2007年01月29日

シラタマカズラ

(104275)s.jpg


白い実というのは一般的には珍しいと思う。だから屋久島に来て、白い実がたくさんあるのに驚かされた。特にこのシラタマカズラは冬から夏までいたるところで目に付く。防風林も杉の高木も、みな白玉で飾り付けられてなかなかきれいだ。


小ぶりな飴玉のようで、ハッカ味のドロップスを思い出す。お菓子がいっぱい木からぶら下がっているかのようだ。ところが食べてみると、わずかに甘みはあるが、どことなくえぐくておいしくない。それでワラベナカセ(童泣かせ)の名があるという。


ワラベナカセには別な説もある。子供がこの蔓で薪を括ったらすぐ切れてしまったからだという。蔓というものは、フジやアケビのように普通はたいへん丈夫なものだ。しかしこれは弱い。大木などにびたっと張り付いているから、強くなる必要などなかったのだろう。その代わりしっかり張り付くために、茎にはずっとブラシのような根が並んでいる。


アカネ科の常緑の蔓植物。紀伊半島以南の暖地に分布しているという。白い玉も愛らしいが、芽生えて間もない小さな株もかわいらしい。小さな葉が左右対称にずらっと並んでいる様子はまるで緑のムカデのようだ。それがなんだか意思を持っているかのように、木や石にぴったり張り付いて登っていこうとしている。


白い実は冬の初めに熟し、だいたいがそのまま夏までぶら下がっている。鳥にとってもおいしくなく、また白い色は木の実らしくないからだろうか。しかしそれはシラタマカズラの作戦かもしれない。他の実が無くなる頃少しずつ食べられて、種子が場所的にも時間的にも分散してばら蒔かれる。そうすれば生き残って増殖する機会をより掴むことができる。実際この島では里にも山にもいたるところに生えている。
posted by 夜泣石 at 20:56| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年01月27日

ハドノキ

(104365)s.jpg


薄暗い葉陰で、白いぶつぶつしたものが木の枝にびっしり付いている。初めて見た時、ずいぶん異様な感じで驚いた。色も姿も植物らしくなく、なんだか虫の卵か幼虫のようだ。


もしかしたら本当にこれは虫の何かに似せているのかもしれない。このあたりではメジロやカラ類がよく枝の周りを突付いて虫を食べている。葉陰の白いかたまりを彼らはすぐに見つけるだろう。5oほどの大きさも彼らには食べやすそうだ。そうしてこの細い枝に止まっているだけで満腹できることだろう。


イラクサ科の常緑低木で、伊豆半島以南の暖地に分布しているそうだ。イラクサ科の仲間はだいたいが草で、花は風媒花で地味だし、果実も小さく目立たない。こんな立派な木になって不思議な実を付けるものがいるとは意外だった。


屋久島では低地のあちこちに生え、時には見上げるほどの高木になっていたりもする。川沿いや林の日陰に多く、自身もこんもりと茂って更にあたりを暗くする。白い実は少し甘みはあるが、どことなく不快な味もしておいしくはない。庭のあちこちに芽生えてくるので、鳥はよく食べるのだろう。これもまた鳥たちにとっては、ハマヒサカキなどと共に冬の屋久島の無限の食料の一つになっているようだ。
posted by 夜泣石 at 21:26| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年01月25日

サツマサンキライ

(102917)s.jpg


少し日差しの延びてきた今頃、いまだ冬の黒々とした防風林に、たくさんの花飾りが付けられる。この赤は鮮やかな冷たい花の色ではない。温かみがあって、ふと、寒さの中ではしゃいでいる初々しい子供の頬を思い出す。


サツマサンキライはユリ科の蔓植物で、九州南部以南に分布するそうだ。日本中どこにでもあるサルトリイバラとそっくりだが、そちらの花は黄緑で赤い実が生るのに対して、サツマサンキライの花は赤、実は黒紫色と異なる。屋久島では、低地はほとんどサツマサンキライばかりで、サルトリイバラは山の上の方でしか見かけない。土地の人はどちらもカカラと呼んでいる。


身近にいくらでもあるので、かからん団子の材料に使われる。かからん団子とはヨモギ餅をカカラの葉で包んだものだ。混ぜ込まれたヨモギの量がかなり多く、カカラの葉の香りとあいまって、独特の香ばしさがある。素朴な味で、今でも昔のように家庭で手作りしていたりする。


サルトリイバラの仲間は「猿を捕る」という名前の通り、刺のある丈夫な蔓で山歩きの厄介者になっている。しかしこの手毬のような花を見れば、好きになる人も多いだろう。サツマサンキライという名も、なんだかもったいないくらい由緒正しい感じがする。
posted by 夜泣石 at 21:32| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年01月23日

タマザキヤマビワソウ

(104373)s.jpg


山裾の農道脇の林の陰に、白い実を付けた膝ほどの高さの草があった。ぎっしりとブドウの房のように生っている実は、少し透き通って一粒一粒きれいに輝いている。こんなものは今まで見たこともなく、草の様子も何の仲間か見当も付かなかった。


図鑑を順に見ていって、タマザキヤマビワソウに行き着いた。ヤマビワソウというのが奄美大島以南にあり、その変種で少し北に分布しているという。タマザキというから花が玉状に咲くのだろうか。この実の付き方からするとそんな気がする。


イワタバコ科というのにも驚いた。日本にはわずかな種類しかないものだ。昔、東京の高尾山に初夏になると毎年イワタバコの花を見に行ったことを思い出す。薄暗い岩場に、赤紫の星を一面ちりばめたかのようだった。その仲間にこんなところで出会えて訳もなく嬉しかった。


ヤマビワソウというのは、葉がヤマビワに似ているからだという。ヤマビワも葉がビワに似ているからとのことで、他人の空似が二重になっている。なんとも安直な名付け方だと思う。そういえばイワタバコというのも、葉がタバコに似ているからだという。まあどれも似ていないわけでもないが、縁もゆかりもない他人の偽者のような扱いをされて、なんだかかわいそうでもある。どれもそれぞれ独自の特徴を十分に持っているのだが。


白い実を口に含むと、さくさくして梨のような感じだった。ほんのり甘みがあるだけで、薄めた砂糖水みたいな味だ。冬の屋久島には、ツルソバリュウキュウルリミノキなど、よく似た味わいの実がとても多い。


ふだん何の気なしに通り過ぎてしまう所でも、よく見るとこんな珍しいものが見つかったりするのだ。この島に移住してもうじき丸4年、まだまだ嬉しい発見は続いてくれることだろう。
posted by 夜泣石 at 22:01| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年01月21日

ヒメキランソウ

(104296)s.jpg


これからまだまだ寒くなるというのに、もう春を先取りしたいかのように、あちこちで新しい花が咲き出した。この青紫の花は東京で暮らしていた頃も早春によく見かけた。低く這いつくばっている姿が地面にふたをしているようで、ジゴクノカマノフタという別名があるそうだ。その名前も色も形も、なんだかこの世離れした感じで、わりと好きな花だった。


屋久島で見かけた時、花は大きめだが葉や株がどうにも貧弱に思えた。そのうち生長したらきっと見事になるだろうと楽しみにしていたが、いつまでたっても大きくならない。不思議に思って図鑑で調べたら、この島にあるのは馴染みのキランソウではなくヒメキランソウという別種だった。


ヒメというように草全体は小さい。しかし花は一回りくらい大きい。海沿いに生え、それらしく葉も厚めで硬く光沢がある。何より一番の違いはランナーを延ばしてどんどん子株ができていくことだ。だから砂地のような競争相手の少ないところでは一面に地面を覆っていく。


我が家の庭にもたくさん生えていた。しかしイネ科の雑草がはびこってくると、丈の低い彼らは負けてほとんど消えてしまった。ちゃんと草刈りを怠らなければきっとまた生えてきてくれるだろう。どんどん広がるし多年草で年中葉があるから、グランドカバーに良さそうだ。ちょっと変わった感じの面白い庭になるだろう。
posted by 夜泣石 at 15:46| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年01月19日

チョウゲンボウ

(104256)s.jpg


散歩の途中、電柱に茶色の鳩大の鳥が止まるのが見えた。そっと近づいてみると、小鳥を捕まえてきてむしって食べているようすだ。小さな羽が次々にひらひら舞って落ちてくる。


時々顔を上げ、あたりをぐるっと見回す。襲う側の強い者が何を警戒しているのだろうか。彼らをさらに襲う者がいるのか。それとも警戒は戦う者の本能だろうか。カメラを構えていた私も見つかってしまった。ぐっとこちらをにらみつけている。しばらくにらめっこをした後、すっと飛び立っていった。


後で図鑑で調べてチョウゲンボウの雌と判った。丸い頭と短かめの嘴のせいか、猛禽類にしてはなんだかかわいい顔に見える。


昔、東京で探鳥会などに参加して、トビ以外のワシタカ類が現れるとみんな喜んだものだった。しかし上空高く影絵になって、私などほとんど判別できなかった。


この島では冬の散歩でたいてい何羽かは見かける。ゆっくりと低く飛んでいたり、枯枝に止まっていたりする。私の書斎の窓からも、モッチョム岳の麓を旋回する姿が見える。時々獲物を見つけたのか急降下する。


小鳥などいくらでもいるし、どれもまるまる太っている。猛禽の連中にとっても屋久島の冬は天国みたいなものだろう。どうせならモグラを食べてくれればと思うが、地下に隠れているものを捕るなど、めんどくさいことはしてくれそうにない。モグラは冬でも元気いっぱいだ。先日は植えたばかりの花苗を下からすっかり持ち上げて、見事に地上に転がしてくれていた。
posted by 夜泣石 at 20:34| 生きもの | 更新情報をチェックする

2007年01月17日

ムラサキカッコウアザミ

(104307)s.jpg


屋久島に移住して最初の冬、手入れの行き届かなかった庭の一角に薄紫の花が一面に咲いた。ああこれは東京では花屋で売っているアゲラタムだと、意外な出会いにびっくりした。この島では雑草になって畑の周りなどいくらでもある。ポットの苗は小さかったが、自然のものは膝を超える高さの茂みになっている。


カッコウアザミよりも花は数倍大きい。全草の香りもこちらの方が薬品臭くなくずっと良い。草としてはよく似ているが、こちらの方が少し湿り気のある土地に生え、花ももっと寒くなってから盛りになる。


多くは薄紫だが、中には白いものもある。一方、カッコウアザミの中にも薄紫のものがある。だから名前は別名のオオカッコウアザミの方が本来はふさわしい。


きれいなので折り取って花瓶にさしておいた。数週間たっても変らずきれいに咲き続けている。不思議に思って見たら茎から新しい根が出ていた。見かけによらずたくましかった。


この冬、カッコウアザミが群落を作っているのは、昨年春に畑にしようと耕したところだ。長雨が続き、その後暑くなりすぎたり蚊の大群に襲われたりで途中で作業を放棄した。冬になったら再開しようと思っていたのになかなか涼しくならない。そうこうしているうちにお花畑になってしまった。


この冬は各地で異常気象が続いているようだが、当地でもきのう今日は20℃を越えている。散歩に出たら半袖Tシャツになりたいくらいだった。草取りをしていたらもう蚊に襲われた。このままだとまた放ったらかしになりそうだ。まあこんなきれいな花が一面咲いてくれるのだからそれでも良いかと怠惰の言い訳をしている。
posted by 夜泣石 at 15:08| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年01月15日

カッコウアザミ

(104192)s.jpg


秋から冬、そして春にかけて、耕作されていない畑などを一面に覆って咲き続ける。対生の葉の付け根のそれぞれから枝を出し、その先のすべてに十個くらい花を付ける。そうしてどんどん伸びて1m以上になったりするからたいへんな花の数になる。


咲いた後にはびっしりと種(痩果)ができる。柔らかい刺が並んでいて、服にもくっつくし風にも飛ばされる。そうしてどんどん広がっていく。


この島では冬の主要雑草になっている。我が家の庭にもところかまわず生えてくる。おかげで冬でも草取りが欠かせない。むしると、あたりにちょっと変った香りが漂う。良いとも悪いとも言えない、薬のような匂いだ。何か薬効でもあるような気にさせられる。


熱帯アメリカ原産で、世界の暖地に普通に帰化しているそうだ。日本には明治の初めに観賞用に導入されたという。本土でも暖地のあちこちに散見されるそうだが、しっかり根付いているのはこの島あたりから南とのことだ。しかしなぜ熱帯から来て、わざわざ冬に咲くのだろう。熱帯産といっても高地寄りで、このあたりの夏の暑さには耐えられないということだろうか。


アザミの名は花の感じが似ているからとのことだ。しかしよく見るとアザミとは違って、この毛糸のようなものは花柱の先端が二つに枝分かれして伸びたものだった。その構造はヤマヒヨドリとそっくりだ。


カッコウの名は鳥ではなく、シソ科のカワミドリのことで、葉が似ているからだそうだ。しかしカワミドリなど知っている人はめったにいないだろう。私も東京の高尾山で数株見ただけである。そんな一般には馴染みのないものをわざわざ持ち出さなくてもよいのにと思ってしまう。明治の植物オタクのこだわりなのだろうか。
posted by 夜泣石 at 21:27| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年01月13日

自衛隊は必要か

(104263)s.jpg
海から出る朝日


防衛庁が省に昇格するに当り、軍隊について日ごろの考えをまとめてみた。私の主張は、現在のような重装備の自衛隊など不要だが、しかし日本は憲法を改正して正規の軍隊を持つべきである、と一見矛盾するようなものである。


自衛隊が必要かどうかは、現実に日本が攻め込まれる可能性があるかどうかによるわけだ。いろいろと不安を煽る向きもあるが、実際問題としてその恐れはないだろう。それは他国の公正と信義を信頼するからではなく、日本を征服しても何も得にならないから誰も攻めてこないだけだ。


日本には地下に宝が埋まっているわけではない。日本の価値は第一にその優れた先進工業力にある。それは日本の社会の秩序が保たれなければ維持されない。どんな国でも日本に攻め入ったら、この秩序は破壊されないでは済まされない。イラクの泥沼を見てもそれは判る。


日本を占領して甘い汁を吸いたければ、政権に裏から手を回し、あるいは言うことを聞く一部の政治勢力を援助して政権を取らせ続けて間接統治するしかないだろう。我々がそういうことから逃れるとしたら、国民の理性による民主主義の徹底によるしかなく、自衛隊の仕事ではありえない。


不安要因は理性や常識の埒外にある北朝鮮だけだろう。しかし中国の支援無しには立ち行かないような疲弊しきった国に、他国を武力制圧する力などない。それをことさら脅威と騒ぎ立てる人たちには何か別の思惑があるとしか思えない。


結局、国防のための自衛隊など現実問題としては必要ないと言える。しかしここでもっと広い目で世界を見た時にはどうだろうか。


今、我々が他国による侵略の脅威を現実的に感じないでいられるのは米国との安保条約によるところが大きい。しかしそれだけでなく、国際世論が勝手な武力行使を許さないであろうという安心感も強い。一国だけ例外もあるが、ある国が他国を攻めたら世界が黙っていないということは戦争の抑止力になっている。


国際世論形成の場として国連がある。非力ではあってもともかくこの60年間余り、全面戦争を抑えることができた。世界に戦争が広がっても自分だけは安全でいられるなどということはありえないから、我々はこれからも世界平和のために国連を奉っていく必要があるだろう。


世界にはまだまだ様々な紛争が絶えない。それらの多くに国連から、あるいは国連の承認を得て各国から軍隊が派遣されている。いろいろ問題はあっても、ともかく世界の警察として機能しているわけだ。国連を奉り、その恩恵に浴している日本としては、各国並に軍隊を派遣するのは当然の責務だと思う。そしてそういう貢献を通して国際社会の中で発言力を強めることが、翻って国を守る重要な方策の一つであると思われる。


今、日本の中で我々が武器も持たず安心して暮らせているのは、ともかく警察がしっかりしているからだ。世界でも警察の必要性は今後ますます高まるだろう。日本がその一翼を担うのは当然だし、そうしなければ、現実として警察は常に公正であるとは限らないから、そのうち何がしか不利益が生じてくる恐れもある。


さて世界で活動する軍隊を持とうとすると、それを阻害するものとして日本には憲法の問題がある。


日本の憲法は、その精神としてあらゆる軍備を持たないと宣言していることは明白だ。それなのに文言の言葉尻をとらえ詭弁を弄して自衛隊を持ってしまっている。自衛隊はすでに実質として世界有数の軍隊になってしまった。これでは日本はその成り立ちの根本から嘘をついていることになる。


憲法はこのままの方が自衛隊の膨張に歯止めをかけられるとか、これが大人の知恵であるとか言う人がいる。これは法治国家の否定であり、それでは民主主義は成り立たない。だいたい嘘の上塗りなどいくらでもできるから歯止めになどならない。自衛のために必要なら先制攻撃は認められる、そのために核兵器を持つべきだなどと、いくらでも詭弁は弄せられる。


ただ闇雲に戦争への恐怖を感情的に煽って憲法死守を叫ぶ人もいる。しかしこれは一歩間違えれば戦争賛美に入れ替わってしまうだろう。人間は感情の動物であり、また本能的に闘争心を持っている。感情に訴えているうちに、ほんの何かのきっかけで憎悪の対象が隣国に向かってしまうことだろう。


日本が再び戦争への道に進まないためには、この国に民主主義を徹底するしかない。国民それぞれが自らの理性で判断し、正論で国を動かすようにしていくしかない。偽りで言いくるめた自衛隊を持つ限り、日本の民主主義はますます形骸化していくだけだろう。今や日本の責任ある政党の中で、自衛隊を廃止せよと主張しているところなどどこにもない。それならばなぜ根本のところの嘘を正そうとしないのか。


ものごとをあやふやにしていると、そのうち取り返しが付かなくなる。正々堂々と議論して、早急に日本の軍隊のあるべき姿を明確にしなければならない。もう昔のような全面戦争の可能性はほとんどない。もしまた世界大戦のようなことになれば、いくら軍備を拡張しても国を守ることなどできない。それどころか世界、そして人類の破滅が訪れるだけだ。今後我々が被るかも知れない災難は、局地的な紛争やテロ組織などによる破壊工作などだ。そこでは核兵器など使いようがない。


北朝鮮問題でも、最も危険性の高いのは難民の襲来だろう。突然の体制の崩壊で、海を越えて大挙難民が押し寄せてくる。しかしこのとき、艦艇を出して海を封鎖し、彼らを押し返すことはできない。何十万もの人々を海の藻屑にしてしまうことは国際関係上でも人間感情としてもできない。そうならばこの時、軍隊は出動しても重装備などは無用である。


以上、日本は早急に憲法を改正して世界で活動できる正規の軍隊を持つべきであると結論したい。今の自衛隊は解体して、体制や装備など根本的に見直し再構築する必要があるだろう。そしてこれが日本が真の民主主義国になるための唯一の道筋であると思う。
posted by 夜泣石 at 21:23| 世の中のこと | 更新情報をチェックする

2007年01月11日

リュウキュウルリミノキ

(104305)s.jpg


昨日久しぶりに山に登った。ずいぶん暖かい日で汗びっしょりになってしまった。屋久島の冬は暖かい日と寒い日とひどく差があるので、山に行く時は服装が難しい。


山道の取っ掛かりに、リュウキュウルリミノキがたくさん実を付けていた。照葉樹林の薄暗い林内で、ちらちらする木漏れ日に照らし出されると、透き通るような瑠璃色が息を呑むほど美しい。


本来は秋に咲いて冬に実るという。しかし今は花と実が同時にあった。これだけ成熟した実の枝があるというのに、隣にはびっしりつぼみをつけた咲き始めの枝がある。寒暖の差が激しいので木も途惑ってしまったのか。それともわざと時差をつけて、実の生る期間を延ばしているのだろうか。


花の枝からは真っ白いつぼみがぴょんぴょんと飛び出している。花も純白の筒型で先が五つに開く。そこにやはり純白の毛が密生している。それらにも木漏れ日が当たると、小さな妖精たちのようでかわいらしい。


アカネ科の常緑低木。ルリミノキの仲間は亜熱帯性で紀伊半島以南の暖地に分布しているそうだ。屋久島には何種類もあるとのことだが、たいてい見かけるのはこのリュウキュウルリミノキだ。この島あたりが分布の北限で、一番実が多くきれいな種類のようだ。


この色はきれいだが、あまり食欲をそそる感じはしない。鳥に食べられないまま地面に落ちているのもたくさんある。いつものように試食してみたら、さくさくしていてとても水っぽい。ほんのりした甘みはあるが、青臭さが残っておいしいものではない。あたりにはシロハラが多くいるので少しは食べていると思うが。


この日、山は暖かかったが目当ての花はほとんど咲いていなかった。歩き疲れて戻ってきて、入り口のところで、この実と花をもう一度じっくり眺めていた。
posted by 夜泣石 at 14:12| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年01月08日

シロハラ

(104195)s.jpg


冬になって家の周りなど歩くと、あちこちからプクプクプクといった子供のふざけているような声がたくさん聞こえる。東京では馴染みがなかったので何か判らず、我が家ではプクプクと呼んでいた。


図鑑で調べたらシロハラだった。飛び立つときに尾羽の先に白い帯が見えるのが目印だ。全体に茶色の鳥だが羽は少し緑色がかる。腹は白でそのまわりにオレンジがかかったりする。配色としては良いと思うが、全体にかなりくすんでいて、なんだかうす汚れたような感じだ。私など色調補正をかけたくなる。コントラストを強めて、彩度を上げたらなかなかきれいな鳥になるはずだが。


鳩より一回り小さいくらい。でっぷり太っているのは餌が多すぎるからだろう。あまり警戒心は強くなく、動作もそれほど敏捷ではない。道路際の藪から急に飛び出してきて車にぶつかってしまうことがたまにある。先日は我が家のガラス窓に激突してしまった。


冬の屋久島では最もよく目にする鳥でそこらじゅうにいる。プクプク鳴くのは警戒しているのだそうで、普段はもっといろいろな声で鳴く。ツルソバは大好物のようで、また防風林にたくさんいるのでハマヒサカキもよく食べるのだろう。ミカンを突ついたりはしないから害鳥ではない。


しかし困ったこともしてくれる。枯れ草などをひっくり返して隠れている虫を探し出すのだが、体力があるせいかその作業量が大きいのだ。枯葉などを掃き集めて山にしておいて、しばらくして行ってみると、もう思いっきり散らかしてある。我が家では果樹の根元に刈り草を厚く敷いてあるのだが、それをあたり一面に散らかしてしまう。


ある時、植えたばかりの果樹苗の根元に、乾かないように新聞紙を敷いて、その上に枯れ草を重ねておいた。シロハラはさっそくやってきて散らかし始めたが、その拍子に新聞紙もビリッと破った。そのビリッが面白かったのか、どんどん新聞紙を破り始めた。破った切れ端を口にくわえて得意げに胸をそらし、それから首を振って放り投げる。またビリッと破る。その様子がおかしくてコラッと追い払う気になれなかった。しばらくしてあたりは紙吹雪で真っ白になってしまった。
posted by 夜泣石 at 15:25| 生きもの | 更新情報をチェックする

2007年01月06日

ツルソバ

(104309)s.jpg


白い花と濃い紫の実の対比はなかなかきれいだ。花は白からクリーム色、たまに淡いピンクのものもある。5oに満たない小さな花の中で、雄しべの先だけがぽつぽつと濃紫になっていて、そんな細工もかわいらしい。


実は半透明の膜に覆われていて水羊羹みたいでおいしそうだ。触ってみると見かけと違ってぶよぶよでなく乾いていて、押すとぷちっとつぶれる。口に含むとさくさくしていて水っぽい。ほんのり甘く、少しすっぱく、さっぱりしていてそれなりにおいしい。この果肉のような部分は萼で、花の終った後肥厚して種(痩果)を包み込むのだそうだ。そんな構造の果実(偽果)があるとは今まで知らなかった。


小鳥たちにとっては大きさも手ごろで食べやすいのだろう。茂みの中に座り込んで貪り食っているのを見たことがある。そしてよく止まる岩の上など糞で紫色に染まっている。おかげで庭中いたるところから芽生えてきて草取りに苦労させられる。


放っておくと茎はどんどん伸び、次々に枝分かれして地面を這い、そこら中を覆っていく。何かにぶつかればそれに沿って登っていく。刺とか巻きひげとか絡まる術など何も持っていないのだが、たくさんの枝があちこちの隙間に入り込むのでそれで引っかかていけるようだ。防風林を数メートルの高さまで登って、そこからまた地面に垂れ下がっていたりする。


タデ科の多年草で、ツルソバの名は花や葉の様子がソバに似ているからだという。紀伊半島より南の暖地に分布しているそうで、屋久島では里のいたるところに生えている。ほぼ一年中咲いているが、冬の方が圧倒的に花も実も多い。小鳥たちが食べても食べても、次々に花を咲かせ実になっていく。この島の冬は木にも草にも無数の実が生って、小鳥たちにとっては天国のようなところだろう。
posted by 夜泣石 at 15:31| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年01月04日

ハマヒサカキ

(104273)s.jpg
ハマヒサカキの雄花


屋久島に移住して最初の冬、家の周囲や散歩道などいたるところ独特の臭いが漂うのを不審に思った。あたりはミカン畑が多いので、最初は農薬かと思った。もしそうならそんなに撒くものかと不安になった。


この臭いがハマヒサカキの花の香りであることが判ったのはだいぶ経ってからだ。鈴なりにびっしり咲いているのがそれなりにきれいで、香りはどんなものかと鼻を近づけて思わずのけぞった。


図鑑には腐臭とかガス臭などと書いてあるが、まあそこまではひどくない。住む人の絶えて朽ち崩れつつある廃屋の臭いか。ともかくこれでハエの類を呼び寄せているとのことだ。寒くなるとミツバチなどはいなくなるが、ハエは冬でもちょっと暖かい日は盛んに飛び回る。もっともこの島では今頃でもミツバチやホシホウジャクなど時々飛んでいるが。


ツバキ科の常緑小高木。千葉県から南にずっと、暖地の海岸沿いに生えているそうだ。台風の強風にも潮風にも負けない丈夫な木である。すぐに大きくなるし葉も枝もびっしりで剪定にも強いから防風林にはもってこいだ。この島の畑の回りはたいていこれが植えられている。放っておかれて見上げるような緑の壁になっていたりする。今の時期、その下の道には落ちてきた花びらが真っ白に敷かれている。


雄の木と雌の木がある。雄花は5oほどはあるが雌花は米粒くらいしかない。それが一年かけて真っ黒い丸々とした実に成熟する。前年の実がまだびっしり付いているのに、冬が近づくとまた新しい花がたくさん咲き出す。


いつもびっしり実が付いているので、あまり鳥が食べないのかと思うが、そうではなさそうだ。真っ黒い糞があちこちにべたっと落ちている。そしていたるところから芽生える。我が家の道際などいつのまにか自然に生垣ができつつある。


実が残ってしまうのは多すぎるからだろう。なにしろどの枝にも木肌が見えないくらいびっしりと生る。そんな木が島中とんでもない数植えられているのだ。どんなに鳥が来ても食べつくすことはできないだろう。これだけあるのだから何か利用できないかと口に入れてみた。甘くはあるが苦味や青臭さが残り、残念ながらおいしいものではなかった。
posted by 夜泣石 at 13:42| 花草木 | 更新情報をチェックする

2007年01月02日

思い通りになる

(104299)s.jpg
我が家から見た初日の出


暗い雲の切れ目からまばゆい太陽が光り輝いた。私の人生も、同じように晴れ渡ってなどいないけれども、それなりにかなり満足のいくものになったと感じている。いまさら幸福の絶頂とか、とてつもない幸運など望みはしない。さしたる不自由もない、海山を望む明るい家での静かな暮らし。それが淡々と続いていることがありがたい。


人は思った通りになる。そんな言葉を今さらながら噛み締める。思い起すと私は読書の好きな少年で、老荘思想などにも触れて自然の中に隠棲することを夢見ていた。それからずっと、人並みに仕事に打ち込んでいた時代でも、そんな思いは心の片隅に消えなかった。今の生活は結局そこに舞い戻ってしまったということなのだろう。


なにごとも思い通りになる。あれを欲しい、これをしたい、ああなりたいなど念じていると、それらはきっと実現する。


昨年念願の家を建てることができた。移住後しばらくして、ここでの生活に合った新しい家を欲しいと思った。東京で設計した家はいろいろ不都合があった。しかし、ではどういう家なら満足できるか具体的にはまとまらず、場所や資金面でもとても無理そうだった。


しかしある日突然、庭の一角にこんな家を建てればよいとひらめいた。ペンを持ったらすらすらと設計図が出来上がった。また私は移住前に、乏しい収入だけで食べていけるとは思っていなかったので、退職金の一部を予備費にしておいた。しかし島での暮らしは予想外に生活費がかからず、それに手を付けずに済んできた。その半分は、昔の仕事で得た知識で株式にしてあった。そうして一昨年末、世の中では株の暴騰が始まった。資金の目処が付いたので地元の大工さんに相談したら、今すぐならばとかなり格安で引き受けてくれた。こうしてあれよあれよというまに、かなり理想に近い家が建ってしまった。


株はしばらくして大暴落する。逆に建設資材はすぐに暴騰を始めた。あのタイミングでなければ家は建たなかった。あの時、もし設計ができていなければチャンスを掴むことはできなかった。またもしいつか家を建てたいという望みを持っていなかったら、日ごろ無駄遣いなどして予備費を使い込んでいたかもしれない。


人間は、自分の考えていることは当然自分で知っていると思っている。ところが脳科学によると、脳の働きの中で自分で意識できているのはほんのわずかであるということだ。脳は無意識のうちに盛んに活動している。自分の中に知らない自分がいて、しかもそちらの方がずっと大きいといった感じだ。習慣化した日常生活など、ほとんど無意識での脳活動にまかせきっている。


無意識なのだからそれを制御することはできない。何かを念じ続けるというのは、その知らない自分への伝言になるのではないか。こういう方向で考えて、そのように働いて欲しい。突然のひらめきというのは、実は無意識の自分がずっと考え続けていて、それがある時意識に渡されることではないか。また日ごろから倹約するなどの生活態度も、無意識の自分の決めていることではないだろうか。


幸運も不運も多かれ少なかれ誰にでも必ず巡ってくる。しかしそれを掴むかどうかは本人しだいだ。幸運を掴み取る決断はほんの一瞬だ。いつも念じているというのは、その一瞬を逃さぬ準備を、無意識のうちに常にしているということだろう。ものごとを前向きに考えるようになって私は救われたようだ。逆にあれも駄目これも駄目、どうせうまくいかないなどと考えている人は、いつも不運を掴む準備をしていることになる。かつて私もそんな時期が長くあった。


さてこれから私は新しく何を念じようか。いつのまにか今年、ついに還暦を迎える年になってしまった。もうあまり欲などかかないで生きていきたいと思うのだが。
posted by 夜泣石 at 20:43| 屋久島暮らし | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。