕾の時は深い赤で、咲き終ってしおれた花びらがまた赤に戻るのも不思議だ。


フヨウの仲間はたくさんの雄しべが下の方でくっついて一本の筒になっている。その筒を通って、雌しべがにゅっと突き出ている。たくさんの葯で飾りつけられた塔が、花の中央に堂々と建っている感じだ。サキシマフヨウではそれがぐっと空に向かって曲がっているのも面白い。


先島諸島に多いというが、ここ屋久島での茂り具合は格別だと思う。県道を走ればいたるところで目にする。見上げるほどの大木になって、上から下まで一面の花飾りになっていたりする。ここで暮らしているとすっかり当り前の風景なのだが、それでも出かけるたびに、どこに一番きれいな花があるかなとつい探してしまう。


最近この葉から、女性ホルモンを増やす成分が見つかったそうだ。若々しい肌を保つ効果があるということで化粧品に配合されたという。しかしそれならば、この葉を浸した水で顔を洗うとかの習慣が、この地に伝えられていそうなものだが。昔の高貴な女性は鶯の糞で顔を洗ったそうだが、それよりずっと良さそうに思う。あるいは南の島では皆真っ黒に日焼けして、化粧などとは無縁だったのだろうか。


私の故郷の静岡では、よく似たフヨウがあちこちに植えられていた。いつも見える富士山は芙蓉の峰とも呼ばれていた。しかしこちらの花の方が一回り以上は大きく立派だ。咲き方もぴんと平らに開いて堂々としている。それにフヨウは中国から持ってこられたものだが、これはもともと日本自生種だ。富士山にはサキシマフヨウの方がふさわしいと思うが、残念ながらここでは肝心の富士山が見えない。
posted by 夜泣石 at 21:44| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年10月27日

エノコログサ

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秋の午後の傾きかけた日差しを浴びて、点々と光のかたまりが続いていた。逆光の濃い影の中で、どこか遠い世界への道しるべのように輝いている。


この草には思い出がある。ずっと昔、遊びから帰る子供たちは、これを摘んで幼友達の首筋などにそっと触れた。柔らかな肌には、それはとてもくすぐったかった。一緒に帰る子犬の前にちらつかせると、飛んだり跳ねたり大はしゃぎだった。


犬は大きくなるとこの遊びに乗ってこなくなる。しかし猫は、いつまでたっても大喜びをする。これをちらちらさせると、逃げ惑う鼠のように見えるのだろうか。だからエノコログサというより、ネコジャラシの名の方がずっとなじみやすい。


荒地であればあるほど、どこにでもあった雑草なのだが、屋久島に来たらそれほど見かけない。ここの子供たちも同じような遊びをするのだろうか。なんでもない道端の草からよみがえってくる思い出は、甘くささやかでそして切ない。
posted by 夜泣石 at 22:17| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年10月25日

多選の阻止

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夜明け前の空


合併により屋久島町が誕生して、初の町長選挙がもうじき告示される。実際の選挙活動はもう数ヶ月も前から激しく行われているが、噂によると、旧屋久町の前町長が最有力なのだという。新しい議会の議員の過半も支持しているそうだ。


前町長は在任が20年近くに及び、その間に旧屋久町は、率からいえば破産した夕張市に追いつきそうなくらいの大変な借金を作ってきてしまった。夕張市は激しく過疎化が進み、また観光開発に活路を見出そうと過大投資したが、思うように観光客が集まらなかった結果であった。それにひきかえ屋久町は、移住者のおかげで過疎化が止まり、また世界遺産の島として観光客の急増に悲鳴を上げるほどであった。それなのに同じような借金を作ってしまったということは、夕張よりもはるかに悲惨な行政だったと言わざるを得ない。


地方自治における多選の弊害の甚だしいことはよく知られている。たぶん屋久町は、その長さといい結果といい、最悪の例の一つとして、日本の地方自治の歴史に永久に汚点を残すことだろう。そして今、新生屋久島町が、さらにその恥の上塗りをしようとしている。新たな出発点でこのような実績の首長が選ばれれば、町の将来に取り返しの付かない打撃が与えられかねない。


地方自治が多選に陥りがちな理由もよく知られている。しかしなぜ、屋久町においてはそれが極端に走ってしまったのか。日本の他の地方と比べて何が違い、どういう特徴がこのような事態を招いてしまったのだろうか。


その一つとして、集落の団結と独立心がことのほか強いということがあると思う。屋久島は地形的に十数ヶ所の地区に明確に分かれていて、かつてはそれぞれをつなぐ道路もろくに無かったそうだ。人々はその狭い地域の中で共に必死に生き抜いてきたため、各集落は運命共同体といえるほどになっていた。いきおい人々の発想の原点は、町ではなく集落になる。


町議会の選挙結果を見ると、得票も議員数も集落の人口に応じてきれいに割り振られている。つまり議員は町の選良などでなく、集落の利益代表そのものなのだ。そして自集落に利益をもたらすためには、権力にいかに擦り寄るかが勝負になる。それはまた長年携わった人の方が有利だから、結局多選者ばかりの極端な翼賛議会が出来上がってしまったわけだ。町全体のことを考えたり権力に楯突くような人は、集落にとって不利益となるため地元では人気が無い。聞くところによると旧屋久町議会で、集落を地盤としないで町長に批判的な人は一人だけだったそうだ。


集落の目があるから、町長選で対立候補の演説を聞きに行くこともできない、という話が今でもあった。まるで戦時中かなにかのようだ。まさかこの時代、表立って村八分にされるということは無いだろうが、精神風土は容易に変りそうにない。


もう一つの特徴として町民の気質があると思う。もちろん例外もあるが、全般的にこの島の人たちの親切心や優しさには定評がある。そういう人間性は、厳しさとか評価や責任などということを嫌うようだ。屋久町でも多選町長に対抗してずっと対立候補が出ていたが、その主張はともかく、何しろ人気が無かったという。はっきりものを言う、責任を追及する、あんな厳しい人の下では働きたくないといった理由なのだそうだ。個人として付き合うならともかく、リーダーには必要な資質がここでは敬遠されたわけだ。


多選町長の人当たりの良さには定評がある。私も移住してすぐ、何かの催しでふと目が合ったが、長身で優しげなおじさんがにこっとしてくれたものだ。後であの人が町長だと教えられて驚いた。これでは特に婦人票が流れるのも無理は無いかもしれない。しかし最初のうちは騙されても、もう20年の結果は出てしまっている。それでもなお「あの人はいい人だ」と多くの人が言う。


このような状況で多選を阻止するにはいったいどうしたらよいのだろうか。正面からの政策論争では、具体的で思い切ったことを掲げない限り、人々に振り向いてはもらえないだろう。「観光客倍増による島民の平均所得1000万円の実現」くらいをぶち上げる候補者はいないものだろうか。抽象的な理念と、あれもやります、これもしますといったバラまき政策の羅列では、似たり寄ったりでとても体制を覆すことなどできない。


ともかくこの島の状況ではゲリラ戦術を取るしかないだろう。現代ではインターネットでの情報合戦が普通だが、残念ながらこの島では移住者の間ぐらいしか普及していない。ビラや口コミなど総動員して、さまざまな事実や意見を知らせて、島民一人一人に、何かおかしいようだ、このままでは駄目かもしれないと、疑念や不安を持ってもらうことがまずは必要だろう。


旧上屋久町の人たちにとっては、長い目では合併が不可欠であるのは間違いないとしても、短期的には人の借金を背負わされたことになっている。この事実を理解すれば、その借金を作った人に投票する気にはならないだろう。泥棒に追銭を渡すくらいのことなのだ。


多選については、地方自治を侵す最大の癌として、総務省でも早急の禁止に向けての動きがあるそうだ。今の鹿児島県知事は旧自治省の出身だから、お膝元における最悪の事例には頭の痛いことだろう。といっても、この町長のいい人ぶりはよく知られていて、あれこれうるさく要望をもってきたりしないというので県庁の職員には評判が良いのだそうだが。


この多選町長も、最初は前任者の多選を批判して立候補したのだそうだ。ということは多選は良くないという常識は持っているようだ。それなのに自分のことになるとやめられないのは、一度味わった権力の甘い汁は手放せないということだろうか。


いや人間、年を取れば欲など衰えていくのが普通だ。それより何か手放せない理由があるのではないか。ひとたび離れれば、強権を持って封印してきた不都合なことが暴かれてしまう。その恐れが権力にしがみつかせているのではないか。近年立て続けに、省庁や大企業における信じられないような不正が次々に摘発されている。それらの多くは内部告発から始まっている。当地の役場などに、屋久島の将来を憂える有意の人はいないのだろうか。
posted by 夜泣石 at 21:49| 屋久島町の動き | 更新情報をチェックする

2007年10月23日

ジンジャーリリー

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屋久島の里を歩くと、あちこちにジンジャーリリーの茂みを見る。すっかり雑草化して、放棄された畑などを一面に覆っていたりする。夏の初め頃から冬近くまで、真っ白な花を次々に咲かせる。あたりにはすばらしい香りが漂っている。むっとするほど甘く蠱惑的だがしつこくはなく、どこかさわやかな感じもする。


我が家の庭でも物置の前の一角をすっかり占領してしまっている。夕方庭仕事を終えて片付けに戻ると、薄闇にほんのり浮かび上がっている。そのころ特に香りが強まる。深呼吸をすると、すうっと意識が薄らいでいくようで、疲れなど一気に引いてしまう気がする。


ジンジャーリリーはインドやマレーシアあたりが原産で、江戸時代に薬用として渡来したそうだ。ハナシュクシャ(花縮砂)というのが正式の和名とのことだ。ショウガ属でなくヘディキウム属で、花の色や大きさにいくつか違った仲間があるという。この真っ白なのはコロナリウムというそうで、園芸のカタログなどにはそんな名前で載っている。


実は我が家の株はこの島のものではない。私が子供時代を過ごした静岡の家の門のそばにあったのを折り取ってきた。当時の子供たちは遅くまで外で遊んでいたから、夕闇の中のこの白い花と香りが一日の終りのしるしでもあった。香りに惹かれてか、あたりではクサヒバリやカネタタキがしきりに鳴いていた。


故郷の家は、私が遠くの大学に進学してまもなく建て替えられた。実家に置いたままになっていた幼い頃のアルバムや思い出の品の何もかも、その時どこかに行ってしまった。それからの長い年月、数えるほどしか帰ることはなかった。今では思い出すこともまれになってしまったが、この花を見ていると、かすかな寂しさのようなものがそっとこみ上げてくる。
posted by 夜泣石 at 21:27| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年10月21日

ヤンバルヒゴタイ

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家近くの道端にそっと、赤紫の小さな花が咲いていた。火花がかすかにはじけているような感じがして、遠い昔のささやかな線香花火を思い出す。闇の中に消えた束の間の光が、かけがえのない思い出と共に、よみがえってくるような心地がする。


ヤンバルヒゴタイはひょろひょろと細く伸びた先に、1cmに満たない花をばらばらと付けている。弱々しげな風情で少しの風にも揺れる。花は朝のうちは固く閉じていて、昼頃になってやっと開く。ちょっと物思いでもしていれば、たいてい気付かずに通り過ぎてしまう。


ヒゴタイという名が付いているが、ボールのような花のヒゴタイとはだいぶ違う。別名をムラサキムカシヨモギというが、ムカシヨモギの仲間とも似ていない。それらは菊らしく舌状花と筒状花でできているが、これは先が5裂した筒状花が20個ほど集まっているだけだ。


実はこれはショウジョウハグマ属といって、日本には一つしかない珍しい種類だそうだ。九州南部から琉球にかけて分布しているとのことだが、どこでも数は少ないようだ。南の島のブログなどに、やっと出会えた喜びが綴られていたりする。


この島には多い。里の山沿いの茂みなど、あちこちで咲いている。屋久島には植物の種類や特産種が多いのはよく知られているが、種数だけでなく量の多いのにも驚く。希少種といわれるものがどこにでもあったりする。この花を見ても、ここは不思議なところだと改めて思う。
posted by 夜泣石 at 21:27| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年10月19日

メリケンムグラ

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茶畑の脇の草刈された地面に、1cmくらいの小さな花が上を向いて咲いていた。なんだかとてもしっとりしたような白さが目を引く。よく見ると花弁に一面、細い毛がびっしり生えてビロードのような感じになっている。雌しべがずいぶん長く伸びてくねったりしていて、雄しべも長めで目立つ。初めて見た時、これはたぶん日本の花ではないなと感じた。


帰化植物図鑑で調べたらメリケンムグラだった。アカネ科で、名前の通り北米原産だそうだ。ずいぶん古めかしい呼び名だが、日本で最初に見つかったのは1969年と、わりと最近のことのようだ。今では東海地方以南に見られるそうだ。それにしてもわずかの間にこんな離島にまでどうやって来たのだろうか。


ムグラとは荒地や廃屋を覆いつくすように茂るわびしげな草をいうが、これも茎が分岐しながら地面を覆っている。それでも濃い緑の葉はつやつやして、みすぼらしいような感じはしない。気が付くと、県道沿いの大きな駐車場の片隅とかあちこちにあるのだった。在来の雑草など押しのけてずいぶん生い茂っている。


それでもこの花は憎めない。足元にぽつぽつ小さな星が散らばっている感じが良い。ふと果実を見つけて余計に気に入った。細長い楕円形の上が平らで、そこに萼の残りが2本、耳のようにぴんと立っている。子供の描く狐かなにかの顔のように見えた。
posted by 夜泣石 at 20:43| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年10月17日

カンコノキ

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屋久島の海岸近くの乾いた林にはカンコノキが多い。初夏の頃たくさんの花を見たので、今はどうかと覗いてみたら、びっくりするほど鮮やかな朱色の種子になっていた。丸く行儀よく並んでいる様子がかわいらしい。


周りにはまだ薄緑色の皮をかぶったひしゃげたカボチャのような形の果実も多かった。そのそばには驚いたことに花もたくさん咲いていた。今年の異常気象のせいかと思ったら、そうではなくどうもこの木は熱帯性で、季節に関係なく咲き続けるようだ。


花は緑がかった薄い黄色で小さく、こんなもので虫を呼べるのかと思ってしまう。しかも雌花と雄花に別れているので自家受粉はできない。なんと夜になると独特の匂いを出して、ホソガという小さな蛾を呼び寄せているのだそうだ。ホソガの幼虫はできかけの種子を食べるので、親は確実に種子ができるよう積極的に花粉を運ぶのだそうだ。このような絶対的な共生関係は珍しいとのことだ。


面白い話だが、しかし見回してみて、種子が食べられて少しになってしまったような果実など見当たらない。だいたいどれもきれいな形で、そんなにいびつになどなっていない。ホソガは花粉だけ運んで卵を産み付けるのを忘れたのか。それとも幼虫は一粒二粒食べただけで満足してしまったのか。そうするとこの取引はカンコノキの方にずいぶん有利になっているようだが。


カンコノキの葉は先のほうがずいぶん幅広く、逆三角形の極めて独特の形をしている。名前もかわいらしく、いっぺんで覚えられる。何かいわれがありそうだが、判っていないとのことだ。樹皮がぼろぼろ剥げやすいので鹿の子模様の意味かなとふと思った。


西部林道では道路際がカンコノキだらけになっているところがよくある。このあたりには鹿が多く、草や木の葉など手当たり次第食べてしまう。カンコノキは細い短い枝が刺になってたくさん生えている。特に幼木は刺だらけで、まるでハリネズミのようだ。それで食害から身を守っているのだろう。やがて生き延びてかなりの大木になる頃には、刺も減り、葉も極端な逆三角形ではなくなってくる。普通の木の雰囲気になって林の風景に溶け込んでいく。
posted by 夜泣石 at 20:56| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年10月15日

カラスザンショウ

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低地の林のあちこちにくすんだクリーム色の冠をかぶったような大木がある。道際に枝を出している株があったので、近寄って見たらカラスザンショウだった。5mmほどの小さな花が数えきれないほどかたまって咲いている。明るい緑の玉のような子房の上に、黄緑の平らな柱頭がぺたっと載っている。なんだか花細工の和菓子のようだ。かわいい花を描こうと思っても、こんな造形はまず思いつきそうにない。


雄しべがないと思ったら雌雄別株で、先に行くと雄花もあった。そちらは普通に5本の雄しべが飛び出していて、黄色の花粉まみれになっていた。どちらにもたくさんの蝶が来ていた。食草とするナガサキアゲハやミヤマカラスアゲハだけでなく、イシガケチョウなど中小型の種類も多い。独特の香りがするが、それが特に蝶を引き付けるのだろうか。


この花に気付いたのはこれが初めてだ。本来は夏の初めに咲くはずだが、その頃は蒸し暑く天気も不順であまり出かけたりしない。それに大木の上に咲くから、何だろうと思っても確かめもしなかった。今年はいつまでも暑さが続くので狂い咲きしたのだろうか。


カラスの名はカラスが食べるからという説があるが、小鳥たちの方がよく食べる。この果実はサンショウと同じような香りがするが、食用にはならないようだ。役に立たないものにイヌとかカラスとかよく付けるが、これは特に大木だからカラスなのだろう。それに大きな羽状複葉が大空を背景に広がった様子は、なんだか怪鳥の群れが飛び立とうとしているかのようだ。


カラスザンショウの葉は、春には目も覚めるような緑色に萌える。秋には黄葉して、澄みわたった青空を背に黄金色に輝く。屋久島を覆う鬱蒼とした照葉樹林のそこかしこで、この落葉高木はひときわ異彩を放っている。
posted by 夜泣石 at 20:33| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年10月13日

シバハギ

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造成されたままほったらかしの荒地に、シバハギの小さな赤い花が一面に咲いていた。シバの名の通り、低く地面を覆っている。そして花の感じが、色も形も確かにハギによく似ている。


実際はハギではなく、近縁のヌスビトハギの仲間だった。花も実も見た目はだいぶ違うが、豆の鞘に微細な毛があって、それでぺたぺたくっつくところはそっくりだ。草むらにうっかり入ると、ズボンや靴下にどうしようもないくらいにびっしり付く。


一番きれいな花を探して歩き回ると、小さな蝶が弱々しく舞い上がる。この花を食草とするタイワンツバメシジミで、蝶マニアにはかなり人気があるのだそうだ。かつては紀伊半島から南に広くいたそうだが、シバハギの激減で、今では九州本土でも珍しくなってしまったとのことだ。


シバハギは背が低いから、後から他の草が伸びてくると負けてしまう。また草のように見えても茎は木質化して針金のように強く、畑地などに生えると厄介な雑草になる。土地が放っておかれても、人手が入っても駆逐される運命のようだ。


屋久島には今でもたくさんある。我が家の庭にもいくらでも生えてくる。この島に来て初めて見た花だし、きれいなので最初は残しておいた。しかし花の期間は短く、一面の株がいっせいに咲いて、数日で青っぽく、ちょっと汚らしいような感じになる。どんどんはびこるし、とんでもなく丈夫な根を張るし、今では見つけ次第抜き取るようになってしまった。
posted by 夜泣石 at 21:38| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年10月11日

屋久島町の誕生

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暗雲の向こうの遠く美しい朝焼け


屋久島ではこの10月、紆余曲折を経て遅ればせながら二つの町が合併して屋久島町になった。島が一つになることは過半の島民の願いであったし、過疎高齢化の危惧される厳しい現実に対処するために不可欠のことだろう。新しい町名も日本の各地であったようなおかしなものでなく、極めて順当な名前でよかったと思う。


反対者もいたが、多くは自己の目前の利害のためだったようだから、押し切ってしまうことに問題はないだろう。また世の中には、伝統文化が失われるとしてすべての合併に反対する知識人とか称する人たちがいるが、文化と行政単位とは一体ではない。特にこの島ではもともと各集落ごとに独自の文化が伝えられている。それらは時代の流れの中で失われつつあるが、それと町の合併とは関係ない。


新しい町の船出なのに、まず直面するのが巨額の財政赤字であった。屋久島は日本最初の自然遺産登録地の一つとして多くの観光客を集めている。また魅力あふれる自然や住みやすさから移住者が多く、過疎化に歯止めがかかっている。たぶん日本の数ある離島や僻地の中で最も恵まれた所といえるだろう。それなのに借金の山を築いてしまうとは政治・行政の失策としか言いようがない。


私が移住した町の町長は驚くことにもう20年近く在任していた。地方自治体の首長には絶大な権限があるから、これでは組織が停滞し腐敗しない方がおかしい。それを監視しなければならない議会も多選者が多く、すっかり翼賛会化してしまっている。一度決まった体制はなかなか変えられない。そして時間が経つとますます強固になる。とんでもないような噂話も聞こえてくるが、独裁的な体制の中で一般常識では考えられないようなことが横行してきたのだろう。この町長は、なんら失政を恥じることなくさらに新町の町長選に立候補を表明している。これは本人の資質の問題だけでなく、支援者、つまり権力に擦り寄り群がる人たちがいかに大勢いるかということの表れだろう。


民主主義というものは一人一人が良識を持って判断し行動することを前提としている。しかし狭い島の中では血縁、地縁、直接的な利害などの濃密な関係が張り巡らされている。それらの前では良識など無力であったことをこの現実が証明している。地域社会においては民主主義は形骸化するしかないのかもしれない。


ともかく来月に新町の町長選が行われる。そんな中で立候補予定者4名の政見講演会が開催された。こんなことは屋久島始まって以来とのことだ。ある移住者が中心となって推進されたそうだが、新町の歴史の最初を飾る快挙だと思う。4回開催された最終回に行ってみたが、会場にはあふれんばかりの人が来ていた。移住者ばかりかと思ったら多くは地元の人たちで、各候補者も真剣に熱演していた。


4名の方の考え方や人柄はずいぶん違っていて、個人的には尊敬や好感を持てたりその逆だったりしたが、表明された方策についてはそれほど極端な違いはなかったと思う。財政再建についても、名目ややり方は違っても、観光客から入島税とか入山税のようなものを徴収して収入増を図るという点では全員共通していた。


ところで税収は産業が振興すれば増えるものだろう。この島の産業は今や観光業が主体となっており、今後ますますその傾向は強まるだろう。それならばいかに観光客を増やすかの方策がまず第一にあるべきではないだろうか。しかしそれには誰も言及せず、それどころか自然保全のために観光客の制限を考えるような発言すらあった。そもそも入島税のようなもの取ったら、観光客を減らして元も子もなくなるのではないかと心配になる。


観光客が縄文杉など特定の所だけに集中しているので過負荷になり、自然破壊が進行してしまったという。だから里地へのエコツアーなどに分散化を図るという。しかしそれはお客様の意向を無視していると思う。日本の観光客の大多数はとにかく有名なところに行きたいし、その地の目玉を見たいのだ。だいたい屋久島の宣伝にさんざん縄文杉をうたっていながらそこに行くなというのは何事だろうか。


集中するということは、管理上も投資効果の点からも最高のはずだ。分散化してしまったらいったいどうやって管理できるだろうか。宣伝にしても運営にしても分散した分だけの投資が必要になる。野放しの分散は自然破壊を広範囲に進めてしまい、また心無い観光客によって島中にゴミが撒き散らされることになるだろう。


縄文杉について考えると、それは屋久島のシンボルとして多くの観光客をひきつけている。しかし今は難行苦行を強いられるので、実際に行くことのできる人はそう多くない。もし老若男女誰でも行かれる所になったら、屋久島を訪れる観光客を倍増させることも可能だろう。トロッコとかロープウエー、ケーブルカーなどの交通手段や休憩施設などの設置、そして周辺整備の投資が必要になるが、この知名度からすれば元を取るのは容易のはずだ。


屋久島には自然を愛する人が多く、縄文杉など神様ぐらいにあがめられたりする。そんなところに観光施設などとんでもないと言われそうだ。しかしその議論を進めるなら、もう人の立ち入りを禁止して元の森に返すしかないだろう。もともと深い森の中にひっそりとあった縄文杉は、今は周りの木々をすっかり切り払われて、荒れ狂う風雨や土壌の流出する中に一人立って見世物になっている。今すでに本来の姿から遠く、このままではだんだん衰弱していくだけだろう。


観光地として整備すれば、そこの自然を破壊することになるのは間違いない。しかしなし崩し的な破壊を防止し、残すべきものはしっかり保全するということでもある。そしてまた、周辺への際限のない破壊の進行を食い止めることでもある。そもそも屋久島は絶海の無人の孤島などでなく、大昔から多くの人々が暮らしてきたところだ。島全体を聖域にすることなどできない。それどころかすでに里地の自然などすっかり破壊しつくされてしまっている。早急に利用するところと保全するところを明確にして、計画的な開発に取り組むべきだろう。縄文杉は年間数十万の人々を受け入れる観光地としてしっかり開発してしまったらどうだろうか。他方、たとえば西部林道は観光車両の通行を禁止して遊歩道としてしまったら良いような気がする。


観光が振るえば関連業界が潤って税収が増える。また農漁業なども、増大する島内需要に照準を合わせて振興を図ることができる。波及効果でさらに増収が見込める。さらなる投資が必要なら、潤う業界に協力金などの受益者負担をしてもらうべきだろう。お客様から徴収するよりもずっと手がかからないし、反感を受ける恐れもない。


ある立候補予定者は町政に経営感覚が必要であると訴えていた。全くその通りだが、さらにこれからの離島振興のためには、起業家精神や商売感覚も必要だろう。観光開発の事業そのものは民間企業に任せることもできるが、難関なのは自然保護のための様々な法律や関係省庁の許認可だろう。それらを突破するところに首長の力量が問われそうだ。


今の屋久島の、放っておいても観光客が増えて悲鳴を上げている現状なぞ、とんでもないような幸運であろう。それに対処し、活用できないような行政などもってのほかと言えよう。日本のほとんどの地域は、どうやってお客様を集めようか、目玉作りをどうしようかと大変な苦労をしているのだから。


ところで私個人としては、静かな自然の中の暮らしを求めて移住してきたので、内心では観光客の増大は望んでいない。しかし財政破綻で生活の基盤が脅かされるとなればそんなことは言っていられない。それにしっかりした観光地をいくつか作れば、ほとんどの観光客はそこだけに集中するから、それ以外の静かなところでそっと楽しめればよいと思っている。
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2007年10月09日

ゲンノショウコ

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里山の道脇の草むらに、目を奪うような赤が点々と散らばっていた。こんなに鮮やかな色は、一年を通してゲンノショウコの花だけだ。赤といっても少し紫がかっている。わずかに皺がよっていて、派手な色なのに何となく儚げな感じだ。


濃い紫の葯や紅色の柱頭といった色使いもしっとりと落ち着いている。あたりを見回すと、葯がなくなって柱頭がヒトデのように五つに開いているものがあった。この花は自家受粉を避けるため雄性期から雌性期へ変化するのだった。それから棒のような果実や、それが下から五つに割れて、種子を飛ばして反り返っている面白い形のものもあった。


ゲンノショウコは「現の証拠」だそうだ。代表的な民間薬で、下痢や腹痛にすぐ効くからということだが、なんだか日本語としておかしいような気もする。証拠とは事実であることの拠りどころとなるものをいうのだから、現という修飾は意味が重複するようでそぐわない。また証拠草とか言うならともかく、証拠のような言葉をそのまま固有名詞とすることもしっくりしない。何か別の語源があって「現の証拠」はこじつけのような気がしてならない。


北海道から沖縄まで、広く全国にあるそうだ。花の色には変化があり、西日本では赤が、東日本には白や桃色が多いという。昔、東京郊外で見たのはだいたい白花だったが、西に通じる国道沿いには一面赤花のところもあった。赤の勢力がだんだん増してきているような感じがした。屋久島ではどこも赤ばかりだ。一度だけ白花を見かけた時は、古い知り合いとばったり出会ったような気がして懐かしかった。
posted by 夜泣石 at 21:18| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年10月07日

ラセンソウ

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屋久島に来て初めてこの花を見た時、何の仲間か全く判らなかった。図鑑を最初から繰っていって、やっとシナノキ科のラセンソウに行き当った。シナノキ科は日本では10種に満たない上、草ではこれとカラスノゴマくらいしかない。見当が付かないのも仕方なかった。


花はせいぜい8mmくらいと小さいが、なかなか清楚で気品すら感じさせる。すべてが細長い部品からできている。紐のような萼とそれより短い花弁が、5枚づつ互い違いに並んでいるのがきれいだ。10本の雄しべも束になってすんなりと伸びている。


離れて見ると、全体になんとなく霞んでいるような、煙っているような感じがする。それもそのはず、葉も茎も透き通った細い毛でびっしりと覆われている。萼の先端にまでちょこっと毛の生えているのがなんだかおかしい。


やがて果実ができるとまた驚かされる。かわいらしい花のあとにイガイガのかたまりがびっしりと付いている。その手触りがラセン(羅氈)に似ているのでラセンソウと名付けられたという。ラセンとはオランダ語で、地の厚い毛織物の一種でフェルト状に加工したものだそうだ。しかしこんなチクチクする布などあるのだろうか。ともかくこれはズボンなどにやたらとくっついてきて、知らないうちに散布を手伝わされることになる。


道路際などにびっしりとはびこる様子は帰化植物かと思うほどだ。我が物顔のシロノセンダングサなどと競いあっている。しかしこれはれっきとした在来種だ。関東地方から沖縄にかけて分布しているそうだ。といっても本州や四国などでは絶滅あるいは絶滅危惧種になっている所も多いようだ。そんなものでも屋久島では、庭や畑の手入れをちょっとでも怠ると、一面にいくらでも生えてくる。この島の雑草のすごさにはいつも泣かされるが、本当は喜ぶべきことかもしれない。
posted by 夜泣石 at 21:23| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年10月05日

オトコエシ

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林の開けたところに何本か、オトコエシがすっと突っ立っていた。笠でもかぶっているみたいに、小さな花がたくさん広がって咲いている。こういう花の咲き方を散房花序と言うそうだが、セリ科のように真平らでなく、ゆるやかな山型になっている。


一つ一つお皿に載せたような果実の様子がかわいい。これは小苞という花の付け根にある葉が、花が終ったあと張り出してきたものだそうだ。咲いている時はほとんど目に付かないような小さな葉が、急にこんな円盤になるのが不思議だ。ともかくこうして翼をもらった種は風で遠くに飛んでいくことができる。


オトコエシという名は、オミナエシによく似ているが、全体に強く丈夫そうに見えるからだという。花の色が黄色に対して白というためもあるかもしれない。オミナエシの名はよく知られているが、今ではどこに行ってもほとんど見かけない。それに対しオトコエシは、あまり馴染みのない名だが、東京近郊でもよく見たし屋久島にもあちこちにある。


今年はいつまでも夏が続いているような日々だったが、いつのまにかこんな秋の花がもう盛りを過ぎて、果実まで付けてしまっていた。暑さを言い訳にして、この季節をあまり出歩かずに過ごしてしまったことが悔やまれる。
posted by 夜泣石 at 20:53| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年10月03日

センニンソウ

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防風林の一角がぼっと明るくなっていた。近付いて見たらセンニンソウが満開だった。つる性で、かなり高いところまでよじ上り、また垂れ下がってきたりする。上から下までいっせいに咲くので、遠くからだと白い布でも掛かっているかのようだ。すぐ咲き終わるが、場所によってか株の性質の違いか咲く時期はばらばらで、7月頃からあちこちで目にしている。


キンポウゲ科らしく、十字に開いているのは花びらでなく萼だった。雄しべはたくさん、雌しべも何本もある。みな長く吹き上げるように伸びて、なんだか小さな噴水が並んでいるようできれいだ。


つる性といっても、茎はぴんとまっすぐだし、巻きひげなども持っていない。そのかわり葉柄が曲がりくねっていて、それで木の枝などを掴まえている。まるで腕で抱え込んでいるかのような不思議な形だ。


東京近郊でも普通に見かけたが、こんなに長い間花は咲かなかったと思う。屋久島では多くの花がずいぶん早くから咲き出し、そしていつまでも咲いている。温暖な気候が長く続くためか、あるいは昼夜の温度差が大きいからだろうか。ともかく季節の変わり目が実感しにくい。


それにしても今時までセンニンソウが咲くのは普通でないかもしれない。今年の夏は異常に暑かったが、それが9月に入っても続き、10月の今も日中は暑い。ダイバーの話では例年より海水温が数度も高いそうだ。ラニーニャ現象でフィリピン近海が高温になっているそうだが、それがこのあたりまで届いているのではないかという。屋久島の真夏は、安定すれば空も海も真っ青に澄み渡るが、今年は海からの蒸気が激しかったのか、ずっと霞がかかったような毎日だった。


それでもまあ島の気候だから猛暑日というのはほとんどない。しかも真ん中が高い山だから夜は冷気が降りてくる。暑すぎて庭仕事などはあまりできなかったが、家では今年もほとんどクーラーを入れずに過ごすことができた。
posted by 夜泣石 at 21:12| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年10月01日

バナナ

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バナナの花がまた咲いた。まず木のてっぺんから、濃い赤紫の大きな砲弾のようなものがにゅっと突き出してくる。重なり合った苞が一枚めくれると、その中から2列に並んだ15本ほどの小さなバナナが顔を出す。数日で次の苞がめくれ、そうして次々に段ができて、見る間に大きな房になっていく。


小さなバナナの先に白く見えるのが花被で、外側と内側に2枚づつある。丸い頭の大きなマッチ棒のようなものが雌しべで、その根元の方に雄しべが5本隠れている。雄しべはどの花を見ても、蕾のうちから枯れかけていて花粉は出ないようだ。ぽたぽた落ちるほどの甘い蜜がとても無駄に思える。


バナナの野生種には硬い種子がいっぱい詰まっているそうだ。偶然種子のできないものを見つけて、それを増やしたのが人類最初の農業だったという。栽培植物として最も古く、また現在でも世界で最も生産量の多い果物だそうだ。


バナナは完熟一歩手前で収穫して数日吊るしておく。そうするとでんぷんが酵素の働きで糖に変り甘さが増すのだそうだ。一房には150gほどのバナナが80本くらい付いていた。10kgを超えてとても重い。それを軒下に吊るすのはなかなか大変だった。


バナナがこんなにおいしいものだとは知らなかった。甘酸っぱく濃い味で、ねとっとした食感がある。普通店で買うのはただ甘みがあるだけでイモのようなものだが、これはまさしく果物だ。


売っているものはまだ真っ青なうちに採って長く寝かしている。これでは風味などあったものではない。しかし我が家のバナナがおいしいのは、採りたてというだけでなく品種の違いもあると思う。それではなぜこのおいしい品種が出回らないかというと、皮がとても薄いのだ。これでは流通には耐えられない。気が付けばいつのまにかトマトなども、店では皮の厚く強いものばかりを売っている。


バナナは大きな葉がすぐずたずたになるので弱い植物かと思っていた。しかし実際にはとても強靭だった。次から次へと葉が出てぐんぐん大きくなる。どんどん子株が出てきて広がっていく。熱帯植物の多くがぐったりする真夏の灼熱地獄でも、バナナは喜んでいるかのように大きな花を咲かせる。


果実のなり終った株や増えすぎた株など、時々始末しなければならない。木ではなく草だから簡単に切り倒せるが、高さは数mもありずっしり重く作業には苦労する。狭い庭に植えるものではなかったと後悔する。しかしこのおいしい果実を食べて、まあ体力の続く限り植えておこうかと思い直すことになった。
posted by 夜泣石 at 20:46| 花草木 | 更新情報をチェックする
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